2026/04/10号 8面

映画時評・4月(伊藤洋司)

映画時評 4月 伊藤洋司  少年にとって、その男は知や徳を体現する人物だった。本棚にはプラトン全集など哲学書が並んでいた。男が肉料理を食べないことに気づいて少年が質問すると、男は牧場で働いた経験があり、「牛や豚にも心がある。僕や君たちと同じような心がある。そう思ったらもう食べられなくなりました」と答える。少年には初めて聞く考え方だった。一方、母親は「勉強したってしようがない」と言い、少年の教科書を捨ててしまう。男がゴミ捨て場で見つけて彼に返し、「教科書には大事なことの半分が書かれています」と言う。少年は反抗期のようだが、母親に果たせぬ失われた父親の代理をその男に見出したのかもしれない。  大塚信一の『Poca Pon ポカポン』に登場するこの男は知の世界など信じていないとする見方もあるだろう。教科書には大事なことの半分しか書かれていないとも言えるからだ。だがこの見解は間違いだ。例えば、少年と母親のこじれた関係について男が問いを重ね、少年はうまく答えられずにいる。「一番身近で大切な人とどうしてそうなってしまうのか、僕たちはそんな事さえ分からない」と、男は言う。少年が卓上の本を見て、「この本に書いてあるんですか」と尋ねると、「書いてません」と、男は返す。書かれた言葉より対話を重んじ、対話によって人間の無知を明らかにする。どこかソクラテスにも通じる知のあり方だ。  男は少年に知や徳を教えたのだろうか。少年が本棚から取り出した本がプラトンの『メノン』であることは興味深い。この対話篇でメノンはソクラテスに、「徳は教えられうるか」と尋ねているからだ。徳が知識であれば、教えられる筈だ。反対に知識でなければ、徳は教えられず、それが教科書に書かれていない残りの半分だという解釈も成立する。だが、男は無知を強調した挙句、少年のもとを去り再会も拒絶してしまう。男は少年の手本となれるような人間ではないからだ。若い頃に凶悪犯罪を行なった、許されざる者なのだ。  少年は男の過去を知っても、男への尊敬を失わない。「僕は家族のために正しいことをしようとしますけど、おじさんは正しいことのためだけに正しいことをする。凄い人だと思います」と、少年は言う。一方、男の事件を担当した弁護士は、生まれ変わったように見えても「本質は変わらないような気がする」と言い、「つきあうのは危険だ」と少年に忠告する。少年と弁護士のどちらが正しいのか。  少年が男に惹かれた理由は、男の本棚に哲学書が並んでいたからでも、動物の心について斬新な考えを言ったからでもない。男が少年のアパートの壁に手をあてると、不思議なことに隣室の騒音がやんだからなのだ。男は聖書もよく読んでいたが、壁に手をあてるこの行為はイエスの病人などに対する行為を連想させる。すると、決して許されぬ身でありながら善行を追求し続けるこの男がまるで聖人のように見えてくる。「僕はいい人どころか一度人間をやめてるんです」と男は少年に言うが、この告白さえも誠実さの証のようだ。では、男は真っ当な人間に生まれ変わったのか。それとも、本性は同じままなのか。確かなのは、少年に対しては一貫して正しい人間だったことだけだ。人は身近で大切な人のことさえよく分からない。どうしてこの男のことを知り得よう。己の無知を知るのは大切だ。  今月は他に、『決断するとき』『シンプル・アクシデント 偶然』などが面白かった。また未公開だが、ヴァシリサ・クズミナの『ニカ』も良かった。(いとう・ようじ=中央大学教授・フランス文学)