俳句
浅沼 璞
戦後八〇年の節目、俳句総合誌でも関連の特集が目についた。いくつか振り返りたい。
まず『俳句』(KADOKAWA)八月号の特集「昭和100年/戦後80年 時代を詠んだ句・体現する句」。昭和改元から一〇〇年という観点から、時代を四つに区切り、各時期に作られた俳句を、現代俳人が任意に選評する企画。一九八〇年代から逆編年体で遡りつつ、現代を照射していく。その時代区分にそって一句ずつ引用しよう。
・黄金の時代(一九八〇年~一九八九年)
国家よりワタクシ大事さくらんぼ 幸彦
・向上の時代(一九六一年~一九七九年)
新宿ははるかなる墓碑鳥渡る 耕二
・復興の時代(一九四六年~一九六〇年)
夢の世に葱を作りて寂しさよ 耕衣
・戦禍の時代(一九二六年~一九四五年)
広島や卵食ふ時口ひらく 三鬼
次に『俳句界』(文學の森)八月号の特集「戦後80年 俳句の力、文章の力」。タイトルどおり俳句だけでなく散文にも目配りした企画。たとえば今泉康弘氏は高屋窓秋の、愛娘への追悼句〈いつまでも春野に浮ぶ死体かな〉を引き、「満州で窓秋一家に起きた悲劇」に言及。その歴史的背景を深く詳しく教えてくれる一冊として、中公新書『日ソ戦争』(麻田雅文)をあげる。また名取里美氏は視点を海外へも向け、ウクライナの俳人ヴラディスラヴァ・シモノヴァ氏の戦争詠を〈奪われたアゾフの貝がポケットに〉と和訳。「ポケットの貝が呼び起こすのは、アゾフの幸福だった日々」と解説する。
以上は今夏に照準を合せた好企画だったが、『俳句四季』(東京四季出版)では「この夏、この年だけに限定せず振り返り記憶し続けるべき」(編集後記)という理念から、「後世に残したい戦争を詠んだ一句」を連続企画中である。
また俳句総合誌ではないけれど「コールサック(石炭袋)」(コールサック社)一二三号の特集「戦後80年 沖縄文学者たちの合同出版記念会」の講演録では、井口時男氏による「近代俳句を超えるもの・沖縄俳句の力」に注目した。
以下、管見の句集――〈長き夜の畳に置かれ裁鋏〉佐山哲郎(『わなん』西田書店)、〈季語と綺語辞林に満てり七竈〉高山れおな(『百題稽古』現代短歌社)、〈今生のサドル熱くてものごころ〉大塚凱(『或』ふらんす堂)、〈障子裡に山河の冴ゆる夜明かな〉林桂(『遠近紀行』ウエップ)、〈酒呑みて大海となる油蟬〉藤田博(『甲斐連山』コールサック社)、〈海坂の魚にほはずや流れ星〉佐藤りえ(『兎森縁起』青磁社)、〈下萌をゆく麗しの尻尾かな〉森尾ようこ(『惑星』コールサック社)、〈竹の秋一本ずつは大人なり〉山本敏倖(『無限白書』現代俳句協会)、〈蝌蚪の水翅のやうなる葉を沈め〉金山桜子(『ひかりあふうを』ふらんす堂)、〈鵜飼して桃の流れて来ることも〉板倉ケンタ(『一花一虫』ふらんす堂)。
以下、管見の俳書――『国際俳句歳時記 秋』向瀬美音企画・編・訳、中野千秋訳(コールサック社)、『国際俳句歳時記夏』向瀬美音編(ふらんす堂)、『俳句の立ち話』仁平勝(朔出版)、『高柳重信の百句』林桂(ふらんす堂)、『あはひの季』竹ノ内ひとみ(滔滔舎)、『橋閒石の百句』赤松勝(ふらんす堂)。
ほかに『志賀康俳句集成』(文學の森)、『澤好摩俳句集成』(ふらんす堂)など。(あさぬま・はく=俳人・連句人)
