2026/10/16号 4面

マダム・トキ物語

マダム・トキ物語 歌代 幸子著 藤林 道夫  1972年、未だお店も少なかった代官山に小さなレストランが開業した。「ラ・アリタリア」というイタリアン。オーナーは林勝彦。パートナーは後に夫人となるマダム・トキ。勝彦は四年後、九段にやはりイタリアン・レストランの「ラ・コロンバ」を立ち上げ、「ラ・アリタリア」の方をトキに任せる。  様々な事情から「ラ・アリタリア」は営業を終了することになり、同じ代官山に今度は「マダム・トキ」というフレンチ・レストランが登場する。後に「ラ・コロンバ」も店を閉じ、林夫妻はこの店一筋に打ち込むことになる。本書はこのレストランとマダム・トキという人物、両方の物語といったらよいだろう。  トキの仕掛け人林勝彦は不可思議な男として描かれる。大金持ちではないそうだが車はポルシェやベンツ、金に困っている様子はない。ヨーロッパ経験も豊富で、料理人ではないものの、知識はすこぶる潤沢である。  「マダム・トキ」開業にあたりトキは単身ヨーロッパへ向かった。極上のサービスを誇るホテルに泊まり、名だたるレストランを食べ歩いた彼女がたどり着いたのは南東フランスの町ヴィエンヌにある「ラ・ピラミッド」というミシュラン三ツ星のレストランだった。  建物と調和する樹木や花々、庭から入るところのアーチ、ホールを入って一段下るとなじみ客が寛いでいる。迎えてくれたマダムの佇まいにも大いに感じるところがあった。トキの目指す店のイメージが徐々に姿を見せてくる。  「マダム・トキ」の開業は1978年。126坪の土地を取得した。一軒家、本物にこだわった洋館の店の扉を開けると、マホガニー製のウェイティングバーが迎え、メインダイニングの奥には少人数が寛げる部屋。もちろんアーチも備えられていた。トキはここで彼女の思う「マダム」としての在り方を実践していくのである。  これまでのふたつの店の常連客も姿を見せた。文化人や芸能人も多かった。一世を風靡した「寺内貫太郎一家」の小林亜星が推薦したので、関係者が集ったという。中でもこの作品の脚本を書いた向田邦子は足繁く通ったらしい。  本書の「序章」は「向田邦子の愛したレストラン」と名付けられている。彼女が急病で入院した際、人生いかに生きるべきかを考えるつもりが「退院したらどこの何を食べようか」となっていたという回想である。「ラ・アリタリア」でオードブルはニンニクバターの中で煮えたぎったムール貝のジェノバ風、メイン・ディッシュは牛のすね肉をトマトソースでじっくり煮込んだオーソブッコ、だそうだ。「マダム・トキ」でもその食い道楽は発揮されたことだろう。  著者は、常連客ばかりでなく、料理長やスタッフ、もちろんマダム・トキ自身にも時間をかけて取材している。その結果本書を、料理の美味しさだけでなく、非の打ちどころのないレストラン、でしゃばることなくゲストに寄り添うスタイル抜群で格好いいマダムの夢のような物語に仕上げている。  ただ、夢は醒めるものであるが故に時の流れ、歴史を感じさせる。「マダム・トキ」開店の少し前、1969年には東大の安田講堂事件、70年には三島由紀夫のクーデター騒ぎがあった。開店は日本が政治の時代から経済の時代に移行していく時期だったのだ。戦後の復興が具体的な形を見せ、お金を消費できる人々が現れていた。  この頃ヨーロッパを視察したマダムは、フランスのレストランの雰囲気を日本に移すにあたって、いろいろと迷ったのではなかろうか。日本とは異質なカップル文化のみならず、高級レストランを訪れる層の違いを感じなかったはずがない。大革命を経験した国でありながら厳然とした身分社会、階層社会が残っている。低階層の人々の上昇志向は希薄なのである。一方、敗戦後、華族制も廃止され、その後、総中流と称された日本で本格的レストランはどうあるべきか。  時代は味方したのだろう。1981年の衝撃的な死によって向田邦子は時代の伝説的な存在になった。多少自虐は混じっても逸脱することなく品の悪くない、大金持ちではないがお金は惜しまない層こそ彼女の描く日本人ではないか。時代と生きる。見事である。  さて、日本に限らず世界は成長の時代を終え、分断のときを迎えている。これからの金持ちに品を求められるだろうか。お金も品もないが、一度はゲストになりたいものである。「マダム・トキ」がこれからも夢のような時間を提供する場であり続けてくれることを祈る。(ふじばやし・みちお=フランス文学者)  ★うたしろ・ゆきこ=ノンフィクション作家。著書に『私は走る』『音羽「お受験」殺人』『パパ力、はじめよう!』『一冊の本をあなたに』『精子提供』『慶應幼稚舎の流儀』など。一九六四年生。

書籍

書籍名 マダム・トキ物語
ISBN13 9784120060489
ISBN10 4120060489