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<2026年上半期の収穫から>67人へのアンケート
恒例のアンケート特集をお届けします。さまざまな分野の研究者、作家、書評家、書店員の方々に、本年上半期に印象に残った三冊を挙げていただきました。夏休みに読みたい一冊、読み忘れていた一冊が、きっと見つかります。本紙1・4~7面掲載。(編集部)
臨床心理学 東畑 開人
『盗まれた誇り』(布施由紀子訳、岩波書店)はA・R・ホックシールドがトランプ現象を支える人々をフィールドワークした一冊。人々の物語を丁寧に聞き取る調査と、「プライド経済」や「共感の橋の二層構造」など鮮やかな概念化がシームレスにつながるところに研究者としての圧倒的な実力を感じる。なによりも調査対象者と仲良くなっている感じそのものに、分断を越えようとする意志を感じる本である。
『シン・自殺論』(金剛出版)は自殺研究を行ってきた末木新による思想の書である。自殺を考えることは、心について考えることであり、社会について考えることでもある。ここで末木が自殺をなくすための社会実装の困難さをある種の絶望と共に語っていることは重く受け止めたい。
『カウンセリングってなにするの?』(創元社)浜内彩乃と細川貂々によるマンガだが、カウンセリングを身近にしようと試みた本。ユーザーの抱く疑問に丁寧に答えている。そのような草の根の活動の積み重ねが末木の問いへのひとつの答え方であろう。(とうはた・かいと=白金高輪カウンセリングルーム主宰・臨床心理学)
アフリカ文学 粟飯原 文子
中尾沙季子『パン・アフリカ主義 越境する抵抗と連帯の歴史』(京都大学学術出版会)。大西洋を跨いで世界に広がるアフリカ系の人々が、「アフリカ」という共通の帰属意識のもとに展開した闘いの軌跡をたどる。大陸の外の動向が注目されがちなところ、大陸側の歩みに重きを置き、見過ごされやすい女性たちの貢献にも光を当て、パン・アフリカ主義という巨大な運動=思想の力を描き出す重要書。
アシル・ンベンベ『地球共同体 最後のユートピアについての考察』(中村隆之・平田周訳、人文書院)。人間と非人間存在が相互に結びつく世界を、アフリカのアニミズム的宇宙観を手がかりに描く。地球を所有の対象ではなく、誰もが一時的に住まう場として捉え直し、共生と歓待にもとづく新たな共同体の可能性を探る。アフリカを代表する思想家の近年の思索が凝縮された著作。 スレイマン・バシル・ディアニュ『アフリカ哲学のために 存在・時間・言語・政治』(廣田郷士訳、青土社)。大陸随一の哲学者による最良の概説書。アフリカ哲学の主要論点をたどり、哲学そのものの輪郭を描き直す。存在論、時間、口承性、政治思想をめぐる議論を通じて、アフリカを哲学史の周縁に置いてきた前提を再検討する。普遍性とは単一の起源への包摂ではなく、異なる思想の出会いから開かれる地平である。(あいはら・あやこ=法政大学教授・アフリカ文学)
北方史・アイヌ研究 蓑島 栄紀
古代蝦夷(エミシ)の起源と実態に関する問題は、近年の新説の台頭もあって、再びホットな論点となっている。八木光則編『古代蝦夷の墓 北東北・北海道』(高志書院)は、考古学的な墓制研究の専門書だが、通説と新説の双方に目配りされ、古代蝦夷研究の現在地を知るうえで必携。
「研究」という言葉は、先住民の言語において最も「汚れた」言葉の一つとされる(リンダ・T・スミス)。そうした現実のうえでなお、「先住民研究」は成り立つであろうか。大西秀之編『アイヌ民族への知の返還 民族誌情報の還元と活用』(京都大学学術出版会)は、一九五〇年代におこなわれたアイヌ研究の検証を下敷きに、知の返還・還元と協働という課題に向き合った実践の記録。
知里幸恵を「聖化」から解き放つ試みはいくつかあるが、富樫利一『もう一人の知里幸恵』(彩流社)はとりわけ舌鋒鋭い。著者独自の語り口をとおして、アイヌを合わせ鏡としつつ、「和人」について重層的に考えさせられる。(みのしま・ひでき=北海道大学准教授・北方史・アイヌ史)
精神分析・社会実践 荒谷 大輔
岩野卓司『返さない借り つながる贈与 資本主義を克服する、新しい共同性』(朝日選書)は、モースの『贈与論』において循環の鍵とされた負債感の内実を読み替える。多彩な事例によって「借り」を受ける前に「返す」可能性が示され、もはや「借り」という言葉を超えた純粋な贈与への道筋が顕在化する。
贈与と租税の観点から。小西杏奈『租税のヨーロッパ統合史 付加価値税の創設から世界的普及へ』(名古屋大学出版会)は、日本では「消費税」として知られる付加価値税(VAT)が、欧州統合の過程で導入されるに至る歴史を明らかにする。共同体への帰属意識を超えて「税」が「市場の創出」と連動する契機が垣間見られる。
松本卓也『ジャック・ラカン フロイトへの回帰』(岩波新書)は、フロイトの五大症例に立ち返りながら、読者をラカンへといざなう。最新の研究を踏まえつつ、今後のスタンダードとなるだろう知の基盤を提供する。(あらや・だいすけ=慶應義塾大学教授・精神分析・社会実践)
沖縄/日本文学 新城 郁夫
佐久本佳奈『抵抗のカルトグラフィ 占領下日本/沖縄文学の身体と空間』(青弓社)この著作により、戦後沖縄文学研究は、ターニングポイントに達した。問われているのは、戦後文学の前提であり、沖縄(人)対日本(人)といった共犯的なポジショナリティ思考の隘路である。この書では、閉域として観念される領土性の虚妄が、空間と身体の読み換えを通して暴露され、空間は撓み、身体は欲望の通過点として生き直される。沖縄と日本の戦後文学を、無数の抵抗の生が書き換え続けていく不可視の地図として浮上させる本書に、感銘を受けた。
柿木伸之『ベンヤミン破局の後に生き残る思想』(青土社)ベンヤミンの言語哲学と歴史哲学とを相関的に思考する柿木の思考は、「今」に至る破局に焦点を当てる。兵器の「進歩」に未来を見るような野蛮が、瓦礫の下に何を埋めてきたか、ベンヤミンとともに問いを辿る本書は、戦争さえ、非暴力的な生の連なりへと根源的に「翻訳」されうることを示唆して、強い説得力を持つ。
渡邊英理『中上健次 路地のビジョン』(岩波新書)「都市で迷子になるには修練を要する」というベンヤミンの言葉には、「路地」への想像力が満ちてはいないか。本書を読みつつ、そのことを感じた。「路地」を破壊する動きに抗い、土地と人間そして動植物がおりなす反国家的な時間の往還を書き続けた中上の諸作を、「仮設」[(再)開発]「雑草」等の視点から論じて見事。前著『中上健次論』(インスクリプト)を更新し、石牟礼道子の「聞き書き」や親族構造の脱臼によるクィア的想像力との親和性も論じられていて示唆深い。(しんじょう・いくお=琉球大学教授・沖縄/日本文学)
