2025/12/12号 6面

装いの翼 おしゃれと表現と

装いの翼 おしゃれと表現と 行司 千絵著 松岡 瑛理  11月上旬、東京都練馬区にある「ちひろ美術館・東京」にて、本書の刊行をきっかけに開催された展覧会(『装いの翼』展)に足を運んだ。会場には絵本作家のいわさきちひろ(以下、ちひろ)、詩人の茨木のり子(以下、のり子)、美術作家の岡上淑子(以下、淑子)の三者の作品や、生前に着用していた衣服・愛用品などが展示されている。その片隅に、本書の著者である行司千絵氏が制作した衣服が飾られていた。地方紙で文化部の記者として働きながら、独学で洋裁を習得。母や友人のほか、瀬戸内寂聴氏や志村ふくみ氏など、これまでのべ80人の服を作ってきたという。パッチワークコートの色鮮やかさに、思わず見入ってしまった。  前置きが長くなったが、本書はかくも衣服を愛する著者が、先の三者について、生前どのように「おしゃれ」を楽しんでいたかを紹介する評伝である。生前に面識こそなかったものの、彼女たちは1910~20年代に生まれ、青春期に第二次世界大戦を経験しているという共通点を持つ。  青春時代の戦争体験が自身の生き方を方向づけたとして、「平和で、豊かで、美しく、可愛いものがほんとうに好きで、そういうものを壊していこうとする力に限りない憤りを感じます」という言葉を残したのがちひろだ。『装いの翼』展には、洋装学院に通ったちひろが手作りしたワンピースが飾られていた。1937年末上映のアメリカ映画『オーケストラの少女』で主人公が着用したドレスをモデルにしたものだ。青の布地に白、赤、黄などの小花柄が全体に敷き詰められたリバティ・プリントは、今見ても抜群に可愛らしく、実物を前に思わずため息が漏れた。  ちひろは終戦後、日本共産党に入党。人民新聞の記者として連載小説の挿絵や、料理のカットを描いた。ときに「プチブル的な花ではなく、労働者の真実を描け」という批判を受けることもあったが「かわいいもの、美しいものを表現して何が悪いの?」と反論したという。おしゃれも、子どもの絵も、ちひろにとって、自身の感性を守り抜くためにはどちらも必要なものだった。  のり子は1943年、17歳で薬学の専門学校に入学するが、敗戦後に観劇に目覚めたことをきっかけに、戯曲や詩の創作を始めた。1949年に医師と結婚、その9年後には東京・東伏見に一軒家を建て、戦禍で失われていた日常を取り戻すかのように、料理や裁縫、買い物などを楽しんだ。  本書にはのり子が43歳のとき、詩人・谷川俊太郎氏が撮影したポートレイト写真が掲載されている。水玉ブラウスに黒ジャケットを羽織り、煙草を手にする姿は、まるで映画女優のようだ。ブランドではイッセイミヤケやエルメスが好きだったが、これみよがしでなく、シンプルで上質なデザインを好んだという。日々の暮らしを謳歌する一方、先の大戦の始まりにも関心を持ち、日本の古代史や中国・韓国に関する専門書を熟読。代表作「倚りかからず」にあるような「いかなる権威にも倚りかからない」思想哲学を生涯にわたって貫き通した。  淑子は1950年、文化学院デザイン科に入学し、その後約7年にわたりコラージュ作品を制作した。作品の多くは、「LIFE」「VOGUE」といった海外誌の写真を素材としている。美術評論家の瀧口修造氏に見いだされ、画廊で個展を開催した後は、長らく美術の世界から離れていたが、2000年代に入って44年ぶりに個展が開催され、再び脚光を浴びている。  代表作「海のレダ」では、ギリシア神話に由来する女神と、白鳥とが渾然一体となって大海原を走り抜くイメージが表現される。神秘的だが、どことなく哀愁も漂う。戦後、次々に輸入される海外の雑誌や映画のイメージに憧れを抱きつつも、それらを「不気味な静寂」「冷酷な裁き」といった女性が持つ心の綾に変えて、知らずしらず作品に蒔いていた――と、淑子は後に制作時の思いを語っている。  本書には三者や、その作品の対象が「『おしゃれ』を手放さなかった」という表現がたびたび登場する。戦争を経験した女性表現者たちにとって「おしゃれ」とは日々の装いであると同時に、国家統制から自立した個人の表現そのものであった。着ることと、個人の尊厳とは分かちがたく結びついていることを改めて教えられる。(まつおか・えり=ライター)  ★ぎょうじ・ちえ=京都新聞社記者。同志社女子大学卒。独学で洋裁を習得、三歳から九三歳まで約八〇人に二九〇着の服を仕立てる。著書に『おうちのふく 世界で1着の服』『服のはなし着たり、縫ったり、考えたり』など。一九七〇年生。

書籍

書籍名 装いの翼 おしゃれと表現と
ISBN13 9784000254779