- ジャンル:民俗学・人類学・考古学
- 著者/編者: 庄田慎矢
- 評者: 小倉ヒラク
古代の酒に酔う
庄田 慎矢編
小倉 ヒラク
実に興味深く、想像力の膨らむ本である。さらに特筆すべきは、「学際的であること」のお手本のような構成だ。
奈良時代、約一三〇〇年前に醸されていた酒がどのようなものだったのかを再現してみたらどうなるのか? これが本の主旨。なのだが、酒における「液体」という長く残せない性質、さらに「味」というこれまた定量的に記録することができない感覚が重なることで、「古代の酒はどのようにつくられ、どのような味だったのか?」ということを検証するためには様々なアプローチからの知識が必要になる。
第一章は、古代の酒を醸す容器、甕の〝考古学〟によるアプローチ。第二章は甕をはじめ土器を具体的にどうつくるのか、〝作陶技術〟の解説。第三章は奈良時代に実在した長屋王が造らせた酒の資料を元にそのレシピを〝醸造学〟の知見をもとに分解再構築し、第四章では実際にそのレシピを職人が〝酒造技術〟を用いて再現する。第五章では長屋王の酒がどのような微生物の発酵作用によって醸されていくのかを〝微生物学〟によって紐解き、第六章では古代の酒を世界各地の酒造りと〝人類学〟の方法論で比較・相対化していく。ここに挙げた全ての基礎知識を持っている人はよほどのツワモノだろうが、考古学や人類学などの人文系の学問に興味があれば歴史の謎解きとして楽しめるし、発酵醸造に関わっている人なら一三〇〇年前の日本人がどのように酒を楽しんでいたかを詳細にイメージできるはずだ。
それでは「長屋王の酒」とはいかなるものなのか、本書を読む際の補助線としていくつかコメントしておきたい。長屋王の酒と現代の酒の共通点は、水と米と麹が原料なこと。違うのは醸造の方法だ。長屋王の酒は ①土製の「甕」で醸す、 ②少量で仕込む、③シンプルな工程で短期間で仕上げる。いっぽう現代の酒は、巨大なタンクに大量の材料を入れ、複雑な工程を経て数ヶ月かけて仕上げていく。日本酒は自家製のどぶろくのようなものから、一〇〇〇年以上かけてスーパーやコンビニでも流通できる工業製品に発展していったわけだ。
これまで「中世の酒」は様々な酒蔵や研究者が再現してきた。しかし「古代の酒」は情報が必ずしも多いとはいえない文献が残っているのみで、憶測の枠を出ることはなかった。本書は、研究者とクラフトマンが協働し、古代の甕を焼き、古代の麹をつくり、古代の環境に近い状態で「当時の技術水準ならばおそらくこのように造っていたであろう」という醸造法を実践する。その結果生まれた味わいを検証するために、アジアやアフリカの伝統的な酒と比較する。いいオトナが、立場を超えて知見を持ち寄り、時間とお金を注ぎ込み、真剣に古代長屋王にシンクロしようとしている。真面目にやればやるほどおかしさと愛しさが込み上げてくる不思議な本だ。
最後に醸造の専門家として面白かったポイントを挙げておく。甕は現代のタンクのように表面がツルツルではなく凹凸がある。そこに土着の微生物が付着するので、容器自体が発酵を促すスターターとして機能する。短期間で微生物たちが活発に働いて一気に仕上がった酒。それはフレッシュで甘酸っぱい、ジュースに近いような味わいだったはずだ。古代では長期間熟成させた酒よりも、一気に仕上げて新鮮なままで飲む酒のほうが価値が高かった。ボディよりも飲みやすさ、コクよりも甘さなのである。この傾向は実はワインでも一緒で、ローマ時代以前の古代のワインは甘酸っぱくて軽いもののほうが上等とされていた。これは新成人がカクテルやチューハイから酒を飲み始めるのと一緒で、人類の歴史もまた、甘酸っぱくて軽い酒から徐々に辛口で飲み応えのある酒を嗜好するようになったといえるだろう。
なお古代の酒復活プロジェクトの中心を担った奈良の油長酒造(「風の森」という銘柄が知られている)では、定期的に甕仕込みの日本酒をリリースしている。本書を読み終わったら、ぜひ古代のロマンを舌で体感してほしい。(おぐら・ひらく=発酵デザイナー)
★しょうだ・しんや=奈良文化財研究所国際遺跡研究室長・考古生化学。著書に『青銅器時代の生産活動と社会』『ミルクの考古学』、共編著に『武器型石器の比較考古学』など。
書籍
書籍名 | 古代の酒に酔う |
ISBN13 | 9784642084673 |
ISBN10 | 4642084673 |