日本近現代史 鶴見 太郎
袁甲幸『日本近代国家の形成と府県』(吉川弘文館)。府県制という概念を受け入れるにあたって、近代日本国家にはかつてない広範かつ密度のある試行の場が生まれた。本書はその過程で行き交った政治、財政、その他細かな事象を射程に据えながら、そこで生起した同時代的な緊張に寄り添い、全貌の構築に成功している。
鵜飼正樹『旅する劇団・幻の日本少女歌劇座を追って』(創元社)。著者は一度関心を抱いたら、時間と手間を惜しむことなく対象に向き合うことで知られる。篤実な関係者への取材、往時を偲ばせるわずかなチラシも見逃さない打ち込みは、素材たる劇団を越えて観客、広報、さらには植民地を含む公演ルートなど、広く同時代日本の世相まで浮かび上がらせる。
晶文社編集部編『吉本隆明全集月報集』(晶文社)。かつて執筆者たちがこの思想家から受けた強い影響が長い期間を経て、各人の文脈から敷衍されている点が印象的。今後、個人を対象とするこうした月報集が果たして出るかどうか。(つるみ・たろう=早稲田大学文学学術院教授・日本近現代史)
哲学 城戸 淳
永井均『『道徳形而上学の基礎づけ』を解体する カントの誤診2』(春秋社)は『『純粋理性批判』を立て直す カントの誤診1』につづく第二弾。しごく常識的な立場からのカント論駁の数々も読ませるが、なにより独在性とその累進構造の洞察からカントの道徳哲学の成り立ちを見とおすところでは、これがカントだったのかと息をのむような場面がある。
マンフレッド・キューン『フィヒテ伝』(湯浅正彦・杉田孝夫監訳、春風社)は、同氏の前作『カント伝』を読まれた方には待望の一冊であろう。哲学者フィヒテの生涯と思想的発展をその激動の時代のなかで跡づける千ページ超の思想的伝記は、昨今ではまれな読書体験をもたらす。今後のフィヒテ研究の礎になるだろう。
竹内綱史編『ペシミズムの時代とニーチェ』(昭和堂)は、ショーペンハウアー以後のペシミズム論争を背景にニーチェのニヒリズムを再検討する意欲的な論集。十九世紀にはいまだ知られざる思想的な鉱脈が眠っている。(きど・あつし=東北大学教授・哲学)
経済思想史 小峯 敦
寺尾範野『貧困に抗うリベラリズム イギリス福祉国家の思想史』(慶應義塾大学出版会)は、《リベラリズム》内部の抗争終焉に向けて「社会的リベラリズム」という包括的・動態的な用語を提唱し、貧困観の旋回と市民性の拡充を核に、福祉社会の可能性を社会思想史から展開する。
マーセル・バウマンズ/ジョン・B・デイヴィス『経済学方法論 経済学を科学のひとつとして理解する』(久保真・中澤信彦監訳、晃洋書房)は科学哲学を参照規準に、自然科学からの異同を時代順や概念ごとに概説する。因果推論(効果測定)の全盛時代に、本書が説く「価値判断の不可避性」はどう受け止められるのか。
竹内綱史『ポストトゥルース時代の哲学 ニーチェ『愉しい学問』を読み直す』(現代書館)は「ポスト真実」論の原点と名指しされる通説に抗し、ニーチェ『愉しい学問』(一八八二)から、絶対的真理には達しないという虚無を受け入れつつ、なお試行錯誤的に真理探究を続ける態度を大胆に描き出す。(こみね・あつし=法政大学教授・経済思想史)
公共政策学 杉谷 和哉
非合理的な政策を繰り返す米国中枢の背後に、「宗教右派」がいるとの見解が一部で話題になったが、藤本龍児『宗教のアメリカ』(岩波新書)は、米国における宗教の存在感を丁寧に描き、表面的な理解を斥ける出色の文明論である。
分かり合えない他者の背後に「宗教」の存在を容易く見出してしまう我々が生きるのは、まさに「分断」の時代なのだろう。朱喜哲『バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学』(NHK出版新書)は、そんな時代にあってなお、共に生きる術を粘り強く探る道を教えてくれる。
他者を知ると同時に自分たちのことも知る必要がある。佐伯啓思『日本人の精神Ⅰ 権威と空気の構造』(新潮選書)は、碩学の集大成だ。権威と空気に流されてきた日本人は、決して近代に対して劣っているわけではない。だが、それを殊更に持ち上げる必要もない。「日本スゴイ」と「日本ダメ」に二極化し閉塞した言論空間に風穴を開ける一冊である。(すぎたに・かずや=岩手県立大学准教授・公共政策学)
精神分析 西 見奈子
マックス・ベルキン『インターセクショナリティと関係精神分析』(北村隆人監訳、人文書院)
アメリカの精神分析である関係学派の立場からインターセクショナリティを検討。クィア、女性、移民といった問題を臨床場面から取り上げる。関心のある人はもちろんのこと、精神分析を古いと評する人たちにもぜひお勧めしたい。
江原由美子『フェミニズム』(岩波新書)
フェミニズムの多様な議論がこの一冊に。これぞ新書と言うべき内容と構成でフェミニズムの道案内として最適。隅々まで配慮の行き届いた文章に著者の熱い想いを感じて落涙。それぞれの時代の女性たちの奮闘に大いに励まされる。
山崎達雄『公衆トイレと糞尿処理の歴史』(彩流社)
京都のゴミ処理の歴史を論じてきた著者による新刊。肥やしとして利用しなくなり不可視化された屎尿処理の変遷が描かれる。抜群に面白かったので恩師にも進呈。(心の)排泄物とどのように共存しどのように処理するかは精神分析の仕事でもあるのです。(にし・みなこ=京都大学教授・精神分析・精神分析史)
法哲学 服部 久美恵
今期は豊作だった。日本初の本格的な『法哲学事典』(法哲学事典編集委員会編、丸善出版)は、国内の研究にも目配りしつつ法哲学の主要分野を幅広く網羅する。訳書『法哲学・法思想史辞典』(B・ビックス著、吉原雅人・吉良貴之訳、勁草書房)と読み比べるのも、比較法哲学の視点から興味深い。W・N・ホーフェルド『法の基本的諸観念』(森村進訳、勁草書房)は、ホーフェルド図式で知られる分析的権利論の古典である。よく言及される一方、その難解さから断片的に理解されがちであり、充実した付論とともに邦訳されたことは朗報である。規範理論では、宇野重規・加藤晋・井上彰編『リベラリズム』(東京大学出版会)が、後期ロールズを基調に応用や思想史も扱うハンブックである。平等主義的リベラリズムと制度との接続に関心があれば、D・ハリデー『財産を相続するということ』(大澤津・原田健二朗監訳、勁草書房)は、財産法・家族法・税法の哲学としても示唆に富む。(はっとり・くみえ=東北学院大学准教授・法哲学)
