2026/09/04号 1面

デリダの文学的想像力

対談=郷原 佳以×鵜飼 哲<デリダ、風に消えた灰を見つめて>郷原佳以『デリダの文学的想像力』(みすず書房)出版を機に
対談=郷原佳以×鵜飼哲 <デリダ、風に消えた灰を見つめて> 郷原佳以『デリダの文学的想像力』(みすず書房)出版を機に 文学理論研究が専門の郷原佳以氏が『デリダの文学的想像力』(みすず書房)を上梓した。精緻かつ明晰なテクスト読解により、デリダの「文学的」と呼びうる哲学的思索が展開させた、修辞法や旧約聖書のアブラハムなどをめぐる議論を検討した一冊だ。刊行を機に、哲学者の鵜飼哲氏との対談をお願いした。(編集部)  郷原 私の専門はモーリス・ブランショなどの文学論ですが、学生時代から好んでデリダを読んできました。デリダの死後、国際的なデリダ学会も作られ、2010年代には哲学的なデリダ研究が安定して出るようになっていましたが、また別の視野から言えることもあるのではないかと思い、本書のもととなった雑誌『みすず』での連載を開始しました。視点の持ち方として目標にしているのは『ジャッキー・デリダの墓』(2014)を書かれた鵜飼哲先生なので、今日は対談相手をお願いしました。  そのころ私は、60年代フランスで盛んに参照されていた、言語学者のエミール・バンヴェニストに代表されるような発話理論に注目していました。構造主義からポスト構造主義に差し掛かる文学理論において、発話理論が大きな支えになっていたからです。  しかし、60―70年代のデリダは、構造主義批判を行っていた一方で、発話理論を活用した文学理論家ジェラール・ジュネットや批評家ロラン・バルトとの交流はあまり積極的なものには見えませんでした。もちろん言語行為論からは多大な恩恵を受けていますし、パフォーマティヴィティ概念なしにはデリダの活動はありえないほどですが、分析哲学者ジョン・サールとは論争を行い、語彙に関してつねに参照しつづけたバンヴェニストに対しても、その背後に透けて見える姿勢に時折疑問を呈する姿が見られ、ある種の距離を保ち続けました。  それで、この時代のデリダは発話理論に対してどのような態度を取っていたのか疑問が湧きました。そんな折、大学院の同期である國分功一郎さんの『中動態の世界』(医学書院)が刊行されます。同書が行っているような、言語学や文法の概念の他領域への応用は、「文学の科学」を目指した時期のロラン・バルトなどが積極的に行っていたことですが、「差延」で中動態に言及したデリダはもう少し慎重だったことにそのとき思い至りました。また、デリダのバンヴェニスト批判に対して同書で展開される批判には違和感を覚えました。「中動態」概念の流行に漂うノスタルジックな香りにも一抹の危うさを感じました。  鵜飼 デリダによる中動態への注目については我々の世代も当然関心を持っていましたが、國分さんのようにそれを中心に思想を展開しようとした人はいませんでした。日本でのデリダ受容がある時期以降、一見倫理的な議論を軸に展開されたことに対する世代的な反応と言えるかも知れません。デリダの思想の里程標とも言える言葉たちは、原エクリチュール、差延、余白、痕跡、刻印、間隔化など、代補的な連鎖をなしています。中動態も、私はこれらの指標となる言葉との関連で考えてきました。  郷原 本書では、中動態という、文法用語から派生した概念が当時どのように用いられたかを調べることから論を起こしました。バルトは1966年の講演「「書く」は自動詞か?」において、中動態をかなりアクロバティックに援用して自分のものにしていました。その後の議論で、歴史家のジャン=ピエール・ヴェルナンは、能動態と中動態が対立概念だった事実から、古代ギリシアには意志という概念がなかったと帰結し、國分さんはこれを議論の後ろ盾にしたわけです。  