近代天皇と競馬
高橋 一友著
鈴村 裕輔
著者が2024年度に京都大学に提出した博士論文「近代日本における天皇と競馬」をもとに、改稿と修正がなされたのが『近代天皇と競馬』である。博士論文の7つの章のうち第7章が割愛され、「はしがき」と「あどがき」が加えられた本書は、以下の6章によって構成される。
第1章「序論」では、問題意識と研究意義が示される。「日本近代競馬」という3つの単語からなる表現への着目から始まり、「天皇の競走馬」「ギャンブルを振興するミカド」「帝国の賭博者」といった本書の中心となる新たな概念を提示しつつ、近代日本における道徳的な統治者である天皇と悪としてのギャンブルの関係を検討することの意味が説かれる。近代競馬の発祥の地である西欧における国王と国民の関係とは異なる近代日本の天皇と臣民の関係を明らかにしうるというのが本書の眼目である。
第2章「競馬の歴史」は、日本に近代競馬がもたらされる以前の競馬の歴史を検討する。英国において近代競馬が誕生した要因として、産業革命や資本主義の発達を経た近代スポーツの誕生などに象徴される社会の近代化が最も重要であり不可欠であったことが示される。
第3章「本邦における競馬の受容」では、古代において中国や朝鮮半島などの東アジア地域から日本列島に厩競馬の文化がもたらされたことを手がかりに、天皇に代表される権力者による競馬の誕生が議論される。幕末から1900年頃までの時期の日本において、西欧由来の近代競馬が政治的、社会的、あるいは文化的な近代化の一つの典型にほかならなかったことが明らかにされている。
第4章「「帝室御賞典」と「帝国の賭博者」」が取り上げるのは、明治後期から補助金競馬時代までである。補助金競馬時代とは、刑法により馬券の発券そのものが禁止された1908年から1923年までの政府の補助金によって運営された時期を指す。また、現在の天皇賞の前身である帝室御賞典の創設と発展の過程の検討を通して、日本で最初の正式な天皇杯が競馬において誕生した事実のもつ重要さが指摘される。
第5章「皇室と近代スポーツ」は、近代競馬そのものから離れ、1920年代から1930年代の日本における近代スポーツの展開と皇室による各種競技の振興が本論の補助線として引かれる。本章では日本における近代スポーツを競馬のようにギャンブルと深く関わる「ギャンブル型スポーツ」、近代スポーツの受容以前から日本に存在し、明治時代以降も体操や武道と名称を変えて近代化を経験した「伝統型スポーツ」もしくは「体操・武道系スポーツ」、そして現在も広く行われているボールゲームや陸上競技、水泳などの「欧米型スポーツ」ないし「ハイカラスポーツ」の3つの類型を提起し、天皇杯が各分野から一つずつ誕生している事実を指摘する。
第6章「大日本帝国の大衆競馬」は、1936年から1945年までに対象を絞り、「大日本帝国における競馬の構造分析」(本書275頁)として、史上最年少のダービージョッキーである前田長吉の視点から戦前の日本近代競馬が何であったかを問う第1節、外地を含む大日本帝国の競馬の規模を定量的に検討した第2節、国体、天皇、競馬の思想学的な関係を考察した第3節、そして第二次世界大戦の終結と日本の体制の転換と戦前の競馬の停止がもつ意味を整理し、戦後の競馬のあり方を示した第4節によって構成される。
「序論」の註に示されたように、本書では語句の強調のために傍点や括弧などが多用されている。これは、著者が「あとがき」の中で謝意を表明した人たちの名前を見れば納得のゆく手法であり、語句の強調という本来の目的を十分果たしている。それとともに、本書の中で用いられる「熱意」(本書40頁など)や「熱狂」(本書115頁など)といった表現を視覚的に訴求している。あるいは著者のほとばしる熱情が傍点などに姿を変えて紙面に現れているといっても過言ではあるまい。
その一方で、本書はどこまで情感が高揚するとしても、最後まで近代日本における天皇と競馬の関係の探求という目的から外れることはない。むしろ、両者の関係を一つひとつの事実に基づいて実証的に吟味することで、「ギャンブルを振興するミカド」という、歴代の天皇自身を含めて競馬に携わるあらゆる人々が無自覚的であったかもしれない天皇像を鮮やかに描き出した点は、重要な成果の一つである。
明治時代以降の日本において、道徳性と複数の民族と広大な地域を支配する帝国としての日本の正当性を保証する絶対的な善であり優渥なる皇恩の源でもある天皇に、臣民として天皇を頂点とする秩序に従う人々の欲望を喚起し吸収する機能を見出し、偶然性の一様態であるギャンブルもしくは賭けを正当化し、さらには欲望と偶然性に潜む射幸心をも内包しうることを説得的に明らかにしたことは、思想学的に見逃すことができない。
あるいは、第5章における日本の近代スポーツの3類型には、「半ば強引な分類」(本書242頁、傍点省略)という著者の謙遜にもかかわらず、従来のスポーツ社会学やスポーツ文化論にはない独創的視点がある。
何より、マーラーの交響曲のもつ逞しい生命力と横溢する創造性を連想させる著者の雄渾で重厚な筆致は、本書の魅力をますます高めている。
惜しむらくは人名索引がないことで、もし本書に登場した人物たちが一覧できれば、それだけで「近代日本」「近代競馬」「日本競馬」に分解できる日本近代競馬の幅の広さと奥行きの深さが直観的に把握できたことだろう。
しかし、本書が上梓された今日、われわれは競馬を含むギャンブルへの顧慮なしに近代の天皇の姿を描くことは難しくなったのも事実である。
そして、世上「知の巨人」とも称されるユヴァル・ノア・ハラリが馬に対する十分な洞察を欠いている点を指摘し、「AI時代を含めた巨視的な視座で馬をめぐる世界文明史を書く予定」(本書327頁)ということだけに、今後の著者の執筆活動が大いに期待される。(すずむら・ゆうすけ=名城大学教授・法政大学国際日本学研究所客員所員・比較思想・政治史・比較文化)
★たかはし・かずとも=歴史哲学・文明学者として独立研究者。専門は日本の思想、スポーツ、文化・メディア、人工知能(AI)、デジタルゲーム。一九八一年生。
書籍
| 書籍名 | 近代天皇と競馬 |
| ISBN13 | 9784750361420 |
| ISBN10 | 4750361429 |
