書評キャンパス
『ダメ男小説傑作選』
金子 光輝
現代ではハラスメントやコンプライアンスなどが厳しくなり、何かと潔癖で無害なことが求められる世の中になってきたと思う。しかし、完璧な人間などこの世にはいない。誰しもが自分の悪さや弱さ、そしてダメさを抱えている。そういった部分を否定せずに受け入れることや許すことも大事なのではないだろうか。
本書、『ダメ男小説傑作選』には明治期から現代に至るまでの様々な作家――田山花袋や太宰治といった有名どころから、上林暁や岡田睦といった書き手まで――が描き出す不倫や暴力、無職、酒と薬の中毒など、数々の「ダメ男」が載っている。
ダメ男小説の多くは私小説の形態をとっており、それはすなわち、作家自身のダメさの発露でもある。そして、自身のダメさを描き出すことはすなわち自身の弱さを認めることでもあると思う。その意味で、本書はクリーンになりすぎた現代社会にアンチテーゼを突きつけると同時に、読者も抱えるダメさへの一種の救いになる作品集であるのかもしれない。
本書の中で、筆者は西村賢太に注目したい。西村賢太はすでに亡くなってはいるが、現代を代表する私小説、そしてダメ男小説の書き手である。本書に掲載されている西村賢太の小説「棺に跨がる」では同棲相手へ暴力を振るう最低な男を描いている。主人公の北町貫多は敬愛する私小説家である藤澤清造の墓の再建と自身の生前墓を建てるため、石川県七尾市へと赴くのだが、その前々日、貫多は同棲相手の秋恵の些細な一言に憤慨し、彼女に蹴りを加える。その時、秋恵は肋骨を折ってしまう。想像以上にまずい展開になってしまい、とにかく貫多は警察沙汰にしないようにと秋恵に言いつけておくのだが、七尾に行っても彼女のことを気にかけている様が描かれている。
貫多にあるのは「罪」の意識よりも、自分が犯罪者になってしまうかもしれないという「恥」の意識である。他のダメ男作家たちと比較してみると、彼らには自身がダメ男であるということに対する罪の意識があるのだが、西村作品にはそれがあまり見受けられない。自分が暴力を振るってしまったことに罪悪感を抱くよりも、バレたら自分の身が危ないという自己保身をするところに西村賢太における「ダメ男」の精髄があり、それは同時に彼の弱さでもある。しかし、その恥の意識が作品を適度にエンターテイメント化することで、他の作家よりも親しみやすさや面白さを生んでいるのではないだろうかと思う。
また、西村賢太は本書に収められている作家の田中英光に深く傾倒しており、その田中英光は太宰治の弟子である。さらに、西村賢太は他にも、同じくここに収められている葛西善蔵や川崎長太郎といった私小説の書き手にも造詣が深く、そのことが直接「棺に跨がる」の中でも触れられている。つまり、この本は西村賢太へと繫がる私小説、ないしはダメ男小説の系譜でもあるのだ。
本書はアンソロジーなので各作家のいいとこ取りができる。その中から面白いと思った作家についてはぜひ個人の単著でも読んでみて欲しい。何かと生きづらい現代の世の中ではあるが、自身の弱さを見つめ、そしてそれを発露できる場としての小説の意義がここにはあると思う。
★かねこ・みつき=立教大学大学院比較文明学専攻修士一年。哲学を専攻しており、実存主義、中でも特にキルケゴールとヤスパースを研究している。文学では私小説に関心がある。
書籍
| 書籍名 | ダメ男小説傑作選 |
| ISBN13 | 9784991358517 |
| ISBN10 | 4991358515 |