他方、デリダの論文「繫辞の代補」(1971)は、バンヴェニストがアリストテレスのカテゴリー論読解から導き出した〝普遍的概念とされるものは言語構造の反映である〟というテーゼを、むしろバンヴェニスト自身が思考と言語を分離して捉えているが故の還元主義を表すものだと主張するものです。私はこれに即して、デリダが言語と思考、隠喩的言語と抽象的言語の関係を反映や置換の関係として捉えることを批判していたのだと論じました。  鵜飼 私はフランス文学科の出身で、学生時代は広義の新批評の方法論を身につけること、自分で使えるようになることにかなり時間を費やしました。なかでもバルト、ジュネットから『一般レトリック』のグループμに至るレトリック研究に関心を持ち、デリダのテクストの読み方についてもレトリック論的な角度から接近した経緯があります。とはいえ、郷原さんが指摘される通り、隠喩中心主義的な哲学的レトリック論に対しては、デリダは繰り返し脱構築を試みてきました。それはニーチェの評価にも深くかかわる微妙な作業で、デリダの近くでは当時、サラ・コフマンが『ニーチェと隠喩』を、ベルナール・ポートラが『太陽の諸異型』というニーチェ研究を著していました。私は当初、デリダ自身の仕事もこの布置のなかで受容していたと思います。  とはいえ、郷原さんが緻密に論じられたように、デリダは一面的にニーチェの議論を受け入れたわけではありません。本書で何度か参照される「「正しく食べなくてはならない」、あるいは主体の計算」(1989)は、ジャン=リュック・ナンシーの「主体の後に誰が来るのか」という問いに応答した対談です。「主体」を「誰」に置き換えることで「主体」以後の思想の可能性を探ろうとするナンシーの問いに対し、「誰」がなお特定の言語の文法に規定されていることに注意を促す文脈でデリダはニーチェを参照します。「形而上学と文法を結び合わせることに対するニーチェの警告を忘れないようにしよう」と述べ、「彼の警告の数々もそれはそれで調整され、問題化される必要があろう」と留保を示した上で、「彼の警告には必然性がある」とまとめています。「繫辞の代補」でデリダが行ったのはここでいう「調整」であり、「主語あるいは実詞の文法と実体あるいは主体の存在論の間に結ばれたこの契約をどうしたら破棄することができるだろう」という大きな課題の一局面と見ることもできるでしょう。  その問題意識が顕著に表れているのは、例えば『絵葉書』(1980)所収の「送る言葉」です。後期ハイデガーの「時間と存在」講演の議論を高く評価しながらも、そこで根源的な言明とされる〝存在が与えられる〔Es gibt Sein〕〟や〝時間が与えられる〔Es gibt Zeit〕〟が、非人称とはいえ〝es〟という主語を起点としている点でいまだ派生的であるとされています。存在あるいは時間の贈与という出来事を、主語から発するのとは別の仕方でどのように思考しうるか。デリダのなかで中動態への関心は、例えばこうした試みと接続していたのではないでしょうか。  言い換えれば、彼には言語のカテゴリーと思考のカテゴリーの二項対立自体を脱構築しなくてはならないという課題意識があり、このことが後に、言語ナショナリズムと哲学的ナショナリズムの共犯性を問題にするときにも、あるいは動物論の展開においても、重要な意味を持つことになったのだと思います。  郷原 そうですね。確認しておけば、「「正しく食べなくてはならない」、あるいは主体の計算」での「ニーチェの警告を忘れないようにしよう」という発言は、思考の前提となっている文法構造自体を疑う必要がある、という意味ですね。  鵜飼 はい。この対談の文脈では、「食べる」という行為が「誰」が調理し「誰」が「誰」と食べるのかという問いと不可分である以上、「食べられる」ものも「何」と「誰」の文法的区分に則して規定することはできず、この外見上の受動態も問い直されることになります。この課題は動物論に引き継がれていきます。  郷原 ハイデガーが『存在と時間』で提起したような「として」構造を疑うということですね。