- ジャンル:哲学・思想・宗教
- 著者/編者: アレクシス・ド・トクヴィル
- 評者: 菊谷和宏
トクヴィル選集
富永 茂樹編監訳
菊谷 和宏
七〇〇ページ近い大部の書物である。その迫力に気圧されて、頭から順に読む気は起きず、行き当たりばったり、適当にページを開く。すると、偶然目に入っただけの文章に思わず引き込まれ、読み耽る。大量の書簡と旅行記だ。他人の手紙や日記を本人に知られることなく読むという――あまり良い趣味とは言えないが――「密やかな楽しみ」を振り払うことのできる者など誰もいまい。
本書は、民主政における「多数の暴政」を指摘した『アメリカのデモクラシー』の著者として名高いフランスの政治思想家アレクシス・ド・トクヴィル(一八〇五―五九)の選集である。彼が生前著した論文、報告、演説、旅行記、書簡などの比較的短い文章が六十編ほど選出され、訳出されて一冊にまとめられている。
一口に選出と言っても、底本となったプレイヤード版選書とガリマール版全集を合わせれば全二十一巻三十三冊にもなる。本書に収録された文章が、膨大な資料から、確固とした選別眼と気の遠くなるような努力によって厳選されたものであることが察せられよう。この選出自体、トクヴィル研究に対する大きな寄与だ。しかも、そうして選び抜かれた文献が、第一線で活躍中の研究者によって正確に翻訳されている。さらには、丁寧な解題が各編の末尾に付されている。本書の学術的貢献は誠に計り知れない。(なお、これらの選書と全集は大学附属図書館などいくつかの国内施設に所蔵されている。ぜひ一度実物を手に取って、本書に注がれた莫大な知力と労力を実感されたい。)
選ばれた珠玉の文章の内容は、アンシァン・レジームおよびフランス革命に関する論考、あるいは貧困などの社会問題に関わる論考であり、トクヴィル自身がその渦中を生きた二月革命に関連する報告や演説である。さらに、アカデミー・フランセーズ等での演説であり、アメリカのみならずイギリス、アイルランド、アルジェリア、シチリアへの旅行記である。そして最後に、本書全体のおよそ三分の一を占める家族・知人への膨大な書簡である。
こうした一次資料のおかげで、我々は、民主主義の古典的名著『アメリカのデモクラシー』の、さらには『アンシァン・レジームとフランス革命』『フランス二月革命の日々 トクヴィル回想録』の著者が、どのような歴史的経験を背負いながら自らの思想を形成していったのかを知ることができる。アレクシスはアメリカに、アンシァン・レジームとフランス革命に、二月革命に何を感じ、何を思ったのか。公言できない本音を気の置けない友人や家族にどのように吐露したのか。本書に収録された文献が、一人の人間としてのトクヴィルの思想を、直接体験の臨場感をもって、生々しく浮かび上がらせる。この生々しさこそ本書の最大の魅力であり、あの「密やかな楽しみ」の源である。
追体験ともよぶべきこの読解によって、読者の前には、旧来のそれを越えたトクヴィル像が、「民主主義の古典的論者」にとどまらない新たなトクヴィル像が立ち現れてくることだろう。それは政治思想家としてのトクヴィル理解を拡張し、法律家・政治家として、また歴史家として、さらには社会科学者として再評価する礎となる。本書は、次世代の研究者によって――まだトクヴィルに出会ってさえいない若者によって――新たな、より広くより深いトクヴィル像が描かれる、そのための必須の基礎資料となるにちがいない。
そのような世代間の継承は、既に本書の誕生過程に内包されている。「訳者あとがき」に記されているように、本書の企画を立ち上げられた富永茂樹京都大学名誉教授は企画進行の途上で逝去された。その遺志を受け継ぎ、続く世代の研究者たちが完成させたのが本書なのだ。そこに込められた富永氏の想いと、これを引き継いだ若い研究者たちの想いが、この書物に独特の迫力を与えているように感じられる。
このことを端的に示しているのが「日本における受容」と題された節である。そこにあるのは「自由原論〔総論〕」と題された一編の文章のみ。これは一八八一年から八二年にかけて『自由原論』の訳題で刊行された、肥塚龍氏による『アメリカのデモクラシー』の翻訳書(英訳からの重訳)の序章を、現代かな遣いにあらためた上で収載したものである。
この一編は「トクヴィルの日本における受容の様態と影響を明らかにしたい」という富永氏の強い意向によって収載されたとのこと。解題に記されたその詳しい経緯を含め、世代を越えた継承活動としての、いわば「終わらない営み」としての学問の姿を、この文章の再録に確かに見て取ることができよう。
ところで、本書に収録されたトクヴィルの文章、中でも書簡は、専門書や学術論文等で個別に紹介されたことはあるものの、これほどまとまった量と形で、しかも日本語で公刊された例はこれまでにない。本書の登場によって、トクヴィルの思想の深奥が、学界の枠を越えて広く一般社会に伝わることが期待される。
現代世界を見渡したとき、日本のみならず各国において、地方政治から国政に至るまで「多数の暴政」とおぼしき事態が生じていることに異論の余地はなかろう。この現状は、学者だけでなく一般の人々に実感され様々に論じられている。例えばポピュリズムという逸脱として、あるいは民主主義の限界として、ないしは民主主義の代償として、さらには民主主義の本質として。
そんな中、本書に収録された文献を丹念に読み解くことによって、こうした現実を根底から問い直すことができるようになるだろう。その意味で本書の刊行は、今後の学術研究の発展に資するだけでなく、現代民主主義に対する我々自身の理解を再考し、我々自身の今後のあり方を見据える重要な契機なのだ。
以上、本書は、揺れ動く日本社会、揺れ動く世界にあって、絶妙のタイミングで現れた書物である。専門研究者のみならず、民主主義を生み出した淵源を知り、これを受け継ぎ、これを自ら生きようとする諸氏にぜひ繙いていただきたい。(石井三記・稲永祐介・宇野重規・北垣徹・塩谷真由美・白鳥義彦・髙山裕二・前川真行・松本礼二・山室信一訳)(きくたに・かずひろ=一橋大学教授・社会学史・社会思想史)
★アレクシス・ド・トクヴィル(一八〇五―一八五九)=フランスの政治思想家・法律家・政治家。貴族の家系に生まれたが、フランス革命で親族が多数処刑。終生リベラリズム研究に没頭する。著書に『アメリカのデモクラシー』など。
★とみなが・しげき(一九五〇―二〇二一)=京都大学名誉教授・知識社会学。著書に『都市の憂鬱』など。
書籍
| 書籍名 | トクヴィル選集 |
| ISBN13 | 9784622098140 |
| ISBN10 | 4622098148 |
