2026/07/10号 8面

追悼=アラン・グリーンスパン(田中秀臣)

追悼=アラン・グリーンスパン 運がいい米国と運が悪い日本? 田中 秀臣  二〇二六年六月二二日、元FRB議長アラン・グリーンスパンが百歳で死去した。その一八年半に及ぶ在任期間は八〇年代後半から〇六年までの米国経済を象徴し、その死に際して多くの追悼コメントが発表された。従来から、FRB時代のグリーンスパンは、その金融政策の巧みさから「マエストロ(巨匠)」と称賛された。また他方で「二〇〇八年金融危機の元凶」であるとも批判されてきた。あるいは両面を合わせて功罪半ばするというのが定番の評価だった。ただグリーンスパンだけに米国経済の浮沈の責任すべてを帰するのは難しい。今回の追悼記事などをみても、グリーンスパンの貢献を冷静に評価するものが多かった。  かつてはボブ・ウッドワードの『グリーンスパン アメリカ経済ブームとFRB議長』(日本経済新聞社、二〇〇一年)によって象徴されたように、グリーンスパンは「経済を自在に操る天才中央銀行総裁」として描かれた。しかし、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の社説(六月二二日)は今回、「マエストロ神話そのものが神話だった」と論じた。FRBの黄金時代であった九〇年代の「大いなる安定」も、また最悪期であった二〇〇八年金融危機も、彼一人の貢献では説明できないとした。フィナンシャル・タイムズ紙(同)は、金融危機をもたらした規制の失敗は当時の政治環境全体に起因するとしつつも、グリーンスパン自身の金融規制への消極的姿勢が危機を助長した側面を厳しく指摘し、彼の卓越したデータ重視の政策運営という面と区別して評価している。  では、彼個人の功績は何だったのか。最も高く評価されているのは、やはり一九九〇年代後半の低インフレと失業率の低下を伴った「大いなる安定」の実現である。例えば、経済学者のディーン・ベイカーは、論説「アラン・グリーンスパンの功罪」(経済政策研究センター、六月二二日)で、特に労働市場への影響に注目している。当時の主流派経済学では、失業率が六%程度を下回ればインフレが加速すると考えられていた。しかしグリーンスパンは、一九九五年以降、失業率が低下しても現実にインフレ圧力が見られないことを重視し、機械的な利上げを拒否した。その結果、失業率は四%を下回り、低・中所得層の実質賃金は一九七〇年代以来初めて持続的に上昇した。ベイカーにとって、グリーンスパンは「完全雇用を恐れなかったFRB議長」である。  ただ、この「大いなる安定」はグリーンスパンの貢献より「単なる幸運」とするのが通説だ。どんな運の良さか。アラン・ブラインダーとジャネット・イエレン『良い政策 悪い政策 1990年代アメリカの教訓』(日経BP社、二〇〇二年)では、IT(情報通信技術)による生産性の上昇と、また石油価格の低下といった供給ショックが、雇用の改善と物価の低下をもたらしたことを挙げている。もっともブラインダーらの分析から、単純にグリーンスパンのFRBの貢献が皆無だとするのは即断である。その昔、『エコノミスト・ミシュラン』(田中秀臣他共編著・太田出版、二〇〇三年)で、エコノミストの飯塚尚己がブラインダーらの本を評した時に、少なくとも金融政策は当時の「運の良さ」を妨害せずに、それを積極的に後押ししたと指摘した。  他方で、九〇年代後半の日本経済はITブームも石油価格低下の恩恵も、米国と等しい「運のよさ」に直面していた。だが、それを活用することができず、日銀の金融政策の失敗と消費増税によって本格的なデフレの罠に捕らわれた。その意味で、日本は政策の失敗という「運の悪さ」に直面してしまったともいえる。  グリーンスパンの貢献で、大多数が挙げる失敗は、金融危機への道を開いたことだ。ただしバリー・アイケングリーン教授は、プロジェクト・シンジケートへの寄稿で、問題は金融政策よりも金融規制にあったとした。グリーンスパンは市場参加者の自己規律を強く信頼し、金融機関は自己利益に基づいて適切なリスク管理を行うと考えた。しかし、サブプライムローンや証券化商品の急拡大は、この前提が成り立たないことを示した。アイケングリーンは、グリーンスパンの真の失敗は住宅価格を見誤ったことではなく、「市場の自律調整への過信」という知的前提にあったと論じる。  従来からこの市場への過剰な信頼は、非正統派の経済学者たちから頻繁に批判されてきた。米ウォール街での金融資産保有階級など既得権集団との結託が、金融システムの不安定を生み出すと、E・レイ・カンタベリーは著作『アラン・グリーンスパン カーテンの背後の神託』(未邦訳)などで痛罵してきた。今回もヤニス・バルファキスらは新自由主義と重ねてグリーンスパンを痛烈に批判している。また雇用面での功績を認めるベイカーも、他の多くの論者が指摘するように、グリーンスパンのわかりづらい情報発信を大きな問題点としている。当時のメディアや市場はグリーンスパン個人の発言に振り回されてもいた。  グリーンスパンはいずれにせよ現代史の重要人物であることは間違いない。その貢献をいまの日本経済に活用するならば、やはり金融政策をその時々の経済状況を下にきちんと行うことに尽きる。現在の日本銀行にそれができているか、はなはだ不安ではある。この点を含めて、最新の政策論については、岩田規久男『日本経済の分岐点』(夕日書房、二〇二六年)を参照されたい。(たなか・ひでとみ=経済学者・上武大学教授)  アラン・グリーンスパン=米連邦準備制度理事会(FRB)元議長。六月二二日に亡くなった。百歳だった。一九二六年、ニューヨーク市生まれ。八七年八月から〇六年一月までFRB議長を五期務めた。FRB史上二番目の在任期間の長さだった。