中央銀行論 小栗 誠治
白川方明『通貨に信用を刻印する』(日経BP 日本経済新聞出版)。元日本銀行総裁が中央銀行や金融の問題を深く本質にさかのぼって論じた体系的かつ包括的なセントラル・バンキング論。タイトルの「通貨に信用を刻印する」はセントラルバンカーの信念と哲学の表明であるが、本書はそのために中央銀行や政府あるいは広く社会全体が取り組むべき10の提言が示されている。
齊藤誠『福田徳三の貨幣論と左右田喜一郎の価値論』(信山社)。わが国の貨幣論研究の二人の先達に光を当てた研究書。商品貨幣と信用貨幣は本質的に違うのか、貨幣の本質は支払手段なのか交換手段なのか、「国家ありき」の貨幣論か「国家ぬき」の貨幣論かといった貨幣を巡る重要な論点を考察した力作。
斎藤幸平『人新世の「黙示録」』(集英社)。気候崩壊とテクノ資本主義がもたらす終末ファシズム社会の到来に対応すべく、包摂的な「黙示録」を提示する。その核心は、資本主義の暴走を食い止めるため市民参加型・民主的な下からの「計画経済」を目指すことにある。経済・社会思想に裏打ちされた刺激的な本。(おぐり・せいじ=滋賀大学名誉教授・中央銀行論)
日本語文学 内藤 千珠子
アドリアン・ダウプ『「キャンセル・カルチャー」パニック』(藤崎剛人訳、青土社)。キャンセル・カルチャーに反発するパニックの言説が、権力者を犠牲者に置き替える様式をもつことを論じている。フェミニズム思想やマイノリティの主張を模倣しながら抵抗の価値を盗み取るパニック言説の効果を知ることは、現代的なファシズムの情動を思考するための第一歩となるだろう。
佐喜真彩『生き延びたものたちの哀しみを抱いて 軍事化に抗する沖縄のフェミニズム文学』(勁草書房)。語ることのできない記憶に内包される沈黙や罪悪感を手がかりに、暴力の連鎖を修正しようとする思考が示される。沈黙する声をめぐる記述からは、現在の現実を今とは異なる未来につなげる可能性が伝わってくる。
山田萌果『おぞましさと戯れる少女たち フェミニズム美学から読む日本現代美術の少女表象』(青弓社)。少女表象における「おぞましさ」が、少女の能動性を表現しつつ、誰もがもつ傷やおぞましさとどこかで通じ合っているという本書の観点は、身体をめぐる新しい見取り図を提示しようとしている。(ないとう・ちずこ=大妻女子大学教授・日本語文学・ジェンダー研究)
哲学・倫理学 橋爪 大輝
山口晃人『エレクトクラシー・エピストクラシー・ロトクラシー 代表制デモクラシーを再考する』(名古屋大学出版会)。試験や抽選による有権者・代議士の選抜という常識を驚かせる制度によって「選挙代表政」を揺るがし相対化。しかし結論は奇を衒わず、議論は緻密で明晰。
大澤真生『二人称的他者と両義性の倫理 カール・レーヴィットの共同相互存在論』(勁草書房)。主著『共同存在の現象学』を体系的に読み解く稀有な研究書であるだけでなく、人格的/自然的、主体的/関係規定的等々といった、人間をどこまでも貫く「両義性」の理論と解釈する視角が斬新。
武井彩佳『ホロコースト後の機能不全 ドイツ、イスラエル、犠牲と加害の関係』(角川新書)。ホロコーストというあまりに巨大な歪みは、それを正したかに見えた戦後秩序にもなおねじれを残存させた。いまの国際秩序の動揺がその顕在化であることを冷徹に分析。必要なのは諦観のまえに認識だ。(はしづめ・たいき=山梨県立大学准教授・哲学・倫理学)
宗教学・地域研究 伊達 聖伸
ロベルト・カラッソ『世俗的人間』(東暑子訳・出口治明監訳、祥伝社)。宗教から解放された世俗主義者は不安を抱えている。人目を引くツーリストとテロリストには共通点があり、名指しえぬ現代と20世紀前半の破局は似ている。何が軽んじられていて、何を重んずべきなのか。暗示的な本だが、受け取るべきは袋小路のなかで想像力をはたらかせることか。
嶺崎寛子『同化ではない共生を ディアスポラの信仰者、アフマディーヤ・ムスリムの移動と越境』(春風社)。本国パキスタンでは「異端」として迫害されているイスラーム系新宗教のグローバルな展開に、震災支援を通じて地元で偶然出会った文化人類学者による民族誌。相手の社会に合わせるが、合わせすぎないアフマディーヤたちとの共生という課題に、「私たち」はどう向き合うことができるかをも問いかける。
小林敬『フランス反省哲学とシモーヌ・ヴェイユ アラン、ラニョーからの継承』(京都大学学術出版会)。現在ほとんど忘れ去られている地下水脈の思想の系譜を掘り起こし、ラニョーとアランの系譜にヴェイユを位置づける。反省は世界に対峙する精神の自覚であり、主知主義を超えた主体変容の原理にして、必然性のなかの自由の問題でもある。(だて・きよのぶ=東京大学教授・宗教学・フランス語圏地域研究)
日本古代史 里舘 翔大
長友朋子『古墳時代の窯と器 東アジア国家形成期の技術交流』(吉川弘文館)は、古墳時代の日本列島での窯技術の導入と土器生産体制の変化を、韓半島、中国、ミャンマー等の事例も踏まえて多角的に考察。考古学分野の著書となるが、交流と生産体制という視点から「国家形成期」における倭王権の外交と技術・生産管理の実像にも言及する。
榎英一『正税帳読解』(八木書店)は、奈良時代の収支決算および保有残高についての報告書である正税帳を追究する大著。第一部で書式・用語の基礎事項が取りあげられているため、第二部以降の理解が進む。当年度使用せずに次年度に繰り越した古酒「不動酒」の存在など、身近に感じられる事項も細部まで検討されている。
倉本一宏『三代御記 全現代語訳』(講談社学術文庫)は、宇多・醍醐・村上天皇三代の日記(御記)の全現代語訳。最新の研究成果を踏まえ、現存する逸文が可能な限り収録されているため、今後の研究の基底となる。(さとだて・しょうだい=明治大学文学部兼任講師・日本古代史)
代官山 蔦屋書店 宮台 由美子
繁延あづさ『鶏まみれ』(亜紀書房)資格取得のために働き始めた食鳥処理場での、生々しく汚れにまみれた厳しい日々。人々の食、いのちを支える仕事の尊さと、見ずに過ごしてきた社会の非対称をまっすぐに綴る。急速にクリーン化されつつある世界を相手に、手ごたえをもって生きる姿に感化される。
