2026/03/20号 6面

百年の挽歌

百年の挽歌 青木 理著 辻本 侑生  福島県の高原地帯、飯舘村に暮らしたある一家のファミリーヒストリーを丹念に取材し、記述した書物。評者の専門である民俗学の「学術的」な言葉でまとめれば、そのようになるのかもしれない。しかし本書はそういった安易な要約を許さない内容で、読者としても、とても気軽には読了できない本である。  本書は、2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに伴う原発事故の約1か月後、同年4月12日に102歳で自死した大久保文雄さんが、なぜ自死という形で人生を終えなければならなかったのか、迫った書物である。この出来事については、遺族で義娘の美江子さんが東京電力を訴えた民事裁判によって、2018年に文雄さんの自死と原発事故との因果関係が認められ、東京電力による賠償と訪問謝罪が行われた。そのため、経緯についてはインターネットを含めて多くの報道記事を確認することができる。だが、本書は10年にわたる丹念な取材を通して、そうした記事よりもはるかに深く、この出来事を掘り下げている。生まれ育った土地から避難しなければならなかったこと、末期がんで闘病していた息子の一男さんが新潟の病院に転院せざるをえなかったことなど、晩年の文雄さんが直面した悲痛な出来事が詳細に記述される。  しかし、それだけではない。本書はこの出来事の背景を、震災発生の約70年前の戦争にまで遡って明らかにしていく。飯舘村からも多くの人びとが徴兵され、遠く離れた戦地で命を失った。文雄さんの15歳年の離れた弟、久さんも徴兵され、激戦地硫黄島で命を落とした。著者は、文雄さんの蔵書のなかに戦後約40年が経って刊行された『飯舘村従軍史』が遺され、文雄さんが戦死した人びとの名前に小さくペンで印をしていたことに気づく。徴兵されずに戦後もずっと飯舘村で農業をしながら暮らし続けた文雄さんは、自身が国家の理不尽から「生き延びて」しまったことをずっと負い目に感じていたのではないか。そして原発事故に伴い、もう一度その理不尽が襲い掛かろうとしている時、いよいよ国家を許すことができなくなったのではないか。もう聴くことのできない文雄さんの声を、著者は遺された多様な資料をつなぎ合わせることで浮かび上がらせていく。  評者がフィールドワークを続けている岩手県三陸沿岸地域においても、戦争によって多くの人が亡くなった。1933年3月3日の昭和三陸津波から生き延びた人びとも、その4年後の日中戦争、8年後の太平洋戦争に召集され、命を落とした人は少なくない。また戦争末期には三陸沿岸でも米軍機の機銃掃射で犠牲になった人びとや、特に工業都市であった釜石市で連合軍艦隊の艦砲射撃により犠牲になった人びとも多くいた。「災害研究」は、学術研究の文脈では一つのジャンルとして確立しつつあり、それ自体は重要なことである。しかし、地域社会や人びとの人生の視点からみれば、災害も戦争も、ともに外部から理不尽に襲い掛かる災厄である。災害による傷つきと戦争による傷つきは別個に独立したものではなく、複雑に交差したものであると、本書を読んで痛感させられた。  本筋からは外れた読み方からもしれないが、本書の随所には、切実な場面に埋め込まれた様々な食べ物が描かれる。文雄さんが、これから硫黄島に出発する弟・久さんのために横須賀の基地まで持っていった、飯舘産の小豆でつくったあんこがたっぷり詰まったおはぎ。100歳を超えてからもコップ1杯くらいとたまの楽しみに文雄さんが味わっていた二本松の銘酒「大七」。末期がんと闘う一男さんが病床で食べたいと願った美江子さん手製のお粥。文雄さんが亡くなった日、いつもの朝と同様、美江子さんが準備していたが、食べられることのなく冷めていった好物の卵焼き……。何気ない日常が、理不尽な災厄によっていかに簡単に失われてしまうのか、本書の食をめぐる繊細な記述からにじみ出ているように思えてならなかった。  最後に、本書第5章「「国策」に殺された兄弟」では、昭和史家・保阪正康への取材内容を引用しながら、文雄さんが相対的に戦争に送りこまれるリスクが低い世代、久さんがリスクが高い世代に属しているとの分析がなされている。下の世代を戦争に送り込んでしまった、という文雄さんが感じておられたであろう自責の念を、私たちはもう文雄さんにこれ以上背負わせ続けずに分かち合い、同じ歴史を繰り返さないようにしなければならないと、強く感じた。(つじもと・ゆうき=静岡大学講師・民俗学・災害研究)  ★あおき・おさむ=ジャーナリスト・ノンフィクションライター。著書に『安倍三代』『日本会議の正体』『絞首刑』など。一九六六年生。

書籍

書籍名 百年の挽歌
ISBN13 9784087890242
ISBN10 4087890244