磯崎新論
田中 純著
吉田 朋正
書物はいつも開かれた二葉の紙面の広がりとしてしか経験されないとニーチェは不満をこぼした。他方でヴァレリーは、一見スタティックな全体である建築物が、そこを歩き回る者が遭遇する一過的で局所的な発見の連続として在るしかないと語っている。理念的にはまったき無時間の構造も、経験にとっては必ずや変化の運動の一局面であり、不完全な時間的セグメントの記憶であるほかない。これはどんな言語学者も自らの分析的知性が見出す(無時間な)「文」を生きることはできず、建築家にとっても「建築」は具体的な現実であると同時に、直接には知り得ない透明な抽象であり続けると述べても同じことだ。彼ら構築者は、いつでも自らの構築物に届ききらないどこかにいる──永遠に到達不可能なそれの真の姿〔形相〕を求め、ひたすら質量的世界をさまようドン・キホーテ的な探求の主人公であり続けること。その定めは、どうやらウーシアとコーラを父母とする「デミウルゴスの化身」たらんとした一人の建築家を追い求め、その生をまるごと再現しようとした、この批評的ミメーシスの造り手にも正しく当てはまるに違いない。
本書が建築家・磯崎新と文化史家・田中純の精神の交錯点たりえているのは、しかし単にプラトニックな構築者としてのシンパシーによるのではない。結局は美的カテゴリーに包摂されるばかりの右のような「説明」とは違って、本書が磯崎と共に向き合おうとしているのは、ある意味では建築という人間的営みの徹底した現実性、時には一過的で空しい世俗の難事とも言えそうな種々の建築プロジェクトが抱える多型の政治的性格にほかならないからだ。建築が喚起する問題は、むろん他方では大いに「理論的」でありえる。肝心なのは、建築にまつわるあらゆる理論的な言葉が世俗的現実にとってどこまでも付帯的/偶然的な表現であり、純然たる理論として成立する部分は実はかなり小さいということだ(あるいは「建築」という観念だけが、真に理論的であると言ってもよい)。磯崎自身によるつくばセンタービル(一九八四年)への周到な注解と、その周辺に生じた理論的論争などはその兆候的な一例だろう。これについて田中は、一方では磯崎自身の理論付けをヘテロトピアとしての建築というボルヘス/フーコー的な観念への変換によって的確に補正しつつ、他方ではまた、建築家自身が「断片の縫合」と呼び、あるいはケネス・フランプトンが「不連続の連続」と定位してみせたその様態が、実際には「設計開始の時点ではいまだ判然としなかった多数の機能」を満たすべく造られた、「試行錯誤の産物」であった点も目ざとく指摘している。実際、磯崎のこの代表作は、一部図面が竣工後に急ぎ作成されるといった、まさにコンティンジェントな状況下で辛くも結実したプロジェクトなのだ。この種の出来事は、むろん建築にはありがちなことかもしれない。だが私が言いたいのは、こうした理論と現実の絶え間ない駆け引き、先鋭化したアイデアと偶然性の相剋こそが、「建築」文化を造り上げている当のものだということである。田中の筆致は、まさにそうした理念と現実のはざまを縫う機動としての「建築」を、出来事として捉えて止むことがない。磯崎の言う反建築も、アドルフ・ロースの唱える装飾=犯罪論も、そこではすべてが一種の戦いの記録であり、その渦中で磨かれた戦術論だ。磯崎と田中の精神の交錯点が、単にプラトニックなものではないという先の言葉の真意は明らかだろう。
