イラン現代史
黒田 賢治著
斎藤 正道
本書は、2025年6月のイランとイスラエルの12日間にわたる戦争、そして同年12月末から本稿執筆時(2026年1月17日)まで続く抗議活動など、激動のイラン情勢を前にして出版された、非常にタイムリーな著書である。現代イランを理解するための優れた日本語の著書としては、2005年に出版された吉村慎太郎の『イラン・イスラーム体制とは何か』(書肆心水)などがあるが、同書は出版からすでに20年が経ち、また比較的高価なハードカバーの本であることを考えると、手に取りやすい新書で現代イランを扱った最新刊が出版されたことは大いに歓迎したい。
イランというと、1979年の革命とそれによって誕生した宗教指導者が指導するイスラーム共和国、同年の米国大使館占拠事件、1980年から8年間続いたイラン・イラク戦争、核兵器開発疑惑など、一般の人からは近寄りがたい国としてイメージされることが多いように思う。2022年のいわゆるヘジャブ・デモに象徴される、制度的な女性差別と体制側からの苛烈なデモの鎮圧など、否定的な印象をもっている方も多いだろう。
20世紀、特に1979年革命以降のイランの政治・経済・社会を多面的に解説し、またコラムを挟んで蘊蓄を語る本書は、イランについての、ときに型にはまったイメージを解きほぐすのにうってつけである。また「イスラーム教徒」というと、よく言えば敬虔、悪く言えば偏狭な人たちというステレオタイプで理解する人もいるかもしれないが、本書ではイスラームを様々な思いや「強度」で信仰・実践するイラン人の姿が指摘されていることも好感が持てる。
他方、本書には気になった点もある。まず指摘しておきたいのは、著者がどのような視点から現代イランを分析し、読者に提示したいのかが今一つ見えないことである。優れた著書というのは、学術書であるか新書であるかにかかわらず、「○○な視点からみると、××なことが分かる」という発見を読者に与えるものだと思う。本書の議論には「深掘り」したものが少なく、発見的な側面が希薄だったように思われる。
このこととも関わるが、2025年12月末に始まるイランでの全国規模の抗議活動につながるような、イラン現体制の構造的問題について深く論じられていないことも残念である。2017年12月末に全国レベルで抗議活動が発生して以降、イランでは間欠的に抗議活動が起きている。2019年11月(本書では誤って2018年と書かれているが)のガソリン価格引き上げ後の全国規模の抗議活動、2022年9月のヘジャブ・デモを通じて、国内の分断が深まっている。こうした一連の出来事の背後に何があるのか、もっと深く論じられてよかったのではないだろうか。
もう一点、現代イランを特徴づける反米主義に関しても指摘しておきたい。本書では、冒頭で「革命後も、イランは[…]米国と協力関係を結び、米国もイランと協力してきた」と述べて、あたかも現体制の反米主義は物事の表層にすぎないかのように述べられている。しかし、反米主義は現体制を根本から規定するイデオロギーであり、イラン・コントラ疑惑の時のような、一時的・戦術的な協力とはレベルが違う。反米主義はイラン現体制が内外に示してきた欠くことのできない自画像の一部であり、その歴史的背景には何があるのかを、その変遷とともに把握することが現代イランの理解にとって不可欠だが、本書ではこの点に関する議論が十分ではない。そのため、1979年になぜ熱狂的なイラン人学生たちが在イラン米国大使館を占拠するといった前代未聞の大事件を犯し、その後イランと米国は互いを敵視するようになったのかが、本書からは見えてこないのである。2025年6月のイラン・イスラエル戦争で、米国がイランの核施設を爆撃した経緯を理解する上でも、この問題は詳細に論じられるべきテーマであろう。
こうした問題はあるものの、現代イランで生起した様々な出来事を一冊の著書にまとめるのには大変な労力が必要となる。本書をたたき台に、現代イランに関する議論が今後深まっていくことに期待したい。(さいとう・まさみち=中東調査会主任研究員・イラン政治・社会情勢)
★くろだ・けんじ=国立民族学博物館グローバル現象研究部准教授・中東地域研究・文化人類学・イスラーム研究。著書に『イランにおける宗教と国家』『戦争の記憶と国家』など。一九八二年生。
書籍
| 書籍名 | イラン現代史 |
| ISBN13 | 9784121028822 |
| ISBN10 | 4121028821 |