伊藤亜紗『身体の美学入門』(中公新書)人は他者の身体を前にすると、何らかの印象を持つ。人の外見を評価し、美醜を感じるという確かに存在する感性のはたらきと歴史を紐解き、人間の本質を明らかにする。身体という存在と共に、この社会でいかに生きるかを示す壮大な一冊。
キム・ウォニョン『完全に平等で、非常に差別的な』(牧野美加訳、みすず書房)障害のある身体と向き合ってきた、ひりひりとする個人史と共に、様々なダンサーや舞踊の受容史を振り返る。見る側、見られる側の意識の根底を揺るがし「完全に平等で、非常に差別的な」存在のあり方を指し示す。(みやだい・ゆみこ=代官山 蔦屋書店・人文担当)
中国近代文学 鈴木 将久
趙汀陽『天下の今日性』(石井剛監訳・円光門訳、みすず書房)。古代中国に由来する「天下」の概念をもとにして、あり得べき世界秩序について思考を展開した政治哲学の著。中国からの声はすぐに政治と経済に結びつけられて意味付けられるが、価値判断の前に、中国で生まれつつある現代的な哲学を知ることができる。
田中草大『古文と漢文』(ちくま新書)。日本の古文と漢文の歴史および概念を明晰に説明した本。日本語の古典文である古文と漢文とは何かについて、分かっているつもりのことを正確に認識できる。それを知ることは、日本語の書き言葉の根底的な理解につながる。
段書暁『清末科学小説の想像力』(ひつじ書房)。中国の清朝末期に、科学と近代的小説が到来したとき、新しい想像力が生みだされたプロセスを論じた学術書。中国文学の研究書であるが、東アジアにおける伝統と近代、さらには日本で理解され難い中国の想像力のあり方にまで思考をめぐらすことができる。(すずき・まさひさ=東京大学教授・中国近代文学)
エコクリティシズム 結城 正美
国松希根太ほか『国松希根太 連鎖する息吹』(求龍堂)。同題の展覧会の公式図録兼書籍。木の彫刻家の作品紹介と解説に加え、制作拠点である北海道の「飛生アートコミュニティー」の記録が収録されている。過疎集落の廃校を共同アトリエとするアートコミュニティの世代を継いだ文化創造から学ぶことは多い。
ドリアン助川『動物哲学物語 ナイス実存』(集英社インターナショナル)。ハニーポッサムやインドスイギュウなど日本ではなじみのない動物をメインキャラクターとする二◯の物語。擬人化が広い思考の余白をもちうることに気づかされた。
『MONKEY vol.38 特集 鏡の国のアリス』(柴田元幸責任編集、スイッチ・パブリッシング)。訳者・柴田元幸が惚れ込んだというフランチシュカ・テメルソンの絵が添えられた原書の翻訳を収録。新たな装いの新訳は、アリスの口調や題名(原題に忠実に、「鏡を通って アリスがそこで見つけたもの」)の工夫も光っている。(ゆうき・まさみ=青山学院大学教授・エコクリティシズム)
ドイツ文学 西口 拓子
柏木貴久子『ライン河文化紀行 恋する女たちの物語』(関西大学出版部)。美しき乙女ローレライの伝説はどこからきたのか、『ニーベルンゲンの歌』の激烈な恋、百年前の恋多き作家、など興味深いトピックが満載。
パウル・フォークト『二十世紀ドイツ絵画史』(佃堅輔訳・石丸昭二監訳、法政大学出版局)。カラー図版多数。第二次世界大戦時についても詳しい。一九七二年刊の原著を補い、後年発見された画家をあとがきで紹介する訳者の熱量も高い。フォークトは生誕百年で、追悼する講演会も行われた。
菅靖子『ポアロの部屋はなぜモダン?』(彩流社)。アガサ・クリスティの作品を二〇世紀のデザインの歴史から味わう。ジャポニズムの影響で、あのキャラクターの庭が日本庭園だったとは。クリスティ作品は映像化も多いが、そこには反映しきれていない原作のディテールが興味深い。BBCでポワロの新作が撮影されるという絶妙のタイミングで、放映を待ちながらの原作の読書をさらに楽しくしてくれる一冊。(にしぐち・ひろこ=早稲田大学教授・ドイツ文学)
経済学・経済史 柿埜 真吾
岩田規久男『日本経済の分岐点』(夕日新書)は、高市政権の成長路線を評価し日本経済のあるべき姿を論じる。産業政策には一定の理解を示しつつリスクも指摘する。労働市場改革や農業・中小企業保護政策の転換がなければ成長産業に資源が移動せず産業育成は失敗すると警告する。産業政策に賛否はあるが競争政策は不可欠だ。
アラン・メルツァー『FRB 連邦準備制度の歴史 1913~1951年 上・下』(小谷野俊夫訳、蒼天社出版)は古典的名著だが、FRBへのトランプ政権の介入が強まる中でタイムリーな翻訳。大恐慌期の失敗やその後の財務省への従属など創設期のFRBの成功と失敗の歴史を知る意義は大きい。
昨今では排外主義の風潮が強まっているが、イアン・ゴールディン『移民は悪か? 人類に驚異的な進歩をもたらしてきた移住・移民の歴史』(斎藤栄一郎訳、プレジデント社)は経済学的・歴史的事実に基づき固定観念を覆す。イノベーションを促進したいなら移民排斥は逆効果だ。(かきの・しんご=高崎経済大学専任講師・経済学説史・計量経済史)
日本近代文学 石原 千秋
松田正貴『黒ぬり教科書 敗戦直後における日本の教育とアメリカ』(ナカニシヤ出版)。かつて国語教科書の道徳性を批判した『国語教科書の思想』(ちくま新書)を書いたとき、野口武彦氏が書評を「評者の原風景には、戦後の黒塗り教科書の記憶が残っている。あれほど多くを教科書から学んだことはなかった」と結んでいた。これは拙著への批判を含んでいると理解したから、それ以来「黒塗り教科書」はずっと気になっていた。その実例を集めてコメントした大冊。生協ブックセンターに平積みになっていなかったら購入していなかった。出版社とともに感謝。
郷原佳以『デリダの文学的想像力』(みすず書房)。「デリダはそこで、自宅の浴室から出たところで自分の裸を――ということは、性器を――飼い猫に見られたときに覚えた「恥ずかしさ」について語った」という一節を読んだとき、デリダがわかった気がした。かつての我が飼い犬は、おならをしたとき恥ずかしそうに振り返った。「放屁を恥ずかしがる、ゆえに犬は人間である」という具合に。
山田唐波里『人口の系譜学 日本における人口規範の近代的展開』(新曜社)。出産時に女性の身体は危機に陥ることがある。だから、「少子化対策」と平気で口にする人は無神経だ。また、自分の人生を楽しみたいと思えば思うほど子供はコストだと感じられる。したがって、少子化対策は成功しない。これは人類の宿命である。そこにいたるまでの近代史を知ることができる。(いしはら・ちあき=早稲田大学名誉教授・日本近代文学)
美学 柿木 伸之