読者の眼前には、常人には面妖とも言えるこの「建築」界で磯崎が発揮していたはずの、並み外れた才気や感知力、建築と言語表現の双方における戦略性のもたらしたものが余さず時系列的に示される一方、これらすべての起こりと成果とを明確なコンテクストの中で跡付け、事実と蓋然性のあいだ、つまりは歴史記述的に確かな出来事と、総合的な知性の働き──田中がかつて述べた「五感や情動を総動員したパトス的な知」(『都市の詩学』)としてもよい──だけが感知しうる可能な出来事のあいだを、オシレーターのように微振動しながら読み進めて行く一人の解釈者の軌跡が広がっている。先のつくばセンタービルの例もそうだが、新都庁舎コンペに際して磯崎が述べたポトラッチとしての競技建築という挑戦的諧謔や、彼が「確信犯的な違犯」を通じて、「設計競技が前提としていた東京都による都市計画の失敗・欺瞞を暴」こうとしていたというそのプロジェクト案を、著者の注解を通じてはじめて子細に理解するとき、私たちはデミウルゴスならざる一人の人間としての磯崎新が、そもそも何と向き合っていたのかを先ず如実に知ることになる。実際の建築工程はもちろん、行政機関との厄介な綱引きや政治・経済状況から来るさまざまな困難を乗り越えて、ついに一つの建築プロジェクトを完成へと──時には意図的/戦略的な未完成へと──至らしめる多方向に広がった作戦線こそは、現実世界における磯崎が圧倒的な才覚を発揮した場所であるのは間違いない。だが著者が真に希求して止まないのは、むしろそのような文字通りの建築家の現実と、一人の造り手として彼が素面と直観をもって向き合うべき内なる創造領域の〈はざま〉にあって、いかに磯崎が一つの〔常に〕新たなる創造の起因点たらんとしていたのかという、可能性の物語なのである。著者の地口に言う「シン・イソザキ」とは、このデミアージックな矛盾的探求の果てに夢見られた臨界に違いない。
それにしても本書には、こんな小難しい見立てでは言い尽くせない、むしろ直截な歴史的ナラティヴとしての魅力や楽しみが存分にある。昭和六年、富裕な実業一家の長男として火野葦平『花と龍』さながらの世界に生を受けた少年が、多彩な趣味人でもあった父の密かな影響の下、やがて新制になったばかりの東京大学で後の仲間たちに出会うというのが物語の始まりだ。入学年は朝鮮戦争勃発の一九五〇年。学内もレッドパージと学生グループによる反対運動で騒然としていたこの時代、磯崎もまた同窓の山田洋次とともに「山村工作隊の活動」に加わり、あるいは「世紀の会」で自分以上に能弁の安部公房という先輩に出会い、「おまえ生意気だな」とやり込められている。こうしたナラティヴを次々ひもときながら、『空間へ』(一九九七年)冒頭を飾るあの謎めいた小説的エッセイ「都市破壊業KK」の筆致に、どこか「安部公房を連想させる語り口」を著者とともに聞き取るのは楽しい体験だ。田中はまた、先述の新都庁案のスーパーブロックが生み出したはずの幻の光景に、『方舟さくら丸』の主人公が地下迷宮から合同市庁舍の地階を抜け、ついに地上に出た際に目にする「人間や街のすべてが透明に見える」荘厳な眺めを想像的に重ねている。「崇高な超越性の光は地下的な闇の分身であり、光溢れるシティホールとはそんな冥府的な「闇の空間」が地上で反転された姿である」──学術的に能く制御された著者の身なり正しい記述の合間に忍び込む、さりげなくも熱を帯びたこの種の明察こそは、自ら「パトス的な知」を唱えた書き手の真骨頂だ。その根本的な方法とスタイルにおいて、本書は今もなお田中純の代表作と呼ぶに相応しい『都市の詩学』と『政治の美学』という二大著の延長線上に遂にあらわれた、新たなる達成点である。(よしだ・ともなお=東京都立大学教授・英米文学・批評史)
★たなか・じゅん=東京大学名誉教授・芸術論・思想史。著書に『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』(サントリー学芸賞〔思想・歴史部門〕)『都市の詩学』(芸術選奨文部科学大臣新人賞)『政治の美学』(毎日出版文化賞)など。二〇一〇年フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞。一九六〇年生。
書籍
書籍名 | 磯崎新論 |