2025/10/24号 6面

沖縄戦場定点写真集

沖縄戦場定点写真集 水ノ江 拓治著 村岡 敬明  2025年は、20万人以上が犠牲となったとされる沖縄戦から80年の節目にあたる。いまや、戦争体験者から直接証言を聞く機会は急速に減少しつつある。戦争の惨禍をいかに次世代に継承するか。この問いは、戦後80年を迎えた日本社会に一層の切実さが帯びてくる。そうした時期に刊行された『沖縄戦場定点写真集』は、沖縄戦の記録と記憶の継承を改めて問い直す試みとして、きわめて有用な意義を持つ。  本書は、沖縄戦の激戦地を中心に、戦時と現在の風景を「同一視点」から撮影し、対比的に提示する構成をとっている。それぞれの風景には撮影地点周辺の地図と詳細なキャプションが付され、読者は当時の戦場を視覚的に追体験する手がかりを得ることができる。著者が長年にわたり収集してきた膨大な写真資料をもとに、戦後80年を経た土地に刻まれた「戦争の爪痕」と「記憶の変容」を可視化している。ページをめくると、単なる閲覧ではなく、画面を通して過去と現在を往還し、沖縄戦の激戦地の惨劇を体感できる。  本書の企画意図の根底には、著者自身の体験が見られる。約20年前、著者が沖縄における戦争の爪痕調査の途上で元歩兵大隊長の案内を受けた際、その人物が「戦争の爪痕」の前で立ち尽くし、静かに涙する姿を目にした。著者はその光景に深い衝撃を受け、「もし当時の風景をカラー写真で再現できれば、『戦争の爪痕』で立ち尽くして、涙した元歩兵大隊長の気持ちに近づけるのではないか」(2頁)と考えたという。その経験が、のちに本書における「定点撮影」という手法と、「追体験」という表現的理念を形成する契機となった。  著者はまず、沖縄本島を北部・中部・南部の3地域に区分し、それぞれの戦況を簡潔に整理している。北部は日本軍の主陣地以北で比較的戦闘が少なかった地域、中部は第1線陣地から首里に至る激戦地、南部は首里から摩文仁にかけて戦争末期の民間人犠牲が集中した地域である。本書はこの地理的構成に沿って写真を配列し、戦争の進行と記憶の地層を視覚的に表現する。こうした構成は、「戦争の爪痕」が地域ごとに記憶の厚みに格差をもたらし、地理的配置と記憶の空間性の差異を同時に写し出している。  戦時中の米軍撮影による白黒写真と、著者自身が撮影した現在のカラー写真を並置することで、時間の流れと風景の変容が鮮やかに浮かび上がる。かつて塹壕や壕が点在していた戦場は、現在では住宅地や道路などに変貌しており、「戦争の爪痕」が日常の風景へ吸収されていく過程が明白になる。過去と現在の対比は、記憶の継承が抱える困難さを示すとともに、土地が内包する歴史的層の厚さをも証し立てている。  本書の最大の特色は、「定点」という一点にこだわった撮影手法にある。同一の視点から撮影することで、「戦争の爪痕」の「変化」と「持続」を同時に捉えることができるようになる。「戦争の爪痕」として整備・保存された場所がある一方で、都市開発や観光化のために「戦争の爪痕」が消失しつつあることも事実である。その対比は、戦争の記憶が社会的変化のなかで変容していく過程を直視している。定点撮影という手法は、記憶が変貌していく中で、風景を歴史の時間軸上に固定したことで、メディアとしての写真の力が改めて印象づけられる。  さらに注目すべきは、本書の随所に設けられたコラムにおいて、著者が既存資料の誤記や撮影地点特定の不正確さといった課題を自ら指摘し、修正を加えている点である。過去の「戦争の爪痕」の写真資料では、キャプションの誤りや撮影位置の混同が少なくなかった。著者はこれらを丁寧に検証し、位置特定の根拠を明示することによって、資料としての信頼性を高めている。この点において本書は、単なる写真集の域を超え、平和研究における方法論的貢献をも果たしている。  著者の記述は抑制的であり、写真そのものに委ねる姿勢が一貫している。解説的な文章よりも、写真という視覚情報が、読者の思索における学習と記憶で重要な役割を果たす。この静かな語りかけは、戦争を「記録」することの倫理と向き合う著者の姿勢を明示している。  本書の意義は、文字情報や口述証言では伝えきれない「戦時と現在における風景の記憶」を記録している点にある。歴史学・平和教育などの分野において、「戦争の爪痕」を空間的・視覚的にとらえる資料は少ない。本書はその欠落部分を補い、「戦争の爪痕」をめぐる記憶の空間的構造を考察するための基礎資料としての評価が高い。とりわけ、戦後の土地利用や都市化の過程と戦争記憶の変質を併せて知覚する過程は、歴史地理学的・文化記憶論的なアプローチにもつながる。  戦後80年を迎え、戦争体験の「語り継ぎ」から「映し継ぎ」へと記憶の継承様式が変化しつつある現在、本書は一層重みを増してくる。失われゆく「戦争の爪痕」を可視化し、過去と現在を交差させる著者の試みは、沖縄戦研究の深化に寄与するとともに、写真というメディアがもつ記録性と想起性の両義的な影響が鮮明に示されている。  『沖縄戦場定点写真集』は、戦争の「記録」と「記憶」をつなぐ新しい方法を提示した著作である。戦場の風景を通じて、いかに過去と向き合うかという問いを私たちに投げかけている。(むらおか・たかあき==大和大学情報学部准教授・公共政策学・日本政治外交史)  ★みずのえ・たくじ=東京農業大学卒業後、陸上自衛隊幹部候補生学校に入校。ここで初めて沖縄戦に関する教育を受ける。自衛隊ではヘリコプターの操縦士としてOH-6D、AH-1Sに搭乗。その後北海道六花亭製菓を経て、秋田県警察航空隊に勤務。総飛行時間約七五〇〇時間。退職後に秋田県立国際教養大学に入校し、米国公文書館の沖縄戦関連資料の研究を行い、現在に至る。

書籍

書籍名 沖縄戦場定点写真集
ISBN13 9784908468889
ISBN10 4908468885