- ジャンル:政治・法律・社会
- 著者/編者: 法政大学大原社会問題研究所
- 評者: 服部倫卓
日本とウクライナ 遠くて近いパートナー
法政大学大原社会問題研究所・進藤 理香子編著
服部 倫卓
本邦ではかつて、ウクライナに関する書籍が、文字通り数えるほどしか存在しなかった。それが、2022年2月にロシアがウクライナへの全面軍事侵攻を開始してからというもの、おびただしい数のウクライナ関連書籍が刊行されている。
今般そこに、本書『日本とウクライナ 遠くて近いパートナー 歴史・挑戦・未来』が新たに加わった。法政大学大原社会問題研究所とウクライナ国立科学アカデミー世界史研究所の学術交流の成果をまとめたものである。
本書は、ウクライナと日本の関係史を、多様な観点から論じた論文集である。必ずしも明確な軸が設定されているわけではなく、苦心して見付けたテーマを繫ぎ合わせたという印象が強いが、ウクライナが今後の国際秩序の行方を左右する試金石となっている中で、同国についての理解を深めるのには有益な一冊であろう。
思うに、ウクライナのような新興の国家、特にその歴史を論じるのには、特有の難しさがある。「ウクライナ」という枠組みが浮かび上がってきたのは近代のことであり、国際社会の主体としての地位を確立したのは1991年のソ連邦崩壊および独立に伴ってであった。そうした中で、2021年にプーチン・ロシア大統領は「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」と題する論文を発表し、ウクライナ侵攻を歴史・民族観からあらかじめ正当化する挙に出ていた。
本書で扱われているのは20世紀以降の歴史であり、ウクライナの民族的成り立ちなどについては触れていない。それでも、やはり戦時下という特殊な状況下でウクライナの歴史を論じることの難しさに変わりはない。ただ、本書における歴史叙述は全体として冷静であり、もっぱら今日の政治的ニーズから歴史を語るような陥穽は免れている。
鈴木玲による第二章「炭労とソ連炭鉱組合の冷戦下での交流」は、1956年から1961年にかけての日本炭鉱労働組合とソ連石炭鉱業労働組合との交流を跡付けている。実は、日本側はその間にソ連に6回代表団を派遣し、少なくとも4つの代表団がウクライナ共和国のドンバス炭田の炭鉱と関連施設を訪問したという。ドンバス地方は今日のロシア・ウクライナ戦争の激戦地であり、そこを舞台としたウクライナ・日本関係秘史として、ドラマチックに描きたくなるようなエピソードではないか。しかし、本章の筆致は、あくまでも当時の時代状況に照らして、日ソ関係史、労働運動史の一コマという視点に徹しており、好感が持てる。
ヴィクトリヤ・ソロシェンコによる第三章「ウクライナと日本の科学技術・教育分野における協力関係」では、ソ連時代の日本との科学技術協力を描いた第二節、とりわけウクライナ科学アカデミー付属パトン電気溶接研究所をめぐるくだりが興味深い。本章ではどちらかと言うとソ連の技術や工業力が問題を抱えていたことが強調されているが、実はパトン研究所をはじめとするかつてのウクライナ共和国の技術には見るべきものがあり、日本の鉄鋼大手もこぞって取り入れたほどであった。しかし、時を経た今日ではウクライナ鉄鋼業の技術レベルは世界最低と言わざるをえず、また2020年にボリス・パトン氏が101歳で亡くなるまで60年近くにわたってウクライナ科学アカデミーの総裁として君臨したという点に、ウクライナが工業面で辿ってきた衰退が象徴されていると感じる。
伊東林蔵による第八章「農民革命の表象 ウクライナ」も、示唆に富んだ論考だ。1920年代にウクライナの地で興った農村革命「マフノ運動」が、日本の社会主義者、アナーキストたちをどのように感化したかを分析している。日本で先駆的に広がったウクライナのイメージが、「農民反乱の地」というものだったというのは、胸が熱くなる。ただ、日本におけるマフノの紹介者であるアナーキストの大杉栄が、「ウクライナ」という地域性より「民衆」という階級性に力点を置いていたことを指摘するなど、伊東の書き振りは抑制的であり、過度に現在の情勢に引き付けることはしていない。
実のところ本書には、日本側参加者がロシア語・ウクライナ語資料を使用できておらず、ウクライナ側参加者は日本語資料を使えていないという限界もある。それでも、そのような不自由な状況の中で奮闘した共同研究の記録という意味で、本書もまた日本・ウクライナ関係の一ページを刻むものだろう。(はっとり・みちたか=北海道大学教授・スラブ・ユーラシア経済論)
★ほうせいだいがくおおはらしゃかいもんだいけんきゅうじょ=社会労働問題の研究所、専門図書館・資料館。一九一九年大原孫三郎により創立。一九四九年法政大学と合併し附置研究所に。
★しんどう・りかこ=法政大学教授・法政大学大原社会問題研究所副所長・ドイツ近現代史。
書籍
書籍名 | 日本とウクライナ遠くて近いパートナー |
ISBN13 | 9784588625541 |
ISBN10 | 4588625543 |