2026/04/17号 6面

史料が語る信長の時代

史料が語る信長の時代 金子 拓著 櫻井 彦  織田信長は、当時ようやく普及しはじめた兵器である鉄砲を有効に活用し、「楽市楽座」を奨励して自由な経済活動を推進したとされ、従来は革新的な英雄として描かれ、語られてきたが、近年ではその評価が大きく変わってきている。本書も信長像を再評価しようとする一書であるが、著者はこれまでに『織田信長という歴史 『信長記』の彼方へ』(勉誠出版、二〇〇九年)・『織田信長〈天下人〉の実像』(講談社、二〇一四年)・『織田信長権力論』(吉川弘文館、二〇一五年)や『長篠合戦 鉄砲戦の虚像と実像』(中央公論新社、二〇二三年)を上梓して、すでにその成果を発表・蓄積されている。そうしたなかで、この四書に掲載されなかった、各所で発表された論考一七本に加筆などを施し、三部に編んだのが本書である。以下、順にその概要を紹介したい。  信長が上洛した永禄一一年(一五六八)から、本能寺の変で没した天正一〇年(一五八二)の伝記的記録『信長記』の記述から、五つの切り口によって信長像に迫った序章に続く第Ⅰ部「『信長記』論」も、タイトルが示す通り同記関連の四本が配される。第一章は同記の著者であり、一時期信長に弓衆として仕えていたという太田牛一の事跡と同記の性格が検討され、同記や牛一への基礎知識が乏しい読者にはありがたい。そして、牛一自筆本の振り仮名を手掛かりにして諸本を検討した第二章と、彼の自筆記録『別本御代々軍記』を検証し、翻刻及び現代語訳を行った第三章における詳細な分析からは、『信長記』と著者牛一への強い思いを感じ取ることができる。ただし第一章で、同記と牛一についてはじめて学んだ読者にとっては、少々難解だろう。  第Ⅱ部「天下人信長のまなざし」には、信長自身を考察の対象とした六本。第一章では永青文庫所蔵の『細川家文書』に残された細川幽斎宛の信長書状を、第五章では二人の興福寺別当尋憲と兼深の日記を素材として、信長の活動やその意義について考察する。これらの史料などからも、信長の主たる活動が中部以西を中心に展開していたことが分かるが、第三章と第四章では、東国や奥州との関わりについて検討し、信長自身からは遠く離れた地域においても、彼が無視できない存在となっていった様子が描かれる。こうした信長の政治的な立場や動向を追う論考が並ぶ一方、第六章は彼の遊興に焦点を当て、懸命に遊び、楽しむ姿に人間性の一面が垣間見られて興味深い。  第Ⅲ部「本能寺の変の前と後」には、殺害前後の信長やその家臣、彼を殺害した明智光秀の動向などを検討した五本。すなわち、変勃発の原因ともされる、直前の信長と徳川家康の接待合戦に関する第一章、変直後の柴田勝家の動向を追った第三章、光秀討伐後に開催された「清須会議」を扱った第四章などである。そして第五章では、信長の後継者とされる豊臣秀吉の考え方が変化していく様子が考察される。最後に本書の終章では、文献だけでなく演劇のなかでの信長像にも注目し、一般的な信長像や安土時代の認識が、どのように形成されていったのかについて検証する。  以上のような各論考からは、史料から信長像を描き出そうとする著者の一貫した姿勢を読み取ることができる。とくに『信長記』に関連する視角は多様で、同書を研究素材としようとするとき、今後の重要な指針となるであろう。まさに本書名の前半「史料が語る信長」にふさわしい論考が並んでいると言える。一方書名後半の「信長の時代」から、信長が生きた時代の深層が語られることを期待すると、少々物足りなさを感じることになる。例えば第Ⅱ部で描かれた東国や奥州の諸勢力が示した信長への強い関心は、何に起因するのだろうか。彼らが強く意識したのは、信長だったからなのか、京都周辺を掌握しつつある実力者だったからなのか。もし後者であるとするならば、彼らは京都に向けた視線の先に、何を見ていたのであろうか。彼らの意識の根底を明らかにすることで、「信長の時代」の行動原理の一面を切り取ることができるのではないか。しかしこうした勝手な期待や感想は、終章まで読み進めたとき、書名が意味する「信長の時代」が時代区分に関わるものであることが明らかとなって、的外れであることが判明する。一方的な推測による期待とは言えいささか残念ではあったが、報告書や展示会図録など、通常ではなかなか入手しにくい媒体に発表された論考を一書にまとめることで、既刊四書の内容を補足してこれまでの著者の思考の経過を裏付け、その研究に厚みを与えていることは間違いなく、今後の信長研究に寄与する重要な成果と言えるだろう。(さくらい・よしお=宮内庁書陵部主任研究官・日本中世史)  ★かねこ・ひらく=東京大学史料編纂所教授・日本中世史・史料学。著書に『織田信長権力論』『長篠合戦 鉄砲戦の虚像と実像』など。一九六七年生。

書籍

書籍名 史料が語る信長の時代
ISBN13 9784642048033
ISBN10 4642048030