〈種〉の超克
丹野 さきら著
松本 潤一郎
全五章に加え「はじめに」「序章」「おわりに」から成る本書は、〈少子化問題〉が云々される今日の状況において、〈種の存続は人類の義務である〉などといった言表に含まれる問題を、主にマルクスを参照しつつ、明らかにする試みである。本書では数度、「〔前略〕歴史における究極の規定的要因は、直接的生命の生産と再生産とである。しかし、これはそれ自体さらに二とおりにわかれる。一方では、生活資料の生産〔中略〕、他方では、人間そのものの生産、すなわち種の繁殖が、これである〔後略〕」というエンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』の言葉が引かれる。この〈人間の生産=種の繁殖〉という等式に、本書は揺さぶりをかける。
一章の軸は、資本主義下の主体化イデオロギーを分析したアルチュセールの議論である。人間の子どもは始めから人間の子どもであるわけではなく、元々は「哺乳類の幼虫」であり、その意味では「息子たちは父をもたない」と言うアルチュセールの自身の名に関する自伝的考察も、系統関係批判という文脈の中で取り上げられる。
二章では、『資本論』における剰余価値分析に現われる父子関係の比喩と、「生命の再生産」を分析した過剰人口論の並行関係が指摘され、資本主義下の「人類の不死性」が、アレントによるマルクス批判を経由しつつ、見据えられる。
三章の主題は、資本主義下の労働と時間、特に「現在」である。労働を超歴史的(自然的)に必然(/要)とされるそれと、商品生産に向けられるそれとに区別して、後者の特殊歴史性が前者によって覆い隠されると考えるポストンの議論を手がかりとして、労働が私たちを永遠の現在に縛りつける機制を示し、そこからの脱却を模索すべく、再びアレントのマルクス批判をふまえつつ、入不二基義と田辺元の議論をも参照して、「現在」なるものの特性を探究する。
四章では、フォイエルバッハに遡り、「(人)類」概念の「普遍性」が俎上に載せられる。フォイエルバッハの議論における類と性、そして愛の連結が確認された後、バリバールがスピノザに示唆を得て提起した唯名論的な「普遍性」理解に種と性・愛との切断を看取し、ニーチェの「超人」概念に、類からの離脱を展望する。ニーチェ読解に当たって著者が援用するのは、「永遠回帰」を種、さらには自己同一性の解体という枠組で捉えたクロソウスキーである。
以上の経過を辿って「人間の生産」と「種の繁殖」の等置に揺さぶりをかけた後、五章は脱繁殖論的な出生理解の枠組構築に向かう。再び田辺の議論が検討され、絶対的な偶然において自らの出生を忍受する個の形象が「哺乳類の幼虫」と出会って、種は繁殖論を離脱する。「おわりに」では、生物学的分類を撹乱する卵生哺乳類カモノハシや多様性の喪失を防ぐ有性生殖の仕組みが例示され、世界はむしろ偶然的出会いに溢れていることが確かめられる。思えば資本主義もまた、資本と労働の偶然的出会いから誕生したのではなかったか。
以下、私的感慨を書かせていただく。一章エピグラフに、父を探して彷徨する主人公を描いたモーリス・ルブラン『バルタザールの風変わりな毎日』(東京創元社)が引かれている。拙著『ドゥルーズとマルクス――近傍のコミュニズム』みすず書房所収「物語と襞――ドゥルーズの叙述的知性」で私はこの物語を少し分析したことがあったので、不思議な感覚になった。資本と労働の「出会い」にも、同書所収「ドゥルーズ―ガタリと歴史」で触れている。本書がクロソウスキーを参照しているのにも、或る感懐を覚えた(拙稿「永遠回帰における回帰せざるもの――クロソウスキーと沈黙の場所」『政治経済学の政治哲学的復権――理論の理論的〈臨界―外部〉にむけて』法政大学出版局所収を参照)。また執筆動機の一つとして、著者は沖公祐氏の論文「マルクス主義における再生産論的転回」(『現代思想と政治――資本主義・精神分析・哲学』平凡社所収)を挙げており、同じ論集に寄稿した者として嬉しかった。近年のこの国におけるマルクス研究の一部には、或る種の「正統性」のみを強調するものがあり、革命に向けてマルクスを実践的に読解してきた人びとの歴史を消去しようとしているかのごとくに映ることがある。アルチュセールは消去対象筆頭かもしれないが、本書はアルチュセールの言葉を丁寧に辿って活性化させようとしており、感銘を受けた。マルクスの仕事は、このような読解に(も)開かれているはずだ。三章「註4」にも、なぜ〈今〉マルクスを読むのかという問いへの著者の意志が示されていると思う。最後に、本書はアルチュセール、デリダ、田辺などが様々に論じた「切断」を扱っている。間接無限様態を有限なものの無限連鎖と規定したスピノザを絡めてバディウに取り組む私にとって、啓発的だった。読み甲斐のあるアクチュアルな研究である。(まつもと・じゅんいちろう=就実大学教授・近現代フランス哲学・思想)
★たんの・さきら=明治学院大学社会学部付属研究所研究調査員・日本近代思想史・社会思想。著書に『高群逸枝の夢』など。
書籍
| 書籍名 | 〈種〉の超克 |
| ISBN13 | 9784065415801 |
| ISBN10 | 4065415802 |
