2026/08/28号 5面

「『シェルブールの雨傘』の最初のショット」(ジャン・ドゥーシェ氏に聞く)450(聞き手=久保宏樹)(5)

ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 450 『シェルブールの雨傘』の