2026/03/13号 3面

高速道路の上に公園ができた

高速道路の上に公園ができた 辰巳 哲・「常磐自動車道公害反対運動史」編纂会編著 清原 悠  民主主義とは何か。本書をひもといて目を見張るのは、住民が制度をいかに使いこなしていくのかという動体性である。本書は一九七〇年代の千葉県流山市を舞台に、住宅専用地に突然に降ってわいた「高速道路(常磐自動車道)建設計画」に対し、現在に至るまで公害を防止するために尽力してきた、住民運動の強かな歩みを当事者の言葉で辿った書籍である。  当時、全国各地でさまざまな公害反対の住民運動が立ち上がった。数多ある住民運動の中で、本書で描かれる住民運動の特色をまとめるなら、次の三点になるだろう。  第一に、住民運動が市議会(立法)および市長(行政)と一体となり、開発主体である道路公団ならびに建設省(現・国土交通省)と対峙したという点である。第二に、住民運動が地元自治体を自分たちの側に引き寄せるために、「絶対反対」の立場から「公害防止の条件付きで建設を容認する」と譲歩しつつも、その譲歩を武器に開発側に公害防止を義務づけるために奔走したという戦略性である。第三に、一九八一年の建設同意の「協定書の締結」から現在に至るまで、住民運動は公害防止のために活動をしつづけただけでなく、自分たちの運動についての記録と運動の成功理由をまとめ、全国に発信してきた点である。  これらがいかにユニークであるのかについて、ここでは同時代の住民運動である横浜新貨物線反対運動(一九六六―一九八一)と比較することで浮き彫りにしたい。第一の点について言えば、全国の住民運動にとって、地元自治体(行政・議会)は開発を推進する側に位置することが多かった。横浜新貨物線反対運動の事例では、当時の国鉄(現JR)によって住宅専用地に貨物専用線を設置する計画が降ってわいたが、横浜市は社会党の首長をいただく「革新自治体」であったにもかかわらず、開発側に味方をしていった。このことから、どのような政党が政治を担おうとも「お上―下々」という関係は変わらないという考えに横浜新貨物線反対運動は至り、住民による、住民のための自治の模索を追究していく。また、横浜新貨物線反対運動の事例では「絶対反対」を崩さなかったが、その理由は開発計画路線上にある地権者と、その周囲の住民との関係を分断しないためであった。  興味深いのは、本書の事例も、横浜新貨物線反対運動の事例も、行き着く先は非常に似ていたという点である。横浜新貨物線の方は、裁判闘争に至り、最終的には和解で決着する。貨物専用線は設置されるが、全体を地下化、地上に出る高架部分は上部全体に覆いがかけられ、公害はほぼ発生しなかった。本書の事例では、高速道路全体を地下化することが運動によって主張されたが、折衝の末、「半地下」に留まった部分を残しながらも、騒音や排気ガスに対する強力な公害防止協定を結んだ。そして、その実効性を担保するために継続的なモニタリングを住民・自治体主導で行う枠組みを作り、規制値を超えた場合には改良工事を要求し、道路公団は実現しなければならないことになった。また、地下化が成功した部分では、上部を公園として緑地化し、地域住民たちの重要な憩いの場となった。  本書で最も読みごたえがあるのは、住民によるあの手この手の「議会工作」や「交渉術」である。まず、議会を味方につけるべく、住民が手分けして議員に対し説明をしていくロビーイングの繰り返しである。次に、市議会議員に住民運動の代表を立候補、当選させ、議会内の情報をつかむとともに、自治体行政から一目置いてもらう戦略である。第三に、科学的見地に立って開発計画の矛盾を立証し、さらには自分たちの構造案を先んじて「新聞折り込み」等で広報して先手を取るという戦略性である。第四に、議会で常磐自動車建設の容認を多数決で採決させないため、全会一致が原則の特別委員会を設置させることで、道路公団による「議会の多数派工作」を効きにくくさせる手にも出ている。  これらの過程では、住民は「譲歩」をしつつも、それを次の交渉で自分たちに有利に進めるための武器にもしていくという「強かさ」が巧みに発揮される。本書からは民主主義を自分たちのものにしていくノウハウと精神性を学ぶことができるに違いない。願わくば、読者には本書をヒントにしながら、他の住民運動の事例にも目を向け、「成功」の捉え方を広げていく機会としてもらいたい。(きよはら・ゆう=立教大学ほか非常勤講師・社会学)  ★たつみ・さとし(一九三五―二〇二四)=会社勤務の傍ら、休日に「流山の環境を守る会」「わかば会」など公害反対運動の広報を一手に引き受けて活動した。

書籍

書籍名 高速道路の上に公園ができた
ISBN13 9784862090928
ISBN10 4862090923