何かを「~として」理解することにより、それを物にしてしまうことへの批判です。これは〝犯罪でない殺害としての殺害〟に関するデリダの議論に繫がる発想だと思います。ハイデガーにおける「として」構造に関しては、『動物を追う』で批判的に論じられていますね。  ニーチェとの関連についてもう少し続けると、論文「白い神話」(1971)の終盤に、アリストテレス的な隠喩概念を機能不全にするような方向を探求した者としてニーチェとバタイユが肯定的に登場していて、その延長線上に、いわば隠喩の「破局転義的」な状態としての「隠喩の退隠」を論じる後の論文「隠喩の退隠」(1978)があると思います。  鵜飼 そうですね。そして同じ『哲学の余白』に収められている同時期のヴァレリー論「痛み、源泉」(1971)もこの問題に重なるわけですね。ポール・ヴァレリーは例えば講演「地中海の感興」(1931)などで、哲学の語彙がみな日常語から派生したことを強調しましたし、別の機会には哲学テクストを「個別の一文学ジャンル」として研究することを提唱しました。この時期のデリダは、こうしたニーチェ=ヴァレリー的な哲学批判に一方で注目しながらも、その問題点も指摘していました。  ポール・リクールとの論争については郷原さんの見解に基本的に賛成です。デリダは彼によるフッサール『イデーン』の翻訳から職業的哲学者への道に入ったという意味で、リクールは「先生」に当たる人でしたから、他の哲学者に対するのとは異なる微妙な距離感があったように思います。とはいえ、リクールの「生ける隠喩」の議論は一つ前の時代の問題構成という印象があり、とりわけ生/死の二項対立への依拠の仕方などにやや素朴なものを感じます。  隠喩や換喩以外の文彩に、デリダが特別の関心を寄せることもありました。例えば『弔鐘』(1974)の時期には濫喩〔カタクレーズ。「机の脚」のように、それを表す適切な語句がないときに、従来の語句を本来の語用を逸脱する形で借用する修辞法〕を戦略的に強調していますし、後期には『失われた時を求めて』のアルベルティーヌの噓の分析などで、語や文を途中で切断して意味を追えなくする「破格法」に関心を寄せました。  郷原 アリストテレスは、隠喩は人間の自然な働きの一つだとして、ミメーシスと同等の地位を与えています。リクールはその延長線上にいるわけですね。デリダに近いところでは、詩人・批評家のミシェル・ドゥギーがやはり隠喩を根源的な比喩として捉え、70年代当時にジュネットと論争したことがありました。  鵜飼 とはいえデリダなら、隠喩が「根源的」だとは言わなかったでしょうね。  郷原 そう思います。先ほど言及された濫喩ですが、「白い神話」で論じられるように、アリストテレスにおける特権的な隠喩である「太陽が光を蒔く」の「光を蒔く」もまた濫喩なんですね。太陽が光を投じる活動を指す語は存在しないけれども、太陽とその活動の関係は種と「蒔く」の関係に類比的であるとされて「蒔く」が用いられる。隠喩体系を支える非隠喩的な固有名は存在しないわけです。  鵜飼 太陽が天を廻る運動自体、アリストテレス的な隠喩の構造である既存の名詞から名詞への移転には収まりません。夜間はその感性的現前に接近できず固有の意味が確認できないため、太陽は悪い認識をもたらす「悪い隠喩」なのですが、感性的な現前と不在を描くために特権的な隠喩の隠喩でもある。唯一の自然な指示対象から単なる隠喩へ、アリストテレスの議論はいつのまにか反転していた。  郷原 そうですね。太陽は椅子の脚と違って直視することができないので、太陽が光を放つことと種を蒔くことが本当にアナロジーになっているかどうかは確かめられません。アリストテレス的な「よい隠喩」を成立させる類比構造が根源のところで成り立たないのです。メタファーが正しいかどうかは絶対にわからない。  鵜飼 デリダがよく参照する詩「深淵に置かれた太陽」の作者であるフランシス・ポンジュなら、太陽は対象〔objet〕ではなく「もの遊び〔objeu〕」だと言うでしょう。