2025/11/07号 8面

見田宗介における社会構想の社会学

ニュー・エイジ登場『見田宗介における社会構想の社会学』(德宮俊貴)
ニュー・エイジ登場 434 德宮 俊貴  「かんけりの政治学」(栗原彬『政治のフォークロア』新曜社、一九八八年所収)だったと思う。現代文の入試対策として高校の補習で読んだのだったか、内容はおぼえちゃいないが、たかがこどもの遊びだってこうも真剣に論ずることができるんだねと、意中の級友と語らったのは今も思いだせる。著者が高名な政治社会学者だと知るのは先のことにせよ、ロック音楽やお笑い番組をも対象にしうる社会学のひろさ(野放図さ?)に興味をもちはじめていた当時、自分もそういう卒業論文を書いてさっさと就職するものと想像していた。  進学先で専攻が決まってからは、まず教科書や入門書を濫読した(初学者用ばかり漁ったって足しにならないという先生もいるけれど)。しかし、そこはロクに勉強したことのない学部生。玉石の判別もつかぬまま手にした概説書がどうもいささか古風な〝おかたい〟ものだったらしく、はからずも理論だの学説史だのとよばれる小難しい世界にハナからひきこまれてしまったみたいだ。結局、専門は何かときかれたらたぶんいちばん説明に窮するこのややこしい分野の研究を大学人になってまでつづけている。  見田宗介『現代社会の理論』(岩波書店、一九九六年)を二年次の演習で輪読することになって、コピーがくばられはするものの現物をもっておこうと学内の書店におもむいたところ、おなじ岩波新書の『社会学入門』(二〇〇六年)をあやまって買ってしまった。この小さなドジが運命を変える。もったいないからという理由でひもといてみれば、瞬間、洗煉された論述に視界がひらけていくのがわかった。最終章「交響圏とルール圏」で語られる「これが答えだ!」と確信させてくれるごとき明快かつ大胆な社会構想には恍惚にちかい驚歎をおぼえた(直観の論証ほど難儀な作業はないことを将来おもい知らされるわけだが)。  戦後日本の代表的な社会学者のひとり見田宗介(真木悠介)の「コンサマトリー」や「交響」といった独自の概念を読みとき、その思索を社会構想の社会学として体系的に再構成する拙著は、あのときの鮮烈な感動を熱源に書かれた(ほんとうにそれだけをたよりに突っ走ってきた)。青春の記念碑とよべばきこえはいいけれど、立論も文体も生煮えなうえ、あとがきでも述べたように、すでに本書から認識を一部あらためたところもある。通過点として一定のしあがりに達している自負はあるし、根抵の問題意識はなお一貫しているつもりだが、主張が二転三転するのは未熟ゆえだとあきれられるかもしれない。それでも、暫定的な見解にこだわって慢心するほうがよほど危うくはないだろうか。研究とは自己批判の連続にほかならず、変わりつづけるのは日就月将のあらわれだと考えている。  そういえば見田も国語の教科書に載ったことがあるのだった。私には生涯縁のない話だろうが、せめて悪文は卒業できるようあやかりたいものである。  ★とくみや・としき=大阪産業大学講師・社会学。神戸大学大学院人文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。一九九四年生。

書籍

書籍名 見田宗介における社会構想の社会学
ISBN13 9784771039513
ISBN10 4771039518