2026/02/06号 3面

論潮・2月(高原太一)

論潮 2月 高原太一  体調を崩し気味ですが、連載〆切を破るわけにはいきません! 定期刊行されているものの凄さに、気づかされる次第です。  さて、今月から、地平社の『地平』も読書リストに加えました。二〇二四年七月に創刊された同誌も、今月で二〇号とのこと。それぞれの雑誌は、それぞれの歴史を持っていますが、それだけでなく、各誌には固有の時間感覚やリズムがあるのではないか、というのが少し考えたいテーマです。その点、『地平』には予言的なところがある、不思議な雑誌です。  同誌に特徴的で、かつては他の論壇誌にも備わっていた美点ですが、時代を伝える、あるいは予感させる写真が掲載されています。今月(二月)号の場合は、「緊迫する米・ベネズエラ 米海軍・カリブ海での大規模軍事展開」特集ということで、二五年一二月に撮影された米海軍の「軽水陸両用偵察艇」の正面カットや「水陸両用作戦で海岸に到着した米海兵隊員」の横顔スナップ、さらに昨年一〇月にベネズエラの首都カラカスで、米国らの軍事演習に反対するマドゥロ大統領支持者たちによるデモを写したものの計三枚が巻頭に置かれていました。  ご存じの通り、年明け一月三日に、マドゥロ大統領は拘束されました。そのさい、この偵察艇や海兵隊員も、知られざる役割を果たしたことでしょう。いずれにしても、これから起こる事態を先取りしていたという点で、『地平』は炭鉱のカナリアとして、この混迷する時代に新たに創刊された雑誌といえそうです。  もう一つ、今月の『地平』が予言的であるのは、酒井隆史さんの論考「「極中道レジーム」のたそがれに」が、抜群のタイミングで寄稿されているからです。いま話題の「中道」です。しかも同論考は、本連載の指針である「文学的な文章」に溢れています。その主張を乱暴にまとめれば、「リベラル」でも「中道」でも「現存デモクラシー」でもなく、酒井さんはそれらを総称して「エキストリーム・センター」略して「エキセン」もしくは「極中道」と呼びますが、「オルタナティブの模索を」と提起します。この「オルタナティブ」とは、いわゆる代案ではなく、ラディカル(根源的な)批判態度にもとづいた可能性の感覚に満ちたものでなければならず、未来を変革するための意志とその実現のための努力総体を指しています。そのさい、もっとも避けなければならない態度が、(これは私流の言い方ですが)物分かりの良さです。あるいは、分別をわきまえたしたり顔というと、言葉が強すぎるでしょうか。  と、ここまでは前置きです。酒井さんのじかの言葉に触れましょう。「まず、なにかを主張するというふるまい、とりわけ強く抗議するというふるまい自体に、すでに「押しつけ」が不可分にある。なにかを聞いてほしい、共感してほしい、とねがって声を発することは、それでなければそれをなにも知ることもなかった人々の世界に侵入し、その世界をわずかにでも組み替えようとすることだ。これは、多かれ少なかれ「実力」をはらんでいる。だから、どんなに工夫しても(それは大事だが)、それがときに悪意をもって「押しつけ」とされることは絶対に避けられない。こうした「反省」は、人々がもっとも苦しいときにすらも、声をあげるのに躊躇する萎縮を招いてしまう可能性がある」(七三頁)。  酒井さんの核心を突く文章を書き写していると、まるで小林多喜二か、あるいは戦後思想家の誰かか、もしくはグレタさんでも、想像する人物はそれぞれと思いますが、酒井さんに乗り移って発しているような、そんな時間錯誤な感覚を覚えてしまいます。そして、この私の感覚に、適切な言葉を与えてくれるのが、『世界』のリレー連載、齋藤陽道さんのエッセイ「垢まみれの言葉を洗う」です。これも素晴らしい文章に満ちています。「ぼくは普段、手話で会話をしている。日本語もそれなりに扱えると思っているけれども、心の底から安らげる言葉は日本手話だ」(一〇頁)。そう述べる齋藤さんは、初めての詩集を自費出版した経験を記していますが、話は、ここから社会運動へと思いがけず進んでいきます。「経験をひとつひとつ詩にしていくうちに、ろうとしてのあり様は、自分ひとりの経験では語り尽くせないということがわかってきた。ぼくが今こうして生きていられるのは、過去のろう者たちが積み重ねた社会運動に支えられている。(中略)「私たちも人権を持つ者として認めろ」と怒り、諦めず声をあげた先人たちがいた。その重なりが、社会を少しずつ変えてきた」(同上)。  いわば歴史的存在としての「私」を自覚した齋藤さんは、詩を通して、不思議な出会いに恵まれます。「ぼくは歴史にあまり興味がなかった。どの歴史に書かれる事実も、聴者の物語であり、ろうとしての身体の実感とは結びつかなかったからだ。でも詩を書くことで、それぞれの時代で、全身をことばとしながら、眼の喜びを糧に暮らしてきた無名の人々の気配と懐かしく新しく出会えた」(一一頁)。懐かしく新しく出会うことが出来る場。そこでは、きっと痛みの共有も、ある種の恥ずかしさや羨ましささえも、それこそ「押しつけ」合うような関係すらも、過去を生きた人とのあいだで取り結ぶことが可能かもしれません。しかし、否、それゆえに齋藤さんは、ある態度についてきっぱりと拒否します。「たっぷり気遣いを重ねることが、ろう者として生きる上での礼儀だといつのまにか思い込んでいた。対等な人間としてのまなざしをもって、垢まみれの言葉を洗ってみる」(同上)。  一見、深刻そうで、真新しさを振りまきながら、その実、言葉の真意と来歴を探ってみれば、すでに形骸化していて本来持っていたはずの生気のようなものを失った言葉が連呼される時代と世界で、齋藤さんは「日本手話」と詩の言葉と(詩集では写真の言葉とも)のあいだの溝をわたる橋をかけるということを重ねて、私たちの言葉とその根っこにもかかった曇りと歪みを少しずつ解放していきます。つい書き飛ばし、読み飛ばしがちな私にとって、このエッセイと届いたばかりの詩集は、言葉のアンカー(錨)のような存在として、じっくり手に馴染ませていきたい作品です。  最後に取り上げたいのが、『文藝春秋』の巻頭随筆、鈴木實さんの「チンチン電車と二・二六事件」です。一九三六年、いまから九〇年前に起きた事件のとき、鈴木さんは小学一年生でした。その思い出を記したエッセイが、決して回顧的ではないのが、現在にもつながる証言となっているからでしょう。鈴木少年が登下校で使っていた「市電は、反乱軍がまさに行動を起こしているさなかにそれらの一帯を左手に眺めながら走っていたことになる」(八七頁)という事実の再発見。その傍らには、きっと〆切に追われていた人もいたでしょう。そのような時間の流れと時代との交差を意識しつつ、論壇誌を読み重ねるとは、どのような行為なのか。自問自答が続きます。(たかはら・たいち=成城大学研究員・戦後民衆運動史)