読書人を全部読む!
山本貴光
第42回 60年安保闘争へ
さて、年が明けて1960(昭和35)年である。この年の上半期(306から331号)の都合26号分の1面を並べてみてみると、安保闘争一色とまでは言わないまでも、少なくとも10号分はその方面の話題を前面に出しており、それまで以上に緊張の高まりが感じられる。
政治の動きとしては、1月19日に新安保条約(日米相互協力安全保障条約)がワシントンで調印され、2月5日に政府が衆議院に新安保条約と関連協定を提出、5月20日には自民党が衆議院本会議で強行採決という具合に事態が進み、デモをはじめとする反対運動も盛んとなる。
「読書人」では1月から3月あたりまで、他のトピックのあいまに安保関連の記事があるというふうだったのが、4月以降はほぼ毎週、安保問題が1面を飾るようになる。その様子についてはあとでまた触れることにして、1960年前半の「読書人」1面に戻ろう。
安保問題を筆頭にジャーナリズム、知識人の主体性、日本文化論など、社会や政治にかんするトピックが大半を占める。他に目に入るものとしては、文学方面の話題がいくつかある。一つは小林勝(1927―1971/32/作家)の獄中記で、1952年6月25日におこなわれた「「朝鮮戦争反対・平和を守る夕」の示威運動に参加し、都公安条例違反で懲役一年の判決を受け、昨三十四年七月から服役中だった」ところ、1月8日に宇都宮刑務所から仮出所したというので、彼が獄中でつけていたノートの一部が写されている。小林はこの年の7月に『檻の中の記録』(現代人叢書、至誠堂)という本を出しており、そちらでは「読書人」に掲載した部分も含めて、獄中でのノートの使用許可が下りて記録をつけ始めた9月10日から出所する1月8日までの日記を読むことができる。
314号(2月29日)に荒正人(1913―1979/47/文芸評論家)が「批評家 この中間的存在」という文章を寄せている。作家と批評家は互いに切磋琢磨すべしという佐藤春夫に対して「評論も小説も、読者のために、あるいは自己自身のために書かれるのであり、相互には本質的になんのかかわりもない」と反論した進藤純孝の言葉を引いて賛意を示している。
面白いのは「批評は文学か、という厄介な問題」があるというので、音楽の批評と比べて論じているところ。音楽批評であれば音楽についてそれとは別の言語によって批評するわけだが、文学批評は文学について同じ道具である言語を用いて批評をする。では、批評は文学なのかという次第。
一見不適切でどうでもよろしい問いに見えなくもないけれど、言語でつくられたものを同じ言語で扱うのがややこしいのはその通り。それを文学と呼びたいかどうかは、文学という言葉でなにを表したいか次第、言ってしまえば分類の仕方によるのでは。そう思いながら読み進めると、「批評は学問かもしれぬ」という見方もありうると続く。実際、マルクス主義批評やドイツの文芸学では、批評は学問・科学であるという。荒の見立ては、この記事の見出しにも採用されている通り、批評家は「学者と作家の間」ということのようだ。
他に1月4日にパリ郊外で起きた交通事故で亡くなったアルベール・カミュ、1月24日に自殺した火野葦平の追悼記事があった。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)
