詩 和合 亮一  東京ビックサイト。冬の初め、話題の「文学フリマ」の盛況を会場で目の当たりにした。三千を軽く超えるブースが並び、およそ二万人ほどの動員があった。客層は音楽フェスティバルなどと同じく若い世代が主流。本、そしていわゆるSNS世代が作り出す「ZIN」と呼称されている雑誌や同人誌の数々が所狭しと並んでいた。言わばインターネット媒体と紙媒体の両輪で、言葉を発したい、求めたいという新しいうねりが感じられた。  小説、エッセイ、短歌など様々なジャンルが並ぶ。詩のエリアも活況があった。ブースを挟んで、書き手と読み手とが直に話し合い、詩集や雑誌が手に取られていく。昨今において、若い世代による書き手の層がしだいに厚くなってきているように感じられるのも、こうした風潮の始まりのなかで、言葉の芯を探り当てようとする詩という文学が深く求められているからだとあらためて現場で直感した。  新しい世代から、詩とは何かと問われていることに等しい。城戸朱理『火山系』『海洋性』(共に思潮社)はその問いへの答えに深層から迫ろうとする傑出した二冊(同時刊行)であった。森羅万象に普遍なる真理を求め続けてきた詩人の詩業の高まりに満ちる。  「謎までが謎でなくなるほど/あまりにも広やかに開かれている、空/ときとして 人間には/それが謎に見える」。謎そのものが詩と呼ぶにふさわしい。「世界の果ては自分の背中にしかなく/終わりと始まりが衝突しては/時間が死ぬときがちかづいている」。流されない詩の芯をつかむ凄みが詩人を感性の火山と海へと向かわせた。北川透『プリズン ブレイク』(書肆侃侃房)、時里二郎『伎須美野』(思潮社)の筆力にも圧倒された。  「ぼくは手紙を書いてまわる/地下の通路という通路に/暗い秘密にたえられないから」。岡本啓『ノックがあった』(河出書房新社)は絶え間ない世界の光と闇の時間の波を追いかけて果敢に書き続ける姿が見えた。大崎清夏『暗闇に手をひらく』(リトルモア)にはこの時代だからこそ書かれなくてはならない清新な詩の響きが全体を包みこんでいた。「暗闇に両手をかかげ/そして ひらいてごらん」。青柳菜摘『亡船記』(thoasa)、究極Q太郎『散歩依存症』(現代書館)、水無田気流『FULL L』(書肆侃侃房)、森山恵『むらさき野ゆき』(思潮社)、小林坩堝『落下の夢』(同)のいずれにも、詩という生身がそれぞれの言葉の試みに宿っていて、新鮮な読後感を残していた。  若手の活躍がめざましかった。花氷『オ・ラパン・アジルの夜』(思潮社)、たかきびわ『かみのけの川』(同)、渡辺八畳『唇に磁石』(七月堂)、素潜り旬『自画像と緑の光線、アワーミュージック』(港の人)、西プネウマ『ぜんいんでしゅくふくせよ』(左右社)が、若々しい筆先でこれからの詩の土台を築きあげようとする意欲に満ちていた。新しい世代の眼差しが未来を占っている。(わごう・りょういち=詩人)