アドルノが『否定弁証法』で提起した「アウシュヴィッツの後に生き残ることができるか」という問いを抱え続けた人々の哲学的、詩的な思考を、両者の内的な関連を含めて描いた細見和之『〈最後のユダヤ人〉 ホロコースト以降の文学と思想』(中央公論新社)によれば、ツェラン、アーレント、レヴィナス、デリダらは、ユダヤ人の末端に生き残った者として、ナチス・ドイツ最大の収容所の名に込められた人として生きること自体の抹殺に抗う途を探った。
しかし、パレスティナ人の生を根こそぎにする破壊は続いている。武井彩佳『ホロコースト後の機能不全 ドイツ、イスラエル、犠牲と加害の関係』(角川新書)は、イスラエルの暴虐を物質的にも支えるに至った「アウシュヴィッツ」以後のドイツの問題を、日本列島の歴史的現実も照射しながら浮き彫りにする。
人として生きること自体の頽廃が進む現実に抗う可能性を探る美術批評を、展示の検討を含めて繰り広げるものとして、千野香織『「日本美術」とジェンダー 希望を身体化する』(池田忍編、岩波現代文庫)が顧みられるべきだろう。(かきぎ・のぶゆき=西南学院大学教授・哲学・美学)
日本漢文学 堀川 貴司
鈴木健一『老いと死のことば 日本の古典を読む』(岩波新書)は、和歌・物語をはじめ、古代から近世に至る日本の古典から、「かしらの雪」「老の坂」「草の原」など、老いと死にまつわる表現を用いる作品を選び鑑賞する。語注や現代語訳も豊富で、親しみやすい日本古典案内書にもなっている。
井上進『文献集 中国学の先人と漢籍のはなし』(平凡社)は、青木正児・島田虔次・入矢義高ら先人の学問や人となりを描く第一部と、宋元版・明版・五山版など中国・日本の貴重な版本のあれこれの魅力をわかりやすく説いた第二部から成る。著者の古典籍調査にまつわるエピソードや昨今の日中関係に関する嘆きなども学問的記述と渾然一体となっていて興味深い。
禅文化研究所編『臨済宗黄檗宗 宗学概論 文字からはじめる禅』(禅文化研究所)は、現在の臨済宗・黄檗宗における修行や学問の様相、禅宗の思想や歴史・文化など、禅宗について幅広く見渡す概説書。修行僧向けのものだが一般人が読んでも面白い。(ほりかわ・たかし=慶應義塾大学教授・日本漢文学)
フランス文学・フランス史 小倉 孝誠
山口みどり・周東美材編著『〈帝国〉と身体 ジェンダー史からの問い』(白水社)。英米とアジア諸国を対象にして、〈帝国〉的なるものが生政治にいかに介入したかを問う刺激的な論集である。健康、出産、性愛、衣服、スポーツなどをつうじて、権力が「望ましい身体」を言説と実践の両面において構築していくさまが分析されている。
江島泰子『死刑廃止への一系譜』(国書刊行会)。『死刑囚最後の日』で死刑の残酷性を訴えたユゴーから、ジャン・ジョレスを経て、一九八一年に死刑廃止を決めた、時の法務大臣バダンテールへと至る死刑廃止論の流れを辿る。死刑をめぐる教会とライシテの相克、刑罰制度と共和主義の関係を考察した思想史的な著作にもなっている。
庄司宏子編著『〈災害〉文学の可能性』(作品社)。 さまざまな時代と地域、文化と言語圏を視野に入れて、〈災害〉が歴史や記憶と絡みあいながら、どのような文学を生みだしてきたかを問う。ここで言う〈災害〉には植民地主義や奴隷制も含まれる。土地、歴史、民族と結びついた〈災害〉を描く物語が考察される。
最後に、ジョルジュ・シムノンの新訳に触れておきたい。メグレシリーズだけでなく、彼は優れた本格小説も多数残しており、そのうちの数編が東宣出版から新訳されている。今年刊行されたのは『ラクロワ姉妹』(伊藤直子訳)と『フールネの市長』(大林薫訳)。瀬名秀明の解説もすばらしい。(おぐら・こうせい=慶應義塾大学名誉教授・フランス文学・フランス史)
メディア論 長谷川 一
アルヴィンド・ナラヤナン、サヤシュ・カプール『AI過大評価社会 AIには何ができて、何ができないか』(的場知之訳、草思社)は、「蛇油」に気をつけろと説く。蛇油とは謳い文句どおりに機能しないイカサマのこと。技術を整理し歴史を踏まえ、可能性と限界、さらに本質的限界まであぶり出す。熱狂から一歩ひいて眺める態度の先に、AIをわたしたちの未来に活かす道が仄見えてくる。
クリフォード・ギアツ『事実のあと 二つの国の四〇年と人類学者』(小泉潤二訳、新曜社)は、泰斗による自伝的フィールドワーク論だ。原著刊行から約三〇年。事実の輪郭が溶解し、もうどうでもよくないかという気分すら漂う今日に、本訳書はあらためて問いを突きつける。事実とは、事実を語るとは、どういうことなのかと。
奥田實『樹木譜』(平凡社)は、北海道の樹木一五七種の大作写真集、いや、ボタニカル・フォトコラージュ集だ。季節ごとに姿を変える樹木各部位の織りなすコラージュ作品は、曼荼羅のよう。そこにはたしかに、樹木たちの生きる時間それ自体が脈動している。(はせがわ・はじめ=明治学院大学教授・メディア論・メディア思想・文化社会学)
社会学・生命倫理 粥川 準二
自分を試されるような読書体験をした。
科学は〈生命〉をどう捉えてきたのか。科学史では「機械論vs生気論」という対立図式で解説されることが多い。しかし小松美彦『〈生命〉とは何か 科学的生命観、2600年の歴史とその超克』(筑摩選書)は、その見方自体が間違っていることを古代ギリシャまで遡って論証し、まったく別の図式を提示する。
杉田俊介『無能力批評増補完全版』(月曜社)は、二〇〇八年に刊行された同名の批評集の「増補完全版」。ある一章は完全に差し替えられ、そこでこの新版の立場である「無条件無能力主義」が全面的に展開される。
下山進『命を選ぶ 遺伝病の運命に抗ったある女性の物語』(祥伝社)は、網膜芽細胞腫という遺伝性の小児がんを抱える女性が、着床前診断(PGT―M)を受ける権利を求めて活動し、やがてその適応基準が徐々に見直されていく過程を記録している。著者は、着床前診断を含む出生前診断に批判的な人々も取材しているのだが、取材対象を描く記述は、良くも悪くも感情的すぎる。それでも重要な歴史記録であろう。(かゆかわ・じゅんじ=叡啓大学准教授・社会学・生命倫理)
平和学 戸田 清
西谷文和『なぜ中東で戦争が終わらないのか イラン、イスラエル、パレスチナ、シリアの今』(かもがわ出版)は、中東情勢の全体像についてのもっともわかりやすい入門書である。シオニズムを批判したために英国亡命を余儀なくされたイラン・パペの『イスラエル・パレスチナ紛争をゼロから理解する』(早尾貴紀監訳、河出新書)も併読してほしい。