郷原さんの分析を追いながら、「白い神話」のこうした思考の軌跡が、ほぼ10年後の、ベンヤミンの翻訳論を論じた「バベルの塔」(1985)論文とどう繫がっていくのか考えさせられました。  鵜飼 本書の白眉はアンヴァンシオン(発明〔invention〕)論だと思います。実に素晴らしい読みを提示していただきました。特に「ノー・アポカリプス、ノット・ナウ」との関係について大切な学びがありました。  また文学理論家ポール・ド・マンとの関係も重要なポイントです。ド・マン研究は日本でもかなり進んでいますが、今回のお仕事のなかで、「他なるものの発明」というモチーフとの関連でどのような点を強調しようとお考えになりましたか?  郷原 一連のド・マン追悼講演『メモワール〔Mémoires pour Paul de Man〕』(1988)との関連ですね。デリダはド・マンから、アレゴリー(寓意)よりもむしろプロソポペイア〔活喩法。無生物や死者など不在のものを、その場に生きている人間のように表現する修辞法〕というレトリックを重要なものとして受け止め、この講演でも活かしたのではないかと思います。  鵜飼 プロソポペイア論は自伝の話にも繫がっていきますね。本書の前半と後半を結ぶ重要な一本の糸になっていると感じました。  郷原 ド・マン自身、論文「摩損としての自叙伝〔Autobiography As De-Facement〕」の題のとおり、プロソポペイアが自伝の転義であるとしていますし、デリダはそれを明らかに参照しています。  鵜飼 「ド・マンからの/へのプロソポペイア――「墓の彼方からの回想」の署名」と題された節で郷原さんが示されたように、このプロソポペイアという語りの比喩形象がなければ、追悼の言葉も成り立たないし自伝も成立しない。  『マルクスの亡霊たち』(1993)で大きく取り上げられる、現前する声に前もってプロソポペイアが取り憑くという議論が、『メモワール』ですでに非常に強調されています。この作業がなければ後の『友愛のポリティックス』(1994)の展開もあり得ないわけで、デリダの仕事のうえで、一つの大きな転機が認められると思います。  ところで、「蟻」論文(1994)では「性的差異(性差)」の概念が重要です。デリダのエコール・ノルマル時代の親友にジャン・ベルマン=ノエルがいて、後に精神分析批評の一方の旗頭になります。彼らは学生時代、二人でフロイトの読書会を開いていました。ベルマン=ノエルはパリ第八大学で私の指導教員だったのですが、論文を書くときに精神分析用語はラプランシュ&ポンタリスの『精神分析用語辞典』に準拠するよう指示されました。また「性的差異」のフランス語は、デリダのようにdif-férence sexuelleと書いてはならず、この表現を使うと必ずdif-férence des sexesに直されました。性は男女二つしかないという前提なのです。一緒にフロイトを読んでいた友人のあいだで、どこからこの差異が出てきたのか、今も不思議に思っています。デリダにおいて性的差異は性的差延です。というより性とは差延そのもの、そのもっとも暴力的でない様態は、中動態でしか記述できないなにかです。「蟻」論文ではそのことが、動物論とも交差しながら凝縮して語られています。  「蟻」論文は作家のエレーヌ・シクスーの作品をめぐる論考ですが、性的差異は読まれるものであると同時に読むものだということが強調点の一つです。しばらく前に私は「われらの困難」という小さな文章を書きました(『脱領域・脱構築・脱半球』小鳥遊書房、所収)。これは私なりのアンヴァンシオン論なのですが、デリダはフランシス・ポンジュの「寓話」という詩のなかに、ド・マンと自分の二人の「われら」を写し込んでいたのではないかという仮説を立てています。二人の男性の間の友愛を映す鏡、それを一人の女性が割りにくるという物語を読み込んだわけです。