2026/09/04号 3面

論潮・9月(高原太一)

論潮 9月 高原太一  八月一六日、横浜の伊勢佐木町にある横浜シネマリンで、その日限定上映の『黒川の女たち』(松原文枝監督)を観た。開場少し前に着くと、入口付近はごった返していた。席に着くと、当然ながら満員である。このような映画(ぜひ観て頂きたいので、内容紹介は割愛するが)を、多くの人と観られるのは、それだけでも少しの希望を感じてしまう。そして、同日の夜九時から放映されたNHKスペシャルは、水木しげるの戦争漫画に焦点を当てた『白い旗 水木しげると硫黄島』だった。  はからずも、その日は戦争に関わる映像作品を見続けたが、とりわけ印象に残ったのが、「当事者」を囲む家族や親しい人びとの姿である。歴史や事件として語られる出来事や体験は、当事者にとっては、まず身の上に起きた出来事であり、その家族にとっては、自分の親しい人の身に起こった事である。その傷や痛み、言葉にしがたい怒りや無念の思いに対して、多くの場合、日常的に接するのは家族をはじめとした親しい人びとである。内輪での気持ちのやり取りや言葉と沈黙の積み重ねがあって、はじめて外から来た研究者や表現者に対して口が開かれる。  学問的な裏づけのないことを記してしまうが、当事者と家族や親しい間柄の人びとのなかで語り重ねられてきたことと、歴史として描かれることとのあいだには、一般に想像される以上の隔たりや違いがあるのではないか。  しかし、前者だけでは言葉は外に出て行かない。『黒川の女たち』に登場した女性たちにしても、自身の戦争体験を描き続けた水木しげるにしても、自分たちの「内輪」ではない人びとに対して、身の上に起きた出来事を伝えたいという思いを強く抱いていたように感じる。その究極的な「他者」、言葉の宛先が、自分の没後に生まれてくる未来の若者なのだろう。  それでは、映像作品と同様に、言葉を(時間的にも空間的にも)「外」に繫げる機能を持つ今月の論壇誌は、どのような特集や論考で組み立てられていたのかを見ていこう。  『中央公論』の特集は、「昭和の敗戦、占領期の真実」である。占領期にあたる一九五〇年に開戦し、五三年に休戦した朝鮮戦争と「国民作家」松本清張との知られざる関係性に光を当てた酒井信さんの論考「松本清張の朝鮮戦争と米兵の死体処理」は、『黒川の女たち』と同様に、戦争が決して一九四五年八月一五日の、いわゆる玉音放送で終結しなかったことを浮き彫りにした。  松本清張にとっての「戦争体験」とは、「朝鮮半島で衛生兵として従軍したものだけではなく、GHQの占領下、小倉のキャンプ城野での「米兵の屍体処理」を通して関わった、朝鮮戦争にも及ぶ可能性が高い」(七九頁)のである。酒井は、朝鮮戦争下で清張が「副業」として従事した「「米兵の屍体処理」の仕事も、銃後での立派な「戦争体験」である」(同上)と位置づけたに留まらず、もう一歩、清張の内面に踏み込んで、「清張が、朝鮮半島から送られてくる米兵の死体を見て実感したのは、一九四五年一〇月まで駐屯していた朝鮮半島が、わずか五年ほどで新たな戦争の舞台と化した悲しい現実だった」(七七頁)と推察した。  裏返していえば、その「悲しい現実」を真正面から受け止めざるを得なかったのが、朝鮮半島の民衆に共通した「戦争体験」であった。そして、酒井は、清張作品の特質について「人間の生々しい心情を描くことに成功しているのは、人間の生死を目の当たりにした、自分自身の経験を踏まえて小説を書いているからだと私は考える」(七八頁)と、清張の「戦争体験」と戦後日本文学が内包した質について関連づけた。ここでも裏返して考えれば、清張の表現の巧みさ(人間の生々しい心情を描くこと)の土台にある戦争体験は、書き手にのみ備わっていたのではなく、作品を読む側にも共通していた。それならば、死地をくぐり抜け、人間の真髄をいやというほど見て来た者たちにとって、生半可な心理描写や人間に対する表層的な洞察は、まったくリアルなものとして読まれなかったといえよう。それが、戦後日本の表現文化が総体として持っていた人間心理に対する把握の深みを形作っていた基盤であり、その拡がりと奥行きは、清張作品をこえて見い出せることを酒井の論考は示唆する。  それでは、戦後日本(ここでは清張の故郷である九州を含む「本土」を意味するが)以外の場所からは、どのような作品が生み出されてきたのか。それはいかなる「悲しい現実」と対峙するなかで生まれた表現なのか。  『地平』の書評欄に寄稿された佐喜真彩さんの論考「「世界」とともにある「私」のために」は、副題に「現代沖縄文学試論」とあるように、現代沖縄文学を代表する三人の書き手(岡本恵徳、中屋幸吉、崎山多美)の「文体」について――ただし岡本の場合は「自立の足場の基盤」を語る言葉として、中屋の場合は「世界」との関係を語る文学言語として、崎山の場合は別様の「私」を語るためのコトバとして、それぞれ重なりとズレを持ちながら存在し、立ち上がる――を探求する重厚な「試論」である。  佐喜真は、「私」という存在は、「喪失した、あるいは喪失させられた、自分たちを支える何か」(一九五頁)と共にあることを強調する。と同時にもう一つ重要なことは、その「喪失」について、社会は喪失としてすら認めてこなかった事実である。しかし、「文学は、」と佐喜真は文学が果たす機能について、「私から切り離されてしまった無数の他なるものたちが、再び「私」の身体に触れてくる場を開き、「私たち」を提示し直す」(二〇〇頁)と提起する。  ここで、私は、まさに左腕を「喪失」しながら戦後を生き、表現してきた水木について言及したくなる。しかし、約二〇年前の『ユリイカ』の特集「水木しげる」に四方田犬彦が寄せた論考「戦中派水木しげる」が、大変重要な指摘をしているので、そちらに譲りたい。一点だけ同論考から紹介すれば、二〇〇五年当時は、水木は「民俗学的な知に基づいた怪奇漫画の巨匠であることだけが、もっぱら喧伝されてきた感」があり、「戦中派の軍隊体験者として、戦争の表象に繰り返し拘泥してきたことについては、滅多に言及されることがない」と、四方田は証言している(四九頁)。つまり、水木の「喪失」ですらも、長年「喪失」と見なされてこなかったということだろうか…。  漫画や小説といった作品はもちろん、雑誌に掲載された論考も、思いがけない形で「再読」される。否、もしかすると、作者の思いや願いは、時代を超えたときに初めて伝わるということも起こるのかもしれない。そのときに、「私」は、もう一度歴史や文学史を書き直さなければと思うのではないか。今回取り上げた酒井さんと佐喜真さんの論考、そして『黒川の女たち』と『白い旗 水木しげると硫黄島』も、それぞれが再発見した「喪失」と共に「歴史」の書き直しに挑んでいた。(たかはら・たいち=成城大学研究員・戦後民衆運動史)