2025/11/21号 6面

「読書人を全部読む!」15(山本貴光)

読書人を全部読む! 山本貴光 第15回 ふわっと日本文化論  1959年の新年最初の号を読んでいるところだった。前回は1面の「二つの世代の日本観」という長谷川如是閑と江藤淳による評論を見比べた。この号をもう少し見ておこう。  さて、この号は全10面のうち、1面から5面までを新年特集に充てている。2面は「日本文化の座標――アジアと西欧へ開かれた特異な窓」というタイトルで、桑原武夫(1904-1988/55/京大人文科学研究所教授・フランス文学専攻)と堀田善衞(1918-1998/41/作家)の対談が載っている。編集部のリードによれば「戦後十四年目を迎えた今年は、一昨年来、論壇をにぎわしてきた日本文化論があらたな展開を期待されている年でもある」とのこと。  日本文化論とは、日本とはどのような文化なのか、それは他と比べてどのような特徴を持っているのかという論で、古くから連綿と問われ続けてきたものだ。もちろん自国やその文化を位置づける試みは日本に限らずどこでも行われていると思われる。日本の場合、古くは中国から文物を移入し、明治以降は西洋から文物を取り込むという具合に、常に異文化から大きな影響を受けつつ社会なり文化なりをつくってきている。それだけに、折に触れて自分たちに独自の要素はなにかという議論も起こるわけである。そうしたことについては、大久保喬樹『日本文化論の系譜』(中公新書、2003)や、最近のものでは大塚英志『「日本文化論」はどう創られてきたか』(集英社新書、2025)など、日本文化論の変遷を垣間見させてくれる好著にお任せするとして、堀田善衞と桑原武夫である。  2人の碩学はなにをどう論じているだろうと思って読んでみると、だいぶふわっとした放談に見える。見出しにある「ふわっと……民族統一」「理屈ぬきで話の判る国」とは、両者が論じている「日本の特殊性」の要点を捉えたものだ。良し悪しは別として、大きく文明や文化を論じることができた時代の幅のある知識人らによる議論とも言えるし、現在の視点からは実証的ではない大風呂敷を広げる議論にも見えるだろう。  続く3面は「1959年架空ルポルタージュ」と題して、杉浦明平(1913-2001/46/作家)と安部公房(1924-1993/35/作家)が小説風の文章を寄せている。創作方面からの展望で、架空ルポルタージュというお題の工夫が楽しい。ついでながら、同じページには「新春随想」として井伏鱒二が干支である「猪の話」を書いている。  4面は「「国家百年の計」の意義――年頭にあたって千思すべき課題」というタイトルで、小林直樹による政治論が出ている。「日本人の生活様式の全面にわたって、長期計算がおそろしく欠けている」との指摘は、言い換えれば、その場しのぎの無計画となるわけだが、いまも変わっていないように思う。同じ面では「1959年マスコミ双曲線――週刊誌とテレビを展望する」という記事が、世は週刊誌時代であること、1953年にテレビ放送が始まってから驚異的な速さでテレビが普及しつつあることを指摘している。こうなると、当時の週刊誌やテレビ番組についても調べたくなってくるわけだが、深入りすると先へ進めなくなりそう。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)