ド・マンの論考としては「時間性のレトリック」を重視しました。今回、郷原さんのアンヴァンシオン論を読ませていただいて、参照文献の選択やアプローチの違いに強い印象を受けました。  読むという行為には、性的差異という、自己に内在する他者に従って読まされている側面が必ずあるわけですね。性的差異はどこかに実体として存在するものではなく、常に読み、読まれるという「痕跡」の経験として語るしかない。自分が読んでいると思っていても、実は性差が読んでいる、ということはいくらでもある。  郷原 論点がいくつか出てきたと思うのですが、一つは『友愛のポリティックス』に繫がる友愛論が、ポール・ド・マン追悼という契機からきているのではないかという議論です。『メモワール』のなかでデリダは、友愛というのは二人の友がいればどちらかが先に死ぬことである、言い換えればどちらかが生き残るということだ、と言っています。  鵜飼 1990年代の『アポリア』で、ハイデガーの『存在と時間』に即して本格的に論じ直されるテーマですね。この本は豊崎光一さんに捧げられています。デリダは西洋的なフィリア〔友愛〕の系譜が男性同士の友愛を規範としてきたことを跡づけつつ、モンテーニュのラ・ボエシー追悼などを丹念に読み込んで、この系譜では「なき友」「いない友」への呼びかけが反復されてきたことを指摘します。その点からも、先ほどのポンジュからの引用である「われらの困難」の「われら」、喪の鏡のなかの「われら」が、性的に無差別なものなのか、それとも男性の「われら」なのかは気になるところです。そして女性と鏡の関係は、男性と鏡の関係とどう異なるのか。なぜ鏡を割るのが女性なのか。鏡は性的に無差別なのか、それともまさに差延としての性差が働く場なのか……。  郷原 それから、生き残った私たちが追悼するということも、プロソポペイア――死者を呼び出して語らせる――という発話の基本構造を前提としているという発想は、デリダの晩年まで続いていきます。生き埋め、埋葬のモチーフです。現在、デリダの『割礼告白』(1991)というテクストを鵜飼さんとともに翻訳していますが、ここでも〝埋葬〟のテーマが出てきています。自分が土のなかの墓の底に横たわっていて、生き残った子どもたちを見ている……という幻想に、デリダは最後まで取り憑かれていました。これがデリダにおいて「前未来」というフランス語の文法が重視されたこととも繫がっているように思います。晩年の講義『獣と主権者』(2001―2)で『ロビンソン・クルーソー』を扱った際にも、ロビンソンが生き埋めになりそうになるシーンを繰り返し取り上げています。  鵜飼 生き埋め幻想は確かに頻出しますね。  郷原 デリダは「火葬と埋葬」というテーマにこだわっています。火葬の方は「灰」のテーマに繫がります。  鵜飼 そして「灰」と《ミッション:インポッシブル》の関係が、本書の終盤のカギになります。  郷原 灰のモチーフは、デリダにおいて「プラトンのパルマケイアー」の1972年版(『散種』)以降、晩年まで通貫していたのではないか、という議論ですね。  60年代のデリダは「痕跡」という概念を用いていました。しかし80年代、『火ここになき灰』(1987)において、もともと自分が痕跡という言葉で指していたのは「灰」と言った方が適切だったのだ、と述べるに至ります。「痕跡」というと、足跡のように何かを指し示す記号として受け取られてしまいますが、灰の場合、その「何か」はもはや問えない遠さにある。そして、すでに風に散ってしまった灰はもうなくなってしまっている。背景には当然、アウシュヴィッツにおける焼却炉〔crématoire〕があります。  ブランショは、やはり80年代に「忘れないでください」という同名の題のテクストをいくつか書き残しています。かつてアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で「特別労務班」として働かされた人々は、手記とともに自分の歯や髪の毛を木の根元に埋め隠したのですが、当時はその事実が知られるようになった時期でした。