1959/01/01号 5面

かるたの精神 貴族性と大衆性と 百人一首からトランプまで

お正月のあそびといえば、かるたに双六、羽根つきにタコあげ──と、相場がきまっている。そのそれぞれのゲームは、民俗学的にも、コミュニケーション的にもきわめて面白いし、とくに「いろはかるた」については、鶴見俊輔氏がこれまで何回か、貴重な意味の発見をのこしてきた。 だが、さいきんアンビについての本を何冊か読んでいるうち、「かるた」の文化史のなかに、いくつか重要な事実があることに気がついた。というのは、いまわれわれのゲームとして存在している「いろはかるた」「百人一首」「花札」「トランプ」という四つのジャンルが、歴史的にたいへん面白い交流を示しているからである。 <貝合わせから歌貝へ> まず、「歌かるた」(「百人一首」)から考えてみよう。このゲームは江戸時代の初期に成立したが、その前身をたどれば、平安朝の貴族ゲームたる「貝合わせ」までさかのぼることができる。 貝合わせとは、さまざまな貝に歌を詠み添えて出来栄えの優劣を競うもので、現代の皇室芸術たる「御題」という形式も、これと一脈通じるところがあるかもしれない。 だが、この悠長な殿上人のゲームは、やがて「歌貝(うたがい)」という形式に転化し、大衆化する。「貝合わせ」が作品の優劣を決める、いわば「文学賞」的ゲームであったのに対し、「歌貝」では、作品はすべて既成品である。そして、既成品を上の句と下の句に切断して、それを合わせるのがその遊び方なのである。いわば、「歌貝」はモザイク・パズルのようなものといってよいだろう。 この「歌貝」から「歌かるた」への進化が続く。「読み札」と「とり札」の分離、そしてその後に続くのが「いろはかるた」である。 ところで、ここで使われている「かるた」という言葉について考えてみよう。この語は土着の日本語ではなく、ポルトガル語の Carta、すなわち「カード」から出た言葉である。つまりトランプのことだ(いうまでもないことだが、「トランプ」というのは「切り札」の意味で、カード全体を「トランプ」と呼ぶのは和製英語である)。 日本最初の「かるた」である「うんすんかるた」、それに続く「天正かるた」の遊び方を見ても、それがポーカーやツー・テン・ジャックの遊び方に似ていることに気がつく。これこそが本来の「かるた」なのである。 もちろん、この「かるた」遊びはポルトガル船から輸入されたものであって、当初はごく一部の日本人しかこれに興味を持たなかったことが想像される。しかし、「天正かるた」の頃には、町人のあいだでたいへんなかるた熱が湧いたらしい。1648年には幕府の禁令が出ているくらいである。