2026/09/04号 3面

グローバル・イスラーム

グローバル・イスラーム ナイル・グリーン著 富沢 壽勇  本書で言うグローバル・イスラームとは、グローバリゼーションが進む近代以降に国境を越えて活動する宗教活動家、組織、国家が奨励する教義や実践、要するに様々なバージョンのイスラームを指す。著者はこれらのアクターが、グローバリゼーションのもたらした新しい技術、メディア、インフラなどのメカニズムを「道具箱」として効果的に活用してきたことに注目する。一方、著者の言うワールド・イスラームは、グローバリゼーションが始まる前の千年間に発展し、様々な地理的環境に適応していた古いバージョンのイスラームで、スーフィーやウラマーなどが伝統的な宗教的支配者層を構成し、聖者や聖廟の信仰ともつながる歴史をもち、グローバル・イスラームによる批判の対象となった。  本書は、一八七〇年から二〇二〇年に至る一五〇年に及ぶグローバル・イスラームの発生と展開を歴史的に論じるため、五〇年単位で三つの時代(一八七〇―一九二〇年/一九二〇―一九七〇年/一九七〇―二〇二〇年)に分けて論じている。第一期では、植民地帝国の中心に蒸気機関と印刷という新技術が結びつき、「新しい宗教起業家」を通じてグローバル・イスラームが出現し、イスラームのサラフィー主義(原初主義)が形成され、ワールド・イスラームへの批判が進行する。第二期では、帝国に基づく世界システムが崩壊し、世俗的ナショナリズムが支配する。これに対し、国境を越えるイスラーム組織が重要なアクターとして台頭しはじめ、やがて国家がグローバル・イスラームの重要なスポンサーとなる。第三期は、イランのイスラーム革命に始まり冷戦の終結を経て、シャリーアを推進する国家の役割が増大する。新自由主義の世界秩序の下で安価な飛行機旅行、衛星放送、インターネットが普及し、国境を越えるイスラームNGOやシャリーア準拠型金融機関の拡大も顕著になる。評者自身は近年ハラール産業研究に関わるが、同産業はまさにグローバリゼーションの道具箱が駆使されて展開しており、グローバル・イスラームの一環として読み解くことができると再認識した。  さて、著者が強調するグローバル・イスラームの多様性、分裂という状況をどう捉えるか。歴史学者は物事を一般化することに注意深く、事象の個別性や多様性に焦点を当てる傾向があるので、この強調点も理解できないわけではない。しかし、著者自身、多様なグローバル・イスラームが共有する聖典主義的かつ理性主義的な共通の方向性、シャリーアの拡大を目指す相互連携した運動という共通の側面を認めていることに鑑みると、その統一性よりも分裂に強い光を当てようとする姿勢は、どこか欧米の反イスラーム的、イスラーム恐怖症的な読者を意識しているのではとも思われた。評者の穿ち過ぎであろうか。  本書の最も興味深い論点は、近現代に欧米中心に登場した様々な新しい技術やインフラ、宣教や組織化の技法などの道具箱をムスリムが積極的に活用し、自らの活動を発展させてきたことの実証にある。その意味では本書の「宗教のグローバリゼーションに関する研究」あるいは「ムスリムのグローバル・ヒストリー」としての側面より、評者はむしろ、欧米を含めたまさしくグローバル・ヒストリー自体をイスラーム世界の視座から反転させ、再構成した点が本書の最大の魅力であると考える。なお、本書では著者自身も自覚している通り、グローバル・イスラームの「供給側」(宗教的アクター)に議論が限定され、「需要側」、すなわち「供給側」が提示する宗教的方向性に従ったり拒絶したりする普通の人々のことは扱われていない。この問題は、様々なローカルな状況に対する周到な社会学的調査を必要とすると著者は言う。ちなみに評者らは近年、東南アジアを中心にイスラーム主義と在地社会の応答について臨地研究に基づいた国際共同研究を東京外大AA研で進めてきたが、このような試みがさらに世界各地に拡大されて行くことを期待したい。(黒田彩加訳)(とみざわ・ひさお=静岡県立大学副学長・特任教授・文化人類学・イスラーム圏東南アジア地域研究)  ★ナイル・グリーン=カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授・南アジア・イスラーム史・スーフィズム・ムスリムのグローバル・ヒストリー)

書籍

書籍名 グローバル・イスラーム
ISBN13 9784409420270
ISBN10 4409420275