「記憶」ということが大きなテーマとして浮上してきた時代ですし、他方で証言や歴史修正主義の問題が出てきてもいました。その意味で、デリダはもはやその場には残っていない「灰」を透視しなければならない、という問題意識を強く抱いていたのではないかと思います。  鵜飼 1990年の『盲者の記憶』でも、その議論の継続が確認できるでしょう。さらに数年後のセミネール『歓待』では、ソポクレスの悲劇『コロノスのオイディプス』を取り上げ、親族にとって遺体の消滅が意味するものを考察しています。劇の終盤、死期を悟ったオイディプスは姿を消します。オイディプスの埋葬地は金輪際不明になり、娘のアンティゴネーは喪に服することすら剝奪されてしまいます。  デリダ最後のコロック(討論会)「来たるべき民主主義」の最終日は、古城スリジー=ラ=サールの屋根裏部屋で行われ、比較文学者ペギー・カムフの司会のもと、「人道に反する罪とは何か」について話し合われました。2002年のその時期、パレスチナ西岸地区ジェニンがイスラエルの攻撃を受け、殺された人々が横たわっている地面をブルドーザーが更地にしてしまい、死体がどこにあるかわからなくなるという事態が起きました。デリダはこの事件に大きな衝撃を受けていました。『コロノスのオイディプス』論から同時代の苛酷な現実へ、彼の想像力はこのように繫がっていました。  アウシュヴィッツの灰は遺体そのものが消失することの象徴です。そして埋葬する権利の破壊は、今日のガザで、人々が毎日瓦礫の下の遺体を捜索している現在にまで繫がっています。これらの問題群を繫げて考えていた人は、ハイデガーのナチス加担やド・マンの戦争責任に関する議論がフランスの知識人界の関心の中心を占めていたあの時代、ほとんどいなかったということは思い出しておきたいと思います。  鵜飼 郷原さんのご本では、この論点がドラマ/映画《ミッション:インポッシブル》と繫がるのですね。  郷原 デリダが「プラトンのパルマケイアー」で論じたように、ソクラテスはプラトンに、「書く」ということは危険なことだと教えました。「プラトン書簡」と呼ばれる文書群のなかには、(真正性がかなり疑わしいとされる)第二書簡というものがあり、その末尾には「この書簡を読んだらすぐに燃やしてくれ」と記されています。エクリチュールを信用するなというソクラテスの教えを忠実に受け継いでいることの表れとも取れます。しかし他方、それを踏まえてなお、プラトンは膨大な著作を著したわけです。  「読んだら燃やせ」の系譜は様々なところに水脈を繫いでいると思います。証拠として残してはいけないから、あなたの心だけに仕舞って燃やしてくれ、というわけです。指令を記録したカセットテープが自動で焼失する《ミッション:インポッシブル》も、その一つに他なりません。  鵜飼 非合法活動ではすべてそうですよね。読んだ者だけが生身のアーカイブになる。  郷原 レイ・ブラッドベリの『華氏451度』では、ファイアーマンと呼ばれる人々によって本が燃やされるディストピアが描かれます。他方で焚書に抵抗するブックピープルと呼ばれる人たちもいて、彼らは一人につき一冊の本を一言一句すべて覚え、伝承していきます。焚書の世界では人が本になるしかないのです。それこそ証言というものは、例えばどんどんいなくなっていく戦争経験者から話を聞いて伝承し、自分が本になっていくなどという、この道しかありません。デリダがプラトンの第二書簡から受け取ろうとするのは、〝人間コピー〟――人間の身体においてエクリチュールが生起している事態なのだと思います。詩人の吉増剛造さんが詩集『怪物君』の原稿を燃やしたことも思い出されます。  鵜飼 そうですね。もちろんカフカの『流刑地にて』もその一例です。そしてデリダにとっては、割礼の問題と連関しているでしょう。  