2026/02/20号 5面

検証 戦争に加担した日本文学

検証 戦争に加担した日本文学 小松 靖彦編 日比 嘉高  三冊の大部の論文集である。三巻組の本シリーズ「検証 戦争に加担した日本文学」は、第一巻から順に「支配される文学のことば」、第二巻「戦中から戦後への〈切断=連続〉」、第三巻「ソフト・パワーとしての〈萬葉集〉」という副題が与えられている。各巻のこれらの視座によって、戦争と日本文学の関係を論じる多様な論考群にパースペクティブが与えられており、シリーズの考察範囲を見渡すことは容易である。  字数の制限があり、大部である本シリーズの個々の論考について紹介できないのは残念だが、ざっと概観だけはしておこう。第一巻は主に、万葉集を中心とした古典作品が戦時下にどのような統制を受け、利用され、受容されてきたかを検証する。「ますらを」「みたみわれ」の語がいかに戦争短歌に受容されたか、「海ゆかば」が菊池寛の戯曲や沖縄の歌唱においてどう受け止められたのかが論じられる。言論統制下の万葉集および源氏物語のあり方が取り上げられ、また谷崎潤一郎や堀辰雄などといった個々の文学者の複雑な対応も追究されている。第二巻は、敗戦を迎え戦後になってから文学者たちが戦時の言動にどう向き合ったのかを検証し、また研究者が戦時の記録や事実にどのように向き合い、書き留めるのかを論じる。佐佐木信綱、窪田空穂、土岐善麿、土屋文明、前川佐美雄、齋藤史らといった歌人、石川淳、太宰治、坂口安吾ら小説家が検討される。第三巻は、東アジアを中心とした植民地や移民地、影響圏に目を向け、ソフト・パワーとしての万葉集を一つの鍵語にしながら、熱帯季題論、国語教育学者の石井庄司、『台湾萬葉集』を始めとした植民地台湾での万葉集受容、植民地朝鮮における「国文学」(後述)、中国における宮澤賢治テクストと万葉集、そしてその翻訳の問題など、東アジアを見渡す広い視野で論考が繰り広げられる。またこの巻では軍隊の内部における文学の利用、受容も取り上げられており、日清日露戦争期における短歌表現や風流、陸海軍の教育における武士道論や万葉集が検討の俎上に上っている。  本シリーズには論文だけではなく、ジョン・ソルト、栗原俊雄らの講演記録があり、金井清一、遠藤宏、小松靖彦三氏による座談会があり、「海ゆかば」をめぐる聞き書きも収録されている。資料紹介も豊富である。各種作品の紹介、今井福治郎著作目録、朝鮮など旧外地国語教科書・陸海軍国語教科書の調査、潜水艦内誌「不朽」の紹介などが収められており、資料的価値も高い。  当初、収められた論考の多くが雑誌論文の再掲載であることがわかったときには、一瞬、拍子抜けした。小松氏を中心としたメンバーが出していた研究雑誌『戦争と萬葉集』には折々目を通していたという書評者個人の事情もあった。だが、本書評を書くために本格的にページをめくり進めたとき、その感想は消え去った。既存の論考に補訂が加わっていたり、書き下ろしの論考が加わっていたり、ということだけではない。  私が一番スリリングに感じたのは、時間を掛けた研究者同士の対話が、この本の中には織り込まれていることである。雑誌発表から書籍刊行へと至る過程で、問題の提起と応答が起こり、その連鎖を記録しながら本企画は編まれている。一つ例を出せば朴光賢の植民地近代的意識に基づいた綿密な論考を受けて、小松靖彦が高木市之助──古典文学者で京城帝大、九州帝大の教授などを務めた──の再評価に挑んでいる論考がある。しかも小松は、この二本の論文を萬葉研究の先達である金井清一、遠藤宏に送り、両者と小松との座談会の中で話題として差し出している。朴の論考自体、空白の中心としてとらえられた「国文学」という学的制度が、戦後/光復後の朝鮮文学研究(=韓国の「国文学」研究)の出発において拘束となったという歴史を論じる極めて重要な省察だ。この朴の論文に対して、小松は高木市之助の業績を洗い直すことにより、特殊と普遍の間で螺旋運動をおこなった高木の軌跡を示し、朴の捉えた像が高木市之助の全体像ではないことを示した。しかもこの小松の高木評価は、計量的な手法によって普遍へ至ろうとした初期日本文学研究の挑戦に光を当てる指摘ともなっており、この着眼点は朝鮮半島における学知のポストコロニアル的再考察の文脈の外側──デジタル・ヒューマニティーズの文脈にも伸びていくものだ。  さて、いま特殊と普遍の間での螺旋運動について言及したが、もしかしたらこうした指向性は、編者である小松自身の一つの特徴なのかもしれない。本企画全体を見渡した際に私が受け取ったのも、二つの極の間の往還や、日本の軸をめぐる螺旋運動のイメージだった。二つの極や軸は、古典/近代、戦前/戦後、批判/理解、国内/国外、若年/年配であったりする。本書の各箇所で示されているとおり、「検証 戦争に加担した日本文学」と題しているものの、本書は硬直的な断罪の書ではまったくない。むしろ、戦争の時代を生きた過去の作品、過去の研究者を、いまどう評価するか、という課題をめぐる、それぞれの研究者による誠実な格闘の記録となっている。  気がつけば世界は変わった。戦争は気がつけば身近なところまで忍び寄ってきている。それは私たちの多くがイメージする「戦争の顔」をしていないだけだ。戦争に加担するのは上からの強制ではなく私たち自身の自己の、社会の、普段=不断の作り替えだということを私たちはここ一〇年ほどのあいだに目撃し続けているのではないのか。  そしてそのことを、過去の作品、過去の人の事歴来歴をたどることによって、私たちはあらためて嚙みしめるのだ。聡明で、感性に富み、力もあった人たちが、なぜ次第にこのような発言をするにいたっていったのか。「民衆の歌」はいかにして現れ、人びとの口から口へと伝播していき、国家規模の集団の感性を作り上げていったのか。  第二巻第五章において石原深予は、歌人前川佐美雄を取り上げ、前川が「「戦争の歌」を詠まないでいられた可能性」を論じている。ダダイズム、アナキズム、シュールレアリスムとの関係が論じられ、現代短歌の源流といわれる前川は、「戦争の歌」を批判さえしていたが、アジア太平洋戦争が押し詰まる中で翼賛歌を読むように転回したという。いったい、「「戦争の歌」を詠まないでいられる可能性」を、私たちはどうやったら保ち続けられるだろうか。  最後に資料紹介について一言付言する。資料が活字で公開され、保存されることの意義は大きい。一方おそらくデジタル化が完了しているそれらの資料を、同時にデジタル・アーカイブとしても保存公開する道はないのだろうか。紙の公開は持続性が期待できる一方、見出しにくく、そして使用ライセンスのあり方が明示されていないこともあって第三者による再利用が難しいことが多い。本シリーズに限らず、広くオープン・アクセス時代の「資料紹介」のあり方の問題として、考えるべき課題と思う。 (ひび・よしたか=名古屋大学教授・日本近現代文学・文化論)  ★こまつ・やすひこ=青山学院大学教授・日本文学(『萬葉集』および萬葉学史)・書物学・文学交流。著書に『萬葉学史の研究』(上代文学会賞、全国大学国語国文学会賞)『戦争下の文学者たち』など。

書籍

書籍名 検証 戦争に加担した日本文学
ISBN13 9784868030263
ISBN10 4868030264