2026/04/24号 4面

〈熟議投票〉の政治学

〈熟議投票〉の政治学 徳田 太郎著 西山 渓  「答えのない」という言葉を聞く機会が、この数年で増えた。環境問題や戦争や経済格差など、現代社会の難題は解決が難しいだけでなく、何をもって「解決」と言えるかも定まっていない。専門用語ではこうした「答えのない」問題は、「やっかいな問題(wicked problems)」とも呼ばれている。  しかし、私たちはそうした問題に対してなお時間と労力をかけ、時に対立しながらも「解決」を追い求めている。本当に「答え」がないのなら、なぜ解決をあきらめないのだろうか。  私は、本当のところは逆だと思っている。「答え」はあるのだ。私たちは、答えがあると、心のどこかで信じているからこそ、議論を続けるのだ。むろん、全ての「答え」が正しいわけではない。現代社会で問題となるのは、「正しい答えがない」ことではなく、むしろ異なる人々がそれぞれの「答え」が「正しい」と主張し合っていることだ。言い換えれば「答えがありすぎる(plenty of solutions)」のである。極端な提案をも「正しい答え」とみなす者がいるなかで、私たちはどのように判断を形成するべきなのか、これが問われている。  政治学では、「より正しい(truer)答え」を見つける手段として、伝統的に「熟議」と「投票」が重視されてきた。しかし、「答えがありすぎる」時代には、熟議だけでは結論に至りにくく、投票だけでは多くの「答え」が切り捨てられる。『〈熟議投票〉の政治学 アイルランドの憲法改正にみる民主主義の変革』は、この両者の関係の刷新を通して、「答えがありすぎる」時代の新たな政治の可能性を模索した労作である。  本書が取り上げるのはアイルランドの事例である。アイルランドでは、伝統的にタブーとされてきた婚姻の平等や中絶といった多数の「答え」の分断を伴う政治的問題に対して、世界に先立って「熟議投票」という民主主義の刷新が行われたことで知られている。無作為抽出で選ばれた市民が政治家や専門家と共に熟議を重ね、これらの問題についての論点をまとめ提言をする「熟議ミニ・パブリックス」と、それを受けた国民投票(レファレンダム)とそのキャンペーンによる憲法改正が一連のプロセスとして実行された。本書はこの熟議投票プロセスの運用と成果を丁寧に分析し、「答え」の分断を超える制度デザインの可能性を明らかにする。  そうなると当然、「日本でもできるのか?」という問いが生まれる。著者はアイルランドのような熟議投票プロセスがそう簡単に実装できないことは認めつつも、憲法や地方自治法の再検討や、日本における「答えがありすぎる問題」の最たる例である原発をめぐる住民投票などを事例として、自治体レベルでの熟議投票を応用する余地を検討する。その試みは思考実験の段階であるものの、日本でも熟議投票は制度設計次第では十分に可能だという著者の議論には説得力がある。  日欧の文献や事例を丁寧に読み込んだ本書は、比較政治の書、日本の政治過程論の書、そして政治理論の現実への応用として学ぶことが多い。だが本書の最大の魅力は、著者自身が数多くの熟議実践に関わったプロのファシリテーターであるということであろう。本書にはファシリテーションの章もあるが、それは単なるノウハウ論ではない。著者は、ファシリテーターの技術側面だけにとどまらず、ファシリテーターの概念を意欲的に拡張させようと試みる。いわく、ファシリテーターとは、単一の議論の場にとどまらず、異なる立場の人々がそれぞれの「答え」を持ち寄り、相互に尊重しながら熟議をつみかさねていく機会を創出する民主主義のエージェントである。こうしたファシリテーター像は、「答えがありすぎる」時代だからこそ一考に値する。  憲法改正をめぐる議論が活発化するいま、日本でも多くの人がそれぞれの「答え」を抱えている。国民投票を行うか否かの議論に際して、本書それ自体が、そうした公共の議論をファシリテートするものとして大きな役割を果たすに違いない。(にしやま・けい=開智国際大学専任講師・政治哲学・教育哲学)  ★とくだ・たろう=法政大学・同大学院兼任講師・熟議民主主義論・ファシリテーション論。共著に『ソーシャル・ファシリテーション』など。一九七二年生。

書籍

書籍名 〈熟議投票〉の政治学
ISBN13 9784750360775
ISBN10 4750360775