郷原 本書最終盤で私が論じた「コピーを取るプラトン」がまさに、ソクラテスが明示的には区別したエクリチュールとパロールの区別が、究極的には成り立たないということを示しています。書くことという外的反復は、記憶することという内的反復に作用している。エクリチュールが内的に生起しているのです。  鵜飼 イギリス・オックスフォードのボドリアン図書館でデリダが見つけたという絵葉書、背後にいるプラトンの指示のもとに執筆しているらしい「若きソクラテス」が描かれた絵葉書へ、「プラトンのパルマケイアー」から接続する論の運びも見事でした。この絵葉書が表紙となった同名の著書を小説家のジャン・ジュネに送ったところ、「なんて素敵なんだ!〔Qu'est-ce que c'est beau!〕」と喜んでいたとデリダから聞いたことがあります。  郷原 第二書簡もこの絵も真正性が怪しいわけで、デリダがここで取り上げている対象は全部が全部、真偽の疑わしいものなんですよね。  鵜飼 怪しさを二乗三乗する、その気配がジュネには好ましかったのでしょう。  郷原 そうした逸脱的なエクリチュールは『割礼告白』などでも展開されますが、「送る言葉」の「恋文」としてのあり方は少し毛色が違いますよね。  鵜飼 違いますね。自伝的なエクリチュールは「プラトンのパルマケイアー」を一つの起点としてほぼ20年後に『割礼告白』に至りつく。その中間の時期の「送る言葉」の生々しさには、ときに息を呑むような衝迫力を感じます。  郷原 最後にアブラハムとカフカについてお話しできればと思います。デリダが『死を与える』(1990)で論じた主題です。  鵜飼 この著作の最後で扱われるキルケゴールとカフカの関係は、結婚の不可能性という観点から、ある時期日本でも盛んに論じられました。しかし「もう一人のアブラハム」というモチーフは、ブランショが論じこそしたものの、私の狭い知見では、日本におけるカフカ論で目にした記憶がありません。70年代には、カフカをいったんユダヤ教の文脈から切り離して読みたいという志向が強かったためかも知れません。  『死を与える』の背景には湾岸戦争が潜んでいます。そしてこのときデリダにとって、イスラームまで含めた西洋の再定義という課題が浮上します。ここではギル・アニジャールが強調したように、「アブラハムの信仰」というイスラーム的なフレームを、この時期にデリダが重視した理由を問う作業は避けて通れません。イサク奉献でアブラハムが直面する秘密の経験が、西洋的な文学概念の起源ではないかという問題提起も重要です。この文脈を受けて、90年代末の「秘密の文学」では、カフカの「父への手紙」がアブラハムの系譜に連なるもの、イサク奉献の場面を語り直したもののように論じられます。とはいえ、この時点でも、カフカによる「もう一人のアブラハム」の想定は組み込まれていません。  郷原 そうですね。拙著では、『死を与える』の段階ではまだ、結局イサクの身代わりに捧げられることになる雄羊に焦点を当てる発想も登場していない、と論じました。この発想は、2003年の講演『雄羊』に登場するパウル・ツェランの詩の読解で出てきます。  鵜飼 動物論との交差は仰る通り『死を与える』以後に明確になりますね。もう一つの大きなインパクトは、私の考えでは、『死を与える』の注で参照されているチュニジア人の精神分析家フェティ・ベンスラマの論文「起源の離縁」に由来します。これはアブラハムによるハガルとイシュマエルの追放を論じたもので、1996年にモロッコの首都ラバトで行われた、デリダとマグレブ諸国の知識人たちのシンポジウムでの発表でした。  ハガルはアブラハムの妻サラの女奴隷で、サラに乞われてアブラハムがハガルに産ませたのがイシュマエルです。ユダヤ教やキリスト教の立場で聖書を読む人にとってハガルはほとんど目に止まりません(この点で『おそれとおののき』のキルケゴールは例外です)。