青木美希『それでも日本に原発は必要なのか?潰される再生可能エネルギー』(文春新書)は、日本と世界の再エネと原発の状況をわかりやすく解説している。原発推進に向かう自民党内の事情もよくわかる。
高橋信雄『裁かれた〈偽りの科学〉 原爆訴訟判決文から見えた真実』(花伝社)は、『虎に翼』で話題になった東京原爆裁判から最近の長崎被爆体験者訴訟に至るまでの原爆訴訟60年間の到達点と課題を被爆地の記者が詳述した力作である。(とだ・きよし=長崎大学名誉教授・平和学・環境社会学)
日本政治思想史 尾原 宏之
三ツ松誠『復古の夢』(東京大学出版会)は、異才の評も高い著者の博士論文をもとにする。幕末動乱や明治国家形成において、国学はどんな意味を持ち得たか。宣長や篤胤を継ぐ門人たちの錯誤や苦悶が活写され、心が動かされる。「スピリチュアルなもの」と政治の関係について再考を迫る一冊。
河野有理『日本史はいかに物語られてきたか』(新潮選書)は、思想史学が現代の言論に意義ある介入をするための新たな道筋を示す。歴史語りに潜む「史観」を対象とすることで、百田尚樹から家永三郎まで並べて論じることが可能になった。なお本書は女性の天皇と首相を考える上でも有益である。
佐藤卓己『戦争の世紀を読む』(岩波現代文庫)は、戦争とファシズムに関する九一年以降の書評などを収める。冷戦終結・バブル崩壊後の知性史として貴重。「次の戦争を本気で回避しようと思うなら、その前夜、つまり「平和な時期のこと」を正しく記憶しその変質を吟味すべき」との言葉が光る。(おはら・ひろゆき=甲南大学教授・日本政治思想史)
日本近現代史 成田 龍一
飯田泰三『日本政治思想史講義』(筑摩書房)。副題に「『丸山眞男講義録 第四冊』を精読する」とあり、本書は講義録の講義録となっている。かつて丸山眞男が行なった講義を、同じ対象(記紀神話―鎌倉仏教)を傍らにおきつつ、双方を読み解き、自らの解釈と見解を披歴していく。幾重にも重層的な「読み」が示され、「日本」をめぐる議論が歴史意識の深部から説かれ、世界史的な視野で論じられる。講義というライブが記録されることによって、あらたな読者を生みだし、その核心が継承されることとなった。
清水和裕・貴堂嘉之・鈴木英明編著『奴隷制・奴隷貿易を知るための66章』(明石書店)。「エリア・スタディーズ」というシリーズのなかの一冊だが、「奴隷制」「奴隷貿易」という構え(問題構成)によって、時代と地域に根ざしつつ、時代と地域を越えた歴史認識と知見を示す著作となっている。「もうひとつの世界史」との姿勢は斥けられ、近年の世界史認識と分析方法を綜合した「世界史入門」ともいうべき内容をもち、歴史学と歴史教育の現在を示す。日本を含めアジアの事例も、きちんと組み込まれている。
小川輝光『〈水俣の学び〉と歴史教育』(績文堂出版)。「歴史総合」「探究」というあらたな科目が開始され、現在の歴史教育は「歴史の学び」を深める方向に向かっている。本書も「教室」と「社会」のなかでの歴史教育をつなぐ「歴史実践」として、「水俣」を対象とし、「水俣病の経験」やその「地域社会」、「世界」との関係の考察など、〈水俣の学び〉の内容を紹介する。歴史教育が歴史学を主導する、「歴史の学び」の現在が凝縮した著作である。(なりた・りゅういち=日本女子大学名誉教授・日本近現代史)
歴史社会学・社会運動論 大野 光明
スパイ防止法や国旗損壊罪法などの「検討」が進むファシズム的状況のなか、社会運動史から目が離せない。
黒川伊織『神戸〈生きられた運動経験〉の貫戦史 海港都市が生んだ〈抵抗と文化〉/〈抵抗の文化〉』(小さ子社)は、神戸における戦前のコミュニストからベトナム反戦運動までの文化運動と反戦平和運動を丹念な調査により描く。読者それぞれの足元/地元に抵抗の「地下水脈」は流れているはずだ。
ジェイク・ホール『みんなこうして連帯してきた 失敗のなかで社会は変わっていく』(安藤貴子訳、柏書房)は、セクシュアリティ、ジェンダー、人種、階級、障害などのカテゴリーを超えて模索されてきた人びとの連帯の歴史を描く。また、キアンガ=ヤマッタ・テイラー編著『コンバヒーリバー・コレクティヴ宣言 ブラックフェミニズムをつくってきた黒人女性たちは語る』(Political Feelings Collective訳、花伝社)ではレイシズム、家父長制、資本主義の連動する抑圧への抵抗について、アクティヴィストの経験が語られている。人びと・運動の間に連合体(コアリション)をどう組織化するか。「アイデンティティ・ポリティクス」や「インターセクショナリティ」を実践の言葉としてどう読むか。沖縄のフェミニズム史と重ねて読んだ。(おおの・みつあき=滋賀県立大学教授・歴史社会学・社会運動論)
フランス思想・文学 澤田 直
①今村純子『シモーヌ・ヴェイユ思想入門』(光文社新書)。斬新な入門書の試みだ。ヴェイユの思想に呼応し、照応するさまざまな言葉(折口信夫、石牟礼道子、森崎和)や映像が呼び出され、傍らに置かれる。それによってヴェイユの、純粋だが研ぎ澄まされすぎていて難解な言葉が、少しずつ解きほぐされ、新たな相貌のもとで浮かび上がってくる。
②松田浩則『ヴァレリー、愛の第二章 あるいはカトリーヌ・ポッジ』(水声社)。ポール・ヴァレリーは、知性の人と言われるが、じつは感性の人、さらに言えば官能の人でもあった。結婚後も恋多き人で、なかでも一九二〇年に出会い、二八年ごろまで続いたカトリーヌ・ポッジとの関係は濃密かつ複雑で、ヴァレリーの作品に大きな影を落としている。本書は、資料を博捜して、創造と愛憎に満ちたポッジとヴァレリーの複雑な関係を跡づけた労作であるばかりでなく、詩作と思索の誕生の場を活写する評伝である。
③加藤晴久『加藤晴久文集 Ⅰ・Ⅱ』(幻戯書房)。収録されているのは、一九六一年から二〇二二年までに書かれた文学・思想(Ⅰ)と語学教育(Ⅱ)についての文章。フランス語教育の第一人者、ブルデュー社会学の先駆的紹介者、フランスの新聞『ル・モンド』紙の精読者として知られる加藤が、早くから植民地問題を含めフランスの闇の部分に目配りを怠らなかったこと、外国語を学ぶことにたゆまない努力と情熱を持ちつづけたことがわかる。Ⅱのほうは、フランス語が半分占めるが、訳し方についての実践的な勉強にもなる。(さわだ・なお=立教大学名誉教授・フランス思想・文学)
日本文学・震災後文学 木村 朗子
