2026/06/19号 4面

アナール学派と歴史学の危機

アナール学派と歴史学の危機 ロジェ・シャルチエ著 工藤 晶人  著者ロジェ・シャルチエは、アナール派第四世代と呼ばれる歴史家である。近世ヨーロッパの書物と読書の歴史を専門としつつ、歴史学と文化研究の理論において斯界を牽引する存在として知られてきた。  日本では『読書と読者』と『フランス革命の文化的起源』の二冊のモノグラフィが既に訳されているが、認識論の方面における主著についてもここに待望の翻訳が出版された。原著の初版は一九九八年、一章が増補された新版は二〇〇九年の刊行である。  はじめに刊行年を強調したのには理由がある。それはこの論集が、当時切迫した話題となっていた「歴史学の危機」への応答として編まれたからであり、ここに展開された論議が今にいたるまで参照され続けているためである。まずはこのテーマについて、著者の認識を紹介してみよう。  危機というからには、シャルチエの見通しは楽観的なものではない。歴史学を人文社会科学の中枢に位置づけようとする野心は失われ、研究はますます細分化していく。その方向性の一つとして、史料や文書そのものへの関心が高まり、書くこと、読むこと、言説の流通といった事象について研究が進んだ。それに応じて、歴史家はみずからもテクストの生産者であることに自覚的になる。そして、歴史を書くことにはつねに何らかの物語性が含まれるという認識が広く共有されるようになった。  そこで登場したのが、歴史記述は畢竟するにフィクションや創作と同じ次元に置かれるべきものであるという相対主義である。シャルチエはそのような相対主義と一線を画する。しかしそれを単純に拒絶するのではなく、歴史それ自体が特有の形式をもつナラティヴであるということの意味を積極的にとらえて、学問の拠り所を探っていく。  そのために著者が参照するのが、現代哲学における歴史認識の批判的実在論の可能性である。シャルチエは、過去の実在を措定して明確な説明を提示するという古典的な要請に応えつつ、哲学、社会学、文学研究などと対話しながら新しい問いを生み出すという二つの探求を両立しようとする。この二兎を追うような困難な歩みを、著者は「断崖を歩く」という表現に託した。  三部構成でそれぞれに四章を配した均整の取れた構成をもつ本書が扱うテーマは幅広い。欧米の史学史(いわゆる言語論的展開とヘイドン・ホワイトに対する応答を含む)、フランス現代思想の読解(フーコー、セルトー、マラン)、そして、隣接学問分野との対話(地理学、歴史哲学、文学批評と書誌学、社会学等)。章の題名にはあらわれないが、リクールの哲学が随所で参照されることも強調しておこう。デジタル化やグローバル化などの動向にも言及がある。  フランスの歴史学といえば、近年の話題としてジャブロンカの著作が思い浮かぶ。『私にはいなかった祖父母の歴史』に代表される一連の作品の特徴は、歴史家の「私」を強調しつつ文学と交錯する歴史の書き方を追求する点にあるわけだが、シャルチエは、そうした潮流の前提を創り出した歴史家でもある。読み書きという行為の歴史性、表象とは何かといったテーマ群を歴史学のなかに根付かせたシャルチエの著作を読むことは、文化の歴史学の現在地を知る上でも有益だろう。  歴史家としての節度を守りつつ人文社会の諸学を博捜するシャルチエの文章は、さまざまな示唆に満ちている。評者自身、学生時代に原著の読解に苦労した思い出があり、このたび明晰な訳文をとおして本書を読むことで多くの発見があった。  印象深かった章節をいくつかあげれば、歴史記述は史資料という他者を自身のうちに包み込んだパイ生地のような層構造を持つというセルトーの指摘にかかわる一章や、ブローデルの時間論を再検討する展望が記された一節がある。  それでは全体としてみたときに、シャルチエの訳書はどのように読まれるであろうか。かりに本書の主題を、歴史学は科学なのか、フィクションなのかという問いに還元するとすれば、それはややミスリーディングと言うべきだろう。そのような惹句は、単純な二項対立を慎む著者の姿勢にふさわしいものではないし、本書があたかも伝統的な歴史学を擁護する側に立っているかのような印象を与えかねない。  まして日本の特殊事情として、確固とした事実にもとづいて過去を認識する歴史学は文学とは明確に区別される営為であるというような主張が金字塔のように参照されつづけている現状を思うと、いささか不安がないではない。  著者が繰り返し述べるように、フィクションと歴史の境界がかつてのように明確ではなくなったということは、それ自体が新たな発見というより、議論の前提である。少なくとも、歴史は過去の事実を言葉によってありのままに再現できるという一九世紀的な楽観は、過去のものとなったはずである。  ちなみにそうした認識は、近代欧米の思想に特有のものとは言えまい。左伝から董狐之筆の故事を思い出してみれば、自ら霊公を手にかけたわけではない趙盾は、宰相として、主君を弑したと史官が書くのを受け入れざるを得なかった。出来事とそれを述べる言葉を選ぶこととの緊張関係は、古くから意識されてきたのだ。  原著には、「確信と不安のあいだの歴史学」という副題がつけられている。歴史家はつねに自らの仕事に対してためらいと悔悛の気持ちをもって向き合ってほしいと述べたのは、アナール派の創始者ブロックであった。断崖の比喩は、そうした伝統を継ごうとする意思も感じさせる。  本書で述べられている歴史学の危機は、近年では切迫感をもって言及されることは少なくなった。だがそれは本書のアクチュアリティが減じたということではない。むしろ逆である。本書におさめられた多彩な論考を読むことで、歴史学、哲学、文学のディシプリンの壁を超えた対話を再開するための手がかりが得られるはずである。(川口茂雄監訳)(くどう・あきひと=学習院大学教授・比較歴史学・地中海史)  ★ロジェ・シャルチエ=フランスの歴史家。一九七五年から社会科学高等研究院にて教鞭を執り、二〇〇七年よりコレージュ・ド・フランス教授。アナール学派第四世代を代表する文化史家。著書に『読書と読者』など。一九四五年生。

書籍

書籍名 アナール学派と歴史学の危機
ISBN13 9784623100491
ISBN10 4623100499