イスラームではイシュマエルがアラブ民族の祖とされていて、イサクの代わりにアブラハム(イブラーヒーム)にあわや殺されることになります。アブラハムとともに最初に割礼を受けるのもイシュマエルです。ところが、イスラームでも母ハガルはあまり関心を持たれてこなかったようです。ベンスラマはこの関心の希薄さとイスラームにおける女性の状況は無関係ではないと考えます。  ハガルは聖書において最初に泣く人であり、後のキリスト教的表象にとって重要な母と息子という対の最初の例でもあります。実はアブラハムの真正の息子はハガルが産んだイシュマエルしかいないのです。アブラハムの老妻サラが奇跡によって授かったイサクは実質的には神の子であり、キリスト教の立場からすればキリストの予表とも言えるでしょう。その意味では、イサク奉献は神が「自分の子を返せ」と言っているとも読める。デリダの解釈もこの可能性をあまり重視しているようには見えませんが。  郷原 聖書をベンスラマのように語るか、キルケゴールのように語るか、ツェランのように語るか、あるいはカフカのように語るか、というナラティヴの問題がここにはあるように思われます。ただ、「アブラハム、もう一人の」を、拙著で扱った冒頭だけでなく最後まで読むと、ある種のユダヤ性を引き受けているようにも思われて、なかなか読み方が難しいところです。カフカを受けて、自分は「もっともユダヤ的でないユダヤ人」だという形で議論が始まるのですが、サルトルのユダヤ人論の検討を経て、最終的には、そういうものとしての「ユダヤ性」が認められているようにも読めます。  鵜飼 デリダが自称する「最低にして最後のユダヤ人」は、みずからの歴史的状況や思想を単に記述しているのではなく、パフォーマティヴに演じている面もあるのではないでしょうか。哲学者カトリーヌ・マラブーに宛てた手紙には、読みようによっては顰蹙を買っても仕方がない部分があります。現代の世界に生きるユダヤ人は、パレスチナ問題に限らずみな罪深い。私だけは無実〔innocent〕なのだが、それでもなお罪があるのは、ユダヤの共同体との最後の絆がどうしても切れないためだと。私がユダヤ人なら、初発の反応としては、かなり不快を覚える言い方だろうと思います。  郷原 『側道〔La con tre-allée〕』(1999)に収録された手紙ですね。  鵜飼 はい。そしてパレスチナ人たちのもとでやっと息がつけたなどと言う。ここには故意に〝悪い子〟を演じている面もあるのではないでしょうか。他方子供と無垢〔innocence〕の間の、デリダならではの含意を持ったつながりをここに見ることもできそうです。永遠の子供であるカフカのほうは、自分はキルケゴールのようにキリスト教にも救われないし、シオニストのようにユダヤ教の最後の切れ端にもすがれない、終末そのものだと考えていました。「最後のユダヤ人」という意識は、彼にも間違いなくあったでしょう(「八つ折り判ノート・八冊」1917年頃)。  郷原 デリダの「Le dernier des juifs〔最後のユダヤ人〕」には、おっしゃるように、「最後にして最低のユダヤ人」という強い意味を読み込む必要がありますね。「アブラハム、もう一人の」は実際に講演を聞きましたが、確かに非常にパフォーマティヴィティの強い語りでした。『死を与える』から「アブラハム、もう一人の」まで、現実の情勢を背景に、ある種の当事者性を絡める形で、デリダが「アブラハム」の語り方そのものを模索していたのが見えてきたように思います。(おわり)  ★ごうはら・かい=東京大学教授・文学理論。著書に『文学のミニマル・イメージ』、訳書に『ヴェール』『垂直の声』など。一九七五年生。  ★うかい・さとし=一橋大学名誉教授・フランス現代思想。著書に『ジャッキー・デリダの墓』『いくつもの砂漠、いくつもの夜』など。一九五五年生。

書籍

書籍名 デリダの文学的想像力
ISBN13 9784622095996
ISBN10 4622095998