2026/03/06号 3面

ヒッチコックをさがせ!

ヒッチコックをさがせ! D・A・ミラー著 堀 潤之  これほど面白く読める学術書はそう滅多にない。主に取り上げられるのは、交換殺人をテーマにした『見知らぬ乗客』(51)、全篇を擬似的なワンショットで撮った『ロープ』(48)、そして誤って殺人犯とされる男の悲劇を実話に即して描いた『間違えられた男』(56)という三本のヒッチコック作品である(日本語版には書き下ろしの『ダイヤルMを廻せ!』(54)論も収録されている)。『めまい』(58)や『サイコ』(60)などと比べて一般的な知名度は劣るかもしれないが、いずれもキャリア中期の秀作だ。本書で繰り広げられるのは、私たちが何度も見て慣れ親しんでいたはずのこれらの作品群が、まるで見覚えのない異様な作品へと不可逆的な変容を遂げるという、不気味なプロセスにほかならない。  その変容は、これまでおそらく誰も気づいていなかった細部――特に、ヒッチコック自身のカメオ出演や、編集上のミステイクに関するもの――が次々と明るみに出されることによってもたらされる。たとえば、『見知らぬ乗客』ではヒッチコックが分かりやすく登場する序盤のシーンよりも前に、彼の写真が裏表紙に載せられたペーパーバックを登場人物が手に持っているのがほんの一瞬だけ映るというより密やかなカメオ出演がある。あるいは、『間違えられた男』では主人公の家の玄関にあるはずの鏡がシーンによって消滅していたり、同じ護送車の番号が異なっているといった「コンティニュイティ・エラー」が少なからず存在する、等々。そもそも、厖大なヒッチコック研究のコーパスにまだ記載されていない「発見」があること自体が驚きだが、著者が引っくるめて「隠し絵」と呼ぶそれらの秘められた細部の数々は、一見したところ些末なようでいて、いったん気づいてしまうと無視しがたい「染み」のようなものとしてその存在を誇示し始める。しかも、無謬の演出によって観客を意のままに操ろうとしたこの映画作家にあっては、「隠し絵」が意図的なものなのかそうでないのか判別不能であることもしばしばなのだ。  本書でこうした発見そのものと同じくらい興味深いのは、発見に至るまでの過程である。著者がふだんヒッチコック作品をどのように見ているのかを告白するくだりはとりわけ印象的だ。極度の集中を要する彼の作品群は、通常の映写速度で見ても決してその秘密を明かすことはない。そのため、DVDというデジタル再生装置を駆使して、超スローモーションで、全篇を見るのに何日もかけない限り、作中の「隠された真実」を見出すことはできないというのだ。「『間違えられた男』を二分間観ることほど疲労の激しい仕事はない」と吐露するこの著者の鑑賞の仕方がほとんど狂気の沙汰であることは明白だろう。作品と親密に触れ合いたいという欲望を満足させようとすればするほど、彼は当の作品の本来の姿――だがその姿とはいったい何か?――からは懸け離れた、思いも寄らぬ異形の様相へと導かれていくのだ。  作品の全体像をほどよい距離から捉え、しかるべき細部を手際よく「精読」する代わりに、この批評家は「超近接的映画鑑賞者」として、狂わんばかりの愛の対象との不可能な融合を試みる。その際、彼は「スクリーンに入りこむ」という昔からよくある妄想だけでなく、逆に「スクリーン上の事物が私のなかに入りこんでくる」という「はるかにいかれた妄想」にも囚われるという。対象との距離をほとんど失うことで、愛着と嫌悪に同時に取り憑かれるわけである。「作品」との遭遇の仕方として、これほど激烈なものはないだろう。  かつてヒッチコックが周到に仕掛けておきながら、長らく人の目に触れてこなかった映画的テクストの細部が、この稀代の批評家の常軌を逸した観察眼を触媒として、半世紀以上の時を経て不意に目の前で活性化するとき、誰もが動揺せずにはいられまい。ヒッチコック作品に通じた読者にも目から鱗が落ちる体験を約束する、強烈な一書である。(佐藤元状訳)(ほり・じゅんじ=関西大学教授・映画研究・表象文化論)  ★D・A・ミラー=アメリカの比較文学者・映画・一九世紀文学。カルフォルニア大学バークレー校名誉教授。著書に『小説と警察』『ジェイン・オースティンあるいはスタイルの秘密』など。一九四八年生。

書籍

書籍名 ヒッチコックをさがせ!
ISBN13 9784766430660
ISBN10 4766430662