梶原さい子『震災短歌ノート 東日本大震災ののちに』(短歌研究社)。東日本大震災から一五年目の三月一一日の刊行。震災直後からの主に東北で詠まれた短歌を振り返ることは、あれからの時間を追体験することでもある。かくも苛烈な現実を歌によって目の当たりにするかのよう。最後に歌詠みたちの聞き書きのパートがつき、歌を詠むこととは何か定型とは何かについて考えさせられる。
『漢詩の手帖 書庫に水鳥がいなかった日のこと』(素粒社)。小津夜景の三冊目の漢詩をめぐるエッセイ。『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)、『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(新潮文庫)もよかったが、本書はフランス在住の著者が日本の図書館に通って書いたという渾身の一冊。ふつうの本には載らないような珍しい漢詩が盛りだくさん。一冊また一冊と読むたびに漢詩に近づける気がしてくるのがうれしい。
加須屋誠『呪術と美術』(中央公論美術出版)。
『地獄めぐり』(講談社新書)などで知られる著者による呪術をめぐる美術の本。歴史の教科書にも載るような有名な合戦や戦闘がどんな呪い合いが展開していたかでたどりなおす第三章「怨敵調伏!」はスリリング。(きむら・さえこ=津田塾大学教授・日本文学・震災後文学)
社会言語学 井上 逸兵
松田俊介『手の言語学』(左右社)は、日本手話を通して、音声や文字に限られない言語の姿を考える。手・顔・身体の動きが意味を担い、視覚言語ならではの文法を生み出すことから、「ことば」とは何かを根本から問い直す。マンガのコマ割との対照もおもしろく、発見に満ちている。
堀田隆一『英語史で解く英文法の謎 なぜ「3単現のs」をつけるのか』(NHK出版新書)は、3単現のs、goの過去形went、elevenなど、英文法・語彙の疑問を英語史から解き明かす。暗記項目に見える規則の背後に、言語変化の物語があることを示す。言語の歴史に「人」を感じさせる。英語史、英語学の優れた入門書である。
尾谷昌則『その言葉の本当の思惑を見抜く 言語学』(サンマーク出版)は、会話やLINEに潜む含意、遠回しな断り、気遣い、皮肉などを、協調の原理やポライトネスの観点から読み解く。相手の発話を額面通りでなく、文脈や関係性の中で理解するための、日常に根ざした実践的な言語学入門であり、「会話の科学書」。具体例も豊富。(いのうえ・いっぺい=慶應義塾大学教授・社会言語学・英語学)
中国哲学 城山 陽宣
中国の文化文明の複雑な形象を読み解き、その最適な解を要所に移植することによって、独自のかたちを構築してきた日本。
田尻健太『鄭玄から五経正義へ 中国古典解釈学への誘い』(法藏館)は、中国古代の叡智の結晶である「経書」が、鄭玄など歴代の儒者によって、いかに読み解かれ、新たな意義を与えられてきたのかを再検証する。我が国の学問の祖型とも言うべき、「注疏の学」の淵源と極点を探求する一書である。
任継愈主編・松下道信監訳『中国道教史』(汲古書院)は、かねてより道教研究者の間で、要事に紐解かれてきた基本資料であったが、今般、この領域の専家を訳者に迎えて、その全書に適訳が施されるに至った。我が国の呪術や儀礼などの多くの方面において、道教が与えた影響が多大であった事例を顧みると、本書の登場が、日本史研究においても新たな地平を拓く契機となるであろう。学界の慶事を寿ぎたい。
近年のパンデミックの折ほど、人類のパラダイムの再構築が迫られた画期はあるまい。大形徹・山本優紀子・池内早紀子編『鬼系の病因論 疾病・疫病観の起源を探る』(臨川書店)は、日中両国の祖霊を背景とした思想・信仰と、多くの領域にまたがる病の諸相との相関・因果の関係について、丹念に検証を重ねたもの。この学域の最前線を俯瞰するに止まらず、東アジアの過去から未来を照射するに足る好著の出現である。(しろやま・たかのぶ=東日本国際大学経済経営学部教授・中国哲学)
ドイツ思想 細見 和之
松本卓也・福家崇洋・渡辺恭彦編『京大1969 「自由の学風」の闘争史』(青土社)
あの大学闘争の時代、京都大学の「全学教官共闘会議」に集ったひとびとはなにを行い、なにを考えていたのか。国際卓越研究大学なる政策のもとで文字どおりの「大学解体」が進行してゆくなかで、若い知性による問い返しに期待したい。
『金学鉄文学選集2 長篇小説 二十世紀の神話』(愛沢革訳、新幹社)
金学鉄は、一九一六年に朝鮮半島の元山で生まれ、一九歳で上海に亡命した、中国朝鮮族を代表する作家。その彼が文化大革命ただなかの一九六五年に書き上げていた、痛烈な毛沢東批判の込められた作品。翻訳には訳者の長年の苦労が結実している。
熊谷誠人『詩人茨木のり子の誕生 西尾の少女の物語』(風媒社)
作者は茨木のり子が育った愛知県西尾での体験が彼女の感受性の根本を培ったと考え、資料やインタビューから丹念に考証している。その手際はさながら名探偵。今年は茨木のり子の生誕一〇〇年、没後二〇年。それにまことにふさわしい一冊である。(ほそみ・かずゆき=京都大学教授・ドイツ思想)
比較文学・映画論 四方田 犬彦
①藤本高之『イスラーム映画祭エンサイクロペディア』(Type Slowly)
②張承志『先知与解放』(私家版、北京)
③チェ・ヨンミ『詩を灯し野にゆく』(丁海玉編訳、港の人)
①は2015年により10年にわたり私費を投じて「イスラーム圏」映画102本を、東京ユーロスペースなどで上映してきた藤本高之による、貴重な上映作品記録集。氏は真の意味で、アンリ・ラングロワ的な映画精神の人だという印象をもった。「人はみずからの映像をみずから所持しているかぎり、けっして敗北しない」という大島渚の警句がイスラーム社会において実現されていることが、本書からははっきりと窺うことができる。
②は「紅衛兵」という呼称を最初に名乗り、文化大革命の先鞭を切った回族の思想家が、法然、イエス、『コーラン』を論じた新著である。張氏は本邦にも多数の翻訳書をもつが、現代中国の最新思想を説く本書も、翻訳される日を待ちたい。
③は『三十歳、宴は終わった』という第一詩集が五十万部を超えるベストセラーとなった韓国の詩人のアンソロジー。同名の詩には、民主化の達成によって政治闘争の時代は終わったという意味も含まれている。日本ならば全共闘世代が共感した、中島みゆきの「時代」を思い出す人もいるかもしれない。ところが彼女はその後、セクハラ裁判で名誉棄損を訴えられ、「生活補助金申請対象」となり、現在は一人出版社で自作を刊行している。いいたいことを臆せずに詩に書いて、満身創痍の人のようだ。『零落の賦』の著者としては興味が尽きない。(よもた・いぬひこ=比較文学・映画論)
