2025/07/04号 5面

「ルイス・ブニュエルが撮影した人々」(ジャン・ドゥーシェ氏に聞く)397

ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 397 ルイス・ブニュエルが撮影した人々  JD ヌーヴェルヴァーグには、東西を問わず、若い映画監督たちが若い人々のありのままの生活を撮り、それまでの伝統的映画を破壊する気概がありました。たとえ年配の映画作家がヌーヴェルヴァーグの作家となったとしても、反伝統的な若い精神を持ち続けていたのです。オリヴェイラなどつい先日まで、非常に若い映画作家でした。彼の映画は、完璧主義に陥ることもなく、常に新鮮だったのです。多くの映画監督が、キャリアを重ねるにつれて、自らの表現を狭めて、似たような映画ばかり作っていくのとは正反対でした。ゴダールは現在でも、まさしくそうした態度を貫き通しています。他にもスコリモフスキーやヴァーホーヴェンも決して自らの映画に満足することなく、新しい映画を作り続けています。  HK アルベルト・セラも常に新しい映画を作り続けている映画作家の一人です。しかし、ヌーヴェルヴァーグ的ではないのかもしれません。そうした映画の歴史を超越する、現代の芸術家のようにも見えます。  JD セラは、すでにヌーヴェルヴァーグの世代ではありません……。彼はとても若い。その若さが映画を撮る原動力となっています。要するに、スペインの映画の歴史などは無視して、さらにはフランス映画の歴史も無視しているのです。それに加えて、一般的な意味での〈歴史〉も無視しています。彼の関心にあるのは、自分自身です。しかし、そうした〈何もかもを気にしない態度〉には、どこかで背景にある歴史の重みを感じさせるものがあるのです。だからこそセラの映画は、興味深い。  誰一人として、死に向かいつつあるルイ一四世の最後の数時間を、セラのようにして撮ることはなかった(『ルイ一四世の死』)。才能のないありふれた映画監督が、太陽王の死の瞬間だけを撮影しても面白くはならないからです。たとえ才能のある映画監督であっても、スピルバーグみたいなアメリカ人には絶対に撮ることはできません。彼らには、シナリオと呼ばれる物語が必要だからです。セラのような映画を撮るには、絶対的な自信がなければいけません。仮に『ルイ十四世の死』をロッセリーニが見たとしたら、打ちのめされていたはずです。ロッセリーニですら、セラのようなことは考えていなかった。もし考えていたとしても、彼の置かれた状況もあって、その実現に至ることはなかったでしょう。そうした意味においても、セラは映画史の延長上にあるのです。  HK それにしてもセラの映画は、スペインを感じさせない一面があります。そもそもスペインという国の歴史を考えてみると、フランコ政権時代とヌーヴェルヴァーグの世代が重なっていました。そういうこともあって、ヌーヴェルヴァーグという観点や映画の世代的引き継ぎという側面から見ると、複雑な歴史が横たわっているのがわかります。だからセラ自身も、スペインの映画作家であるという自負を、然程持っていないのではないでしょうか。  JD ええ。スペインの映画の歴史は、残念ながら、生まれながらにして息を止められたようなところがあります。スペインには、絶対に忘れることができない作家がいます。ルイス・ブニュエルです。一九三〇年代初め、ブニュエルはたった一人で、フランス、イタリア、ドイツの映画作家たちに匹敵していました。『アンダルシアの犬』を撮り、そして『糧なき土地』を撮ってしまった。『糧なき土地』は、当時の世界中の映画において最も過激な作品でした。世界中のあらゆる映画作家が、人々の関心を満足させるために、〈美しい世界〉を見せることを考えていた中で、ブニュエルはスペイン政府が隠そうとしていた人々の姿を撮影した。彼が撮影した人々は、実際にアンダルシアに存在していたのです。食べるパンすらなく、生きるためにはあらゆることをしなければならなかった。そうした人々は、今日では歴史の影に埋もれてしまい、誰も語りませんが、スペインだけではなくフランスでもピレネー山脈の近くに存在していましたし、ヨーロッパのあらゆるところに生活していました。ブニュエルは、そうした人々の姿を演出しながら撮影することにしたのです。〈次号へつづく〉 (聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ) 〔写真は、ドゥーシェ(中央)の右横にパスカル・ボニゼール(リヴェットの脚本家)、その横に女優のビュル・オジエ、その上に映画監督のバルべ・シュローダー〕