2025/05/16号 3面

治安維持法一〇〇年

治安維持法一〇〇年 荻野 富士夫・歴史教育者協議会編 野間 龍一  本書は、治安維持法制定一〇〇年を迎えたことを機に、改めて国家権力による弾圧とそれに抵抗した人びとの実態に着目するものである。さらに、国家権力が人々の思想・良心の自由を侵害した過去と現代の治安法制・安全保障政策を対比させることによって、現代の軍事化・右傾化(「新しい戦中」)に警鐘を鳴らしている。  編者の一人である歴史学者・荻野富士夫は、これまで治安維持法とその取締の担い手である特高警察・思想検察・憲兵隊などの官僚組織を精緻に検証してきた。荻野は近年、治安維持法の悪法性を「法の暴力」と形容し、その再発防止を訴え続けている(『検証 治安維持法』平凡社、二〇二四年、一七頁)。荻野は本書第一章とコラムで、これまでの研究成果をもとに、治安維持法が日本本国・植民地における治安体制の要になっていたこと、さらに戦後東アジアの軍事独裁政権下の治安法制に継承された可能性を指摘した。  第二章では、京都学連事件(本庄豊)、長野県「二・四事件」(小平千文)、「新興教育運動」(田中隆夫)、唯物論研究会(黒川伊織)、民主教育(村山士郎)、北海道綴方教育連盟事件・生活図画事件(川嶋均)、植民地朝鮮の学生運動(丸浜昭)、エスペランティスト・長谷川テル(西田千津・田辺実)などを通じて、教育・思想の分野で抵抗した人々の実像を明らかにした。さらに第三章では、「治安維持法は今も生きている」という問題意識をもとに、治安維持法体制の断絶と連続(関原正裕)、横浜事件の再審を求める運動(山本志都)、特高関係者の戦後史(桜井千恵美)、特定秘密保護法・共謀罪法への批判(白神優理子)、自民党政権下の安全保障政策と改憲に対する批判(山田朗)、経済安全保障政策への批判(布施祐仁)、戦後教育に対する国家統制への批判(河合美喜夫)が論じられた。そして、第四章では学校で「治安維持法はどう教えられているか」というテーマを、内田一樹、伊藤和彦、河合美喜夫が授業の様子、生徒たちの議論、教科書の内容をもとに論じている。  本書の意義は、第一に、膨大な先行研究の成果をふまえつつ、初学者にもわかりやすい形で弾圧の実態を説明したことである。戦後の日本政府が弾圧の責任を認めない一方、在野では弾圧被害の調査・研究が深められてきた。たとえば、奥平康弘『治安維持法小史』(筑摩書房、一九七七年)を皮切りに、中澤俊輔『治安維持法』(中央公論新社、二〇一二年)、荻野富士夫『治安維持法の歴史』全六巻(六花出版、二〇二一年~二三年)などの優れた研究が発表された。人権を侵害する危険性が批判された特定秘密保護法・共謀罪法が成立した際には、治安維持法下の弾圧に再び注目が集まり、二〇一八年にはNHKETVが特集番組を放送した(のちにNHK「ETV特集」取材班著・荻野富士夫監修『証言 治安維持法』NHK出版、二〇一九年として書籍化)。本書は、戦後一貫して継続されてきた治安維持法研究の成果を取り入れつつ、弾圧の再発防止を広く訴えているのである。  第二に、学校で「治安維持法はどう教えられているか」という歴史教育者協議会ならではのユニークな問いを立てたことである。この問題について本書は「自由民権運動や関東大震災などの地域をふまえた授業実践については豊富な蓄積」がある一方で、「治安維持法とその運用をめぐっての実践はまだ少ない」ことを指摘した(二一一頁)。ほかにも「国体」や社会主義のような難解な概念をどのように教えるのか、という教育技術上の課題も残されているであろう。それでも、人びとの自由が奪われた治安維持法の負の歴史は、生徒が現代の諸問題について批判的に考察するきっかけになりえる。したがって、治安維持法をどのように教えるのか、という議論のさらなる発展に期待したい。(のま・りゅういち=早稲田大学助手・日本近現代史)  ★おぎの・ふじお=小樽商科大学名誉教授・日本近現代史。著書に『戦後治安体制の確立』など。一九五三年生。

書籍

書籍名 治安維持法一〇〇年
ISBN13 9784272510191
ISBN10 4272510193