美学・芸術学 荻野 哉
ミステリーの愛好家にくわえて、デザイナーや視覚文化の研究者をもひきつける一冊が、菅靖子『ポアロの部屋はなぜモダン? アガサ・クリスティで読み解く20世紀デザイン史』(彩流社)。「ブックカバー・デザインまで含めての作品」というアガサの信念を図版とともに考察した章は、彼女の経験とデザインの歴史との交差を印象的に浮かび上がらせている。
多様な読者に向けての真摯な言葉で紡がれているのは、競技者と研究者の複眼的な視座から生み出された、町田樹『スポーツ・クリティーク』(世界思想社)も同じである。著者が提起した「どこまでが自分の内側で、どこからが外側か?」という哲学のバトンは、「表現とは何か」・「批評はどうあるべきか」などの美学・芸術学の問題へと受け継がれていく。
真鍋祐子監修『越境のアーティスト 富山妙子』(皓星社)においては、まさに「越境」が核心にある。過去の歴史や記憶を見つめ直して可視化する富山のスタンスは、国や言語を越えて共振していった。世界が複数の危機に直面するなか、他者との連帯に向けた創意的な実践について深く考えさせる書物。(おぎの・はじめ=大分県立芸術文化短期大学教授・美学・芸術学)
中国近現代史 関 智英
大谷亨『中国TikTok民俗学 スマホからはじまる珍神探訪』(NHK出版新書)は、ショート動画アプリに映り込む、奇妙で熱い「現代の民間信仰」を実地調査。スマホの画面を手掛かりに、各地に土着信仰がいまだ根強く存在する〝変わらざる〟社会の実情を活写している。
海野典子『イスラームが動かした中国史 唐宋代から鄭和の大航海、現代回族まで』(中公新書)は、中国のムスリムの歴史を軸に据え、ユーラシア広域へと繫がるダイナミックな歴史を手堅く描き出した画期的な一書。信仰を護るために時の政治権力に従う(ふりをする)という彼らの戦略が、歴史的に形作られたものであることを深く納得する。
小野容照『親日派 売国と愛国の韓国史』(中公新書)は、韓国で「売国奴」の代名詞とされる「親日派」の実像に迫る。民主化以降の韓国で「親日派」の概念が肥大化し、その清算をめぐる議論が、いまや日韓問題というよりも「韓国内の保守と革新(民主)の対立」へと変質しているという指摘は、とりわけ興味深い。(せき・ともひで=津田塾大学教授・中国近現代史)
出版学 植村 八潮
河本毬馨『場としての図書館 求められる機能と役割』(ミネルヴァ書房)。近年、公共図書館は、単なる資料の所蔵と貸出の場所ではなく、文化的イベントや地域コミュニティの創出拠点ととらえられてきた。地域振興策としても「居場所としての図書館」が切り札として語られる。マジックワード化した「場」としての図書館の存在意義を学術的に立証した書である。図書館の新築・改築計画を担当する人にはぜひ一読を勧める。
渡邊重夫『図書館と戦争と民主主義の百年』(青弓社)。書名を書き下すと、「戦争への協力」と「戦後民主主義の砦」としての図書館の二面を描く百年史となる。図書館は政府により「思想善導」策を押しつけられたのではなく、積極的に加担した側面があり、その反省として戦後民主化の旗を振ったのだ。
伊藤昌亮『曖昧な弱者の時代』(岩波新書)。私たちは精神的な豊かさを求め、外国人、障害者、LGBTQなど弱者に優しい時代をめざして来たのではなかったのか。「弱者を叩く」ネット言説が、あふれるばかりで言葉を失う。そこには「俺のほうがつらい」と声高に叫ぶ「曖昧な弱者」がいる。中間層で起こっている「貧すれば鈍する」現象のメカニズムを明晰に分析する。(うえむら・やしお=専修大学研究参与・日本図書館協会常務理事・出版学・図書館情報学)
西洋史・ジェンダー史 三浦 麻美
本をモノとして描く2冊を得た。ロバート・バートレット『燃やされた中世写本 破壊と継承の歴史』(大津祥子訳、青土社)は、約90%が消滅した西洋中世写本が国立文書館で保存された一方、戦争で大量破壊もあったとし、知の伝承における近代国家の功罪を示す。
ジョセフ・ホーン『古書贋作師トマス・ワイズ』(倉田真木訳、早川書房)は、20世紀前半に初版本を大量偽造したワイズ、それを暴く古書商カーターとポラードを描く。身分と専門教育で序列が決まるイギリスと富の新たな所有者アメリカ、その間でのし上がるワイズの背後にあったのは知と権力のメディアとしての本だ。
エイミー・スタンリー『将軍の都の客人 越後の寺娘・常野、江戸を訪う』(原直史監訳、石垣賀子訳、みすず書房)は、江戸時代末期のある女性の生涯を描く。女性の都市流出は現代の社会問題にとどまらず、江戸時代からあったのは驚き。結婚や実家の問題の克服に奮闘する常野は他人事ではない。(みうら・あさみ=埼玉学園大学人間学部講師・西洋史・ジェンダー史)
日本近現代文学・文化 日比 嘉高
文学散歩が、まさか研究対象になるとは。岡野裕行『文学散歩の研究』(文学通信)は、その起源から展開、関連図書、関わった人びとを一望する。著者は図書館情報学を専門にしており、資料の収集・整理・提示が緻密であるだけでなく、図書館サービスや復刻版の試みを視野に入れるなどの点に特徴がある。
三宅陽一郎『AIはニュータイプの夢を見るか人工知能と想像力のあいだ』(青土社)は、SF小説や映画、アニメーション、マンガの想像力と現実のAIの開発とが、相互的に参照しあってきたこと、物語と現実・仮想現実とが拡張しあっていることをさまざまな事例を示しながら論じる。テクノロジーと文化創造の界面を考えることは、諸学の界面を再設計することでもある。
疋田雅昭『小島信夫とは誰か 再帰するテクストあるいは憑在論の方へ』(水声社)。木村洋『蒲団の時代』(新潮選書)と迷ったが、ここでは小島信夫の複雑に参照し合う創作を、最初期の短編群から最後の長篇まで、全二三章を費やして論じたこちらを挙げた。(ひび・よしたか=名古屋大学教授・日本近現代文学・文化論・デジタル・ヒューマニティーズ)
ノンフィクション作家 与那原 恵
ジョセフ・ホーン『古書贋作師トマス・ワイズ』(倉田真木訳、早川書房)の冒頭から一気に引き込まれる。舞台は二十世紀初頭のロンドン。世界的な稀覯本コレクターとして、頂点に君臨したワイズ。彼の裏の顔は古書贋作師だった。存在しないはずの初版本を「偽造」していた。その真実がふたりの若手古書商によって暴かれていく。事件を追った著者
