ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか
西方 ちひろ著
吉井 千周
二〇二一年二月一日、ミャンマー国軍はクーデターを起こし、民選政権を率いていたアウン・サン・スー・チー国家顧問や与党・国民民主連盟(NLD)の幹部らを拘束した。これは前年の総選挙でNLDが圧勝した結果を国軍が不正選挙と主張し、権力を掌握したことによる。国軍は非常事態を宣言し、最高司令官ミン・アウン・フラインが実権を握った。これに対して国内では大規模な市民不服従運動やデモが発生し、多数の死傷者が出た。国際社会は軍の行動を非難し、制裁を強化したが、軍政は弾圧を続け、内戦状態が悪化している。民主化運動の弾圧と人道危機は現在も続いている。
本書は、そうした軍事クーデター発生後のミャンマーの状況を、当時ヤンゴンで開発関係の業務に携わっていた日本人が記したものである。国軍により何度もインターネットが遮断され、身元発覚の恐れ(それはすなわち、著者自身が拘束される可能性もある)もある中で、著者の手で世界に発信された二〇人以上のミャンマー市民の声が克明に記録されている。本書を通して、著者は自らを傍観者としてではなく、自身がミャンマーで生活する一市民としてクーデターを臨場感ある記述で見事に描ききっている。
本書冒頭では、日本では十分に伝えられなかった軍事クーデター直後のヤンゴン市内の様子が描かれる。市民達がプラカードを掲げ、鍋や釜を一斉に叩くといった抗議活動、また、医療関係者や教師たち公務員が、「私たちは公正な選挙で選ばれた政権のもとでしか働かない」と仕事をボイコットする市民不服従運動には、市民が創意と連帯で国軍に抗した姿が見て取れる。投獄中のアウン・サン・スー・チーの非暴力主義の方針を受けての活動だ。これまでの軍政に抗してきた市民達のユーモアを含む抗議活動のたくましさが頼もしく映る。
しかし、国軍の弾圧はそうした市民の希望を踏みにじる。平和的デモへの実弾射撃、路上に倒れた市民へのさらなる暴力、拘束者への苛烈な拷問など、国軍の弾圧は壮絶さを増していく。市民不服従運動は行き詰まり、市民は「このまま虐殺されるのを待つだけで良いのか」という極限の問いに直面する。本書の中盤以降、市民の中に非暴力から転向し、慣れない銃を手にして、人民防衛隊に身を投じるに至る数多の市民の声を著者は拾いあげる。その記録に登場するのは将来を夢見る大学生、教壇に立つ教師、患者を救ってきた医師や看護師といったごく普通の人々だ。ミャンマー市民は在りし日の民主化後の生活を守りたかっただけであり、著者は、そうした人々の声に真摯に寄り添い、私たちが日本で読む断片的なニュースからこぼれ落ちる生活の手触りと感情の機微をその記述で呼び戻す。日本では「武装勢力」と一括されて報道される言葉の背後には、血の通ったそれぞれの思いから人民防衛隊に参加する市民がいることを気付かせる。
著者が本書のタイトルとして採用した「優しい市民はなぜ武器を手にしたのか」という問いは、ミャンマーの悲劇の深層に触れるだけでなく、民主主義や自由が暴力で脅かされたとき、人は何を選びうるのかという、私たち自身への問いへと接続する。「もし自分や家族の生活から、民主制が奪われたらどうするか」。読み進めるほどに、その問いは重さを増す。民主制を踏みにじる政府の暴力が表面化したとき、傍観や沈黙が、その暴力の持続に加担しうることになる現実から目を逸らさせない。
ウクライナやガザの惨禍が連日伝えられる一方、残念ながらミャンマーの話題は日本の報道から次第に消えてきている。クーデター発生後に国連総会では暴力停止を求める決議を採択したものの、国軍による市民への弾圧は続いている。二〇二五年四月時点の推計で、死者は六四三五人、国内避難民は三百五十万人超、拘束者は二万人以上に及ぶと報じられているが、私たちは、ほとんど報道されなくなったこの「遠い危機」にどれほど切実に向き合えているのだろうか。本書は、安全圏に生きる私たちが無自覚にミャンマー国軍の弾圧との間でとってしまっている距離感の危うさについても鋭く突きつける。(よしい・せんしゅう=椙山女学園大学外国語学部教授・法社会学)
★にしかた・ちひろ=学生時代に世界各地を旅し、日本と途上国との格差を目の当たりにする。卒業後、国際開発の仕事に従事し、アジアなどで働く。関西出身。
書籍
| 書籍名 | ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか |
| ISBN13 | 9784834254099 |
| ISBN10 | 4834254097 |
