文芸 4月
松田樹
新年度、このニュースから始めよう。「発見 大江健三郎未発表小説」(『群像』)。大江の学生時代の下宿先から二つの原稿が見つかった。一作には現存するデビュー作に先立つ日付が記されており、二年後に書かれたもう一作とともに最初期の創作活動を証言する。まず驚くべきは、並べて読んだ時の筆力の飛躍である。前者では散逸していた題材が後者では大江的としか言いようのない文体に集約されている。二年間の着実な歩み。書いては消し消しては書いたであろう推敲の過程。タイムカプセルのように約七〇年前から届けられた二つの大江作品は、作家という仕事がそうした遅々とした歩みの下にしか成立しないことを私たちに思い出させるようだ。
翻って現代では、「いまなにしてる?」というアテンションが常時喚起される。目まぐるしく話題が変わり、「いま」のみが募る。そんな中で書き手は固有のリズムを回復せねばならない。特集「震災後の世界15」に寄せられた古川日出男「灯台から灯台へ」(『群像』)は、その環境下での苦闘の記録。東日本大震災から十五年、「僕」は千葉県犬吠崎へと旅に出る。歩きながら想起されるのは、福島で亡くなった兄、兄の話から始まる地元の講演、原子力の材料となる鉱物、スパリゾートハワイアンズと炭鉱の関係、など。時間的な経過ではなく、人や物のネットワークが記述を繫ぐ。兄の形見の腕時計が壊れていることに注目しよう。フォークナーの『響きと怒り』が時計の壊れた描写で米国南部の敗者の歴史を浮かび上がらせたように、本作もまた震災以後の時間の流れをピン留めし、「いま」のせき立てに抗う。「あの原発事故を、二〇一一年から考えるのだけでは、駄目だ。ボンダンス、フラダンス。言葉を踊らせられなかったら駄目だ。無駄だ」。
『文學界』でも震災に関する特集が組まれる。が、そうとは明示しない形で記憶の問題に迫るのが、小野正嗣「路線バス」(『文學界』)。元県庁職員で現在は海辺を走るバスの運転手興司は、息子を自殺で亡くした。彼は息子がいじめられていたと思い込んでいるが、定かでない。路線バスを用いるのは、痴呆が始まる西田先生と不登校の少女、バックパッカーや外国人労働者。先生の妻もまた海に身を投げた過去を持ち、興司が彼を見つめる眼差しはどこか優しい。地方の漁村が舞台であるが、共同体はもはや崩壊し漂流するバスがそれを代補する。ともすれば不要なまでに人物の来歴が列挙されるのも、各々が自己の抱える記憶の重みに押しつぶされているからだ。共有されるのは、ただ海辺の町に漂う喪失感のみ。「その向こうにはいつも海があった。海はいまにもあふれ出してきそうだった」。震災以後の現代文学のモードを象徴するような作品である。
『すばる』『新潮』は、「道をゆく」「歩く風景」と似た特集を組む。一作ずつ取り上げよう。前者に寄せた柴崎友香「揺れている」は、やはり震災から「十五年経った現在」の宙吊りにされた時間を描く。瓦礫の山を道路の左右に映したバイク動画。誰のものかどこなのか定かではないその映像は、見る「彼」にも「揺れ」を生む。後者は温又柔、瀬尾夏美、パク・ソルメの三者による国境を跨いだ企画。温の「「略歴」の彼方」が切迫した筆致で最も印象に残った。台湾人の親を持ち、日本語で育った温は、その二重の帰属を問い続けてきた。台湾を訪れた際、逆に日本人の親を持ち、台湾で育った可能性を「Q」という架空の人物に託して想像する。興味深いのは、その想像が基隆港や台北のマンション街など土地の歴史とともに語られる点。「Q」とはまさに時代の流れに翻弄される人々を寓意したあの魯迅の「阿Q」に他ならず、街には無数の「Q」の姿が刻まれているのだ。
最後に、瞠目すべき新人の作として仁科斂「丹心」(『新潮』)を。新潮新人賞「さびしさは一個の廃墟」から舞台を中国に移し、前作の世界観を押し広げる。建築科の教授鹿野川の元に寧波に美術館を建てて欲しいという依頼が届き、彼の学生レンが謎の中国人女性ミスQと再会する。が、蓋を開けてみれば、その企画は不動産バブルが弾けて未完成のまま放置された住宅群「爛尾楼」(腐った終わりのビル)を処理するための弥縫策に過ぎず、ミスQの要求も二転三転する。彼女の父Q先生は公務員として彼の建築が地方を潤すと疑わないが、廃楼を上手く売り捌くことしか考えていないミスQとの間には世代の断絶がある。Q先生は「お前たちには歴史也没有、一点的丹心也没有(歴史もない、一点の丹心もない)、わたしはほんとうに悲しい」と述べて命を落とす。この対照的な二人もまた、現代の「阿Q」なのだ。仁科の作では建築や歴史への意志はつねに「廃墟」の感覚と背中合わせである。それは鹿野川やレンが東日本大震災を建築のキャリアの出発点にしていることにも繫がっていよう。ここでもやはり時計は壊れている。ちなみに、「爛尾楼」とは中国では仕事が見つからない大量の若者をも指す(爛尾娃とも)。「いま」の常時喚起が覆い隠す、社会全体の停滞感がこのキーワードに上手く定着されている。(まつだ・いつき=文学研究・批評・愛知淑徳大学創作表現専攻講師)
