2026/05/29号 7面

追悼=金子晴勇(安酸敏眞)

追悼=金子晴勇 金子晴勇先生のご逝去に寄せて 安酸 敏眞 逝去の一報は佐藤貴史氏からもたらされた。佐藤氏は聖学院時代のわたしの教え子であり、先日まで北海学園大学での同僚だった人物である。佐藤氏は同時に、金子晴勇先生の晩年の愛弟子であり、彼は金子先生のもとでローゼンツヴァイクに関する博士論文を書いた。彼は最晩年の金子先生に最も親しく寄り添った人物である。  故人は終始わたしを「安酸くん」と呼び、わたしは故人を「金子先生」と呼んだ。しかし故人とわたしは厳密な師弟関係にはなかった。それではどういう関係だったのか?元同僚?友人?同門?後輩?同業者?いずれも間違いではないが、いまひとつ正鵠を射ない。  それぞれ当てはまるが、しかも単なるその総和でもない。氏はわたしにとって、月並みな表現で言い表せぬ《特別な存在》だった。晩年の金子先生はしばしばわたしに謝意を述べられた。「安酸くんのお蔭だよ!」それは静岡大学を定年退職されるタイミングで、わたしが当時の大木英夫理事長に直談判して、自らが学科長を務める聖学院大学人文学部欧米文化学科へ招き入れたからである。それ以来、金子先生は十五年の長きにわたって聖学院大学に奉職され、研究教育を実践する格好の環境と、老後の収入の安定を得られた。それゆえ、上記のような言葉が口を突いて出たのであろう。 金子先生はわたしよりも二十歳年長で、京都大学のキリスト教学研究室の大先輩であった。四十代ですでに日本学士院賞を受賞されていたので、就職のお世話をするまで畏れ多くて口をきいたことはなかった。大宮駅の近くの喫茶店で初めて対面で話したとき、当時学科長として多忙を極めていたわたしに、「仕事は忙しい人に頼め」というが、それは正しいと仰った。十年近い聖学院大学での同僚時代に、どれだけ頻繁に会話を交わしたかわからない。有賀鐵太郎、西谷啓治、武藤一雄、水垣渉といった京大関係の学者たちについて、あるいはアウグスティヌス、ルター、ドイツ神秘主義、霊性主義者、カント、レッシング、ヘーゲル、トレルチ、シェーラー、哲学的人間学などについて、話題は尽きなかった。実に多くの思い出話と学問的品定めを伺い、自分としては裨益されるところ甚大であった。  わたしが京大の博士論文を仕上げる際には、「一気呵成にやれ」と言われ、わたしはそれを実践してひと夏で書き上げた。それ以外にも、幾つもの言葉が心に残っている。「思想が固まるには苦汁のようなものが要る、人が好過ぎると思想は固まらない」。「君は骨身を削ってやるから良くない、研究は過度にやり過ぎず、毎日少しずつ続けるのが成功の秘訣だ」。「思想史研究はやはりテキストが命であって、コンテキストに依拠する流行りの社会史研究は永続性がない」。「君がやる思想家はみな大関クラス、横綱級がいない」。「学長とか理事長など早く辞めて、本を書きなさい」等々。金子先生は超一流の毒舌家でもあった。  故人の業績については、贅言を要しない。『ルターの人間学』や『アウグスティヌスの人間学』、「哲学的人間学」関係の多数の書物、「キリスト教思想史」関係の著作、その他アウグスティヌスのラテン語原典の翻訳なども加えると、130冊くらいにはなろう。その生涯の歩みを記された自叙伝的な著作として、『青年時代に求めたこと―自伝的断章』(2019)と『経験と思索の歩み―若い人たちに』(2026)の二冊の書物がある。ローマは一日にして成らず! 不断の探究努力が不世出の学者を作り出したのである。同時に、故人はひととの出会いにも恵まれた。最大の僥倖は静岡大学での恩師高橋亘氏との出会いであろう。わたしはかつて故人とともに氏のご自宅に蔵書の整理に伺ったが、所狭しと置かれた夥しい数の蔵書にまさに圧倒された。故人は京都大学の高名な学者たちよりも、地方のこの真摯で敬虔な学者に育てられ見習って、やがて大輪の花を咲かせたのである。先生は逝かれたが、後世への影響は計り知れない。ご冥福を祈る。(やすかた・としまさ=学校法人北海学園前理事長・キリスト教思想史)  かねこ・はるお=倫理学者。専門はキリスト教思想史。二〇二六年四月五日死去。九四歳。  一九三二年生。岡山大学・聖学院大学名誉教授。著書に『ルターの人間学』『愛の思想史』、訳書に『神の国』『生と死の講話』など。