2026/06/19号 6面

終わらぬ震災 それぞれの15年

終わらぬ震災 それぞれの15年 片岡 遼平著 雁部 那由多  東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から一五年が経過した。街並みは変わり、災害公営住宅が建ち、道路や防潮堤などの復興事業も進んだ。けれども、それによって〝震災〟は終わったわけではない。外から見える「復興」の風景が整えられるほど、なお苦しみ続ける人々の生活は見えにくくなる。本書は、その現実を写真とルポルタージュによって掘り起こす試みである。  著者の片岡遼平は、震災直後から被災地支援に関わり、岩手・宮城・福島を訪ね続けてきた。第一章では、東日本大震災と原発事故の一五年が「人権」の視点から振り返られる。第二章では岩手県・宮城県の四人、第三章では福島県の四人の歩みがたどられ、第四章では、ボランティア活動としての救援物資搬送や縁台製作などを通じ、仮設住宅という不安定な住まいのなかに、語り合い、他者と出会う小さな生活環境がつくられていく過程が記録される。  第一章「東日本大震災と人権」は、本書全体の基調をなす。著者は、震災関連死、避難所、仮設住宅、復興事業、原発避難、放射線被ばく、原発避難者への偏見などを、単なる被害の項目としてではなく、人々の生活と尊厳を脅かした社会問題として記述する。とくに重要なのは、「災害は人々を平等には襲わない」という視点である。避難所では、高齢者、障がい者、女性、子ども、病人、ひとり親家庭などが深刻な困難に置かれた。仮設住宅でも、時間の経過とともに住民間のつながりが失われ、被災者同士、また被災者と非被災者のあいだに亀裂が生じていく。  第二章「震災復興の陰で」では、大船渡市の平山睦子さん、気仙沼市の村上充さん、陸前高田市の佐々木一義さん、気仙沼市の塩田賢一さんが取り上げられる。ここで描かれるのは、復興事業の背後でなお続いていた生活再建の困難である。避難所、仮設住宅、災害公営住宅へと移る過程、仮設住宅での住民自治、かさ上げや区画整理によって変貌した街への思いが、彼らの人生の歩みとともに記される。  第三章「原発事故 失われた故郷」は、福島第一原発事故が人々から何を奪ったのかを問う章である。原発事故の被害は、一時点で完結しない。被ばく不安、差別や偏見、賠償をめぐる分断、帰還政策、除染、故郷の解体と変貌が、長期にわたって人々の生活を拘束し続ける。  第四章では、縁台製作などの支援活動を通じ、仮設住宅という不安定な住まいのなかに、語り合い、他者と出会う小さな生活環境がつくられていく。  本書がもつ意義を評者の災害社会学から見るならば、「復興」を外から見える景観の回復としてではなく、人々の生活のなかでなお続く過程として捉えている点にある。たとえば生活環境主義の立場から言えば、人の心そのものを直接に知ることはできない。しかし、人々がどのような生活環境のなかで、何を失い、何に苦しみ、何を支えとして生きてきたのかをたどることはできる。本書は、その意味で「人々の心」に接近しているといえよう。  本書の記録は、過去の出来事を固定された教訓として保存するものではない。移り変わり続ける社会の現実のなかで、人々がなお何に苦しみ、何を失い、何を支えに生きようとしているのかを、次の社会に生きる人々に手渡す営みそのものである。本書に登場する人々もまた、復興の物語に回収される存在ではない。故郷を失い、住まいを移され、それでも生活を続けようと必死にもがいている。著者はその姿を残そうとしている。  評者自身もまた、東日本大震災の被災を実際に経験し、本書で描かれた現実に多少なりとも触れてきた。本書を読むことは、いまだ苦しみ続ける人々のまなざしをどのような言葉で受け止め、次へ手渡すのかを問われる経験であった。『終わらぬ震災』という題名は、比喩ではない。震災から一五年が経過したいまも、震災は多くの人々の生活のなかで終わっていない。そうした現実を掘り起こし、残そうとする本書の姿勢に、深い敬意を表したい。(がんべ・なゆた=東北大学大学院文学研究科博士後期課程・災害社会学)  ★かたおか・りょうへい=解放新聞埼玉支局編集長。編著に『石川一雄短歌に託して』など。一九八二年生。

書籍

書籍名 終わらぬ震災 それぞれの15年
ISBN13 9784759268249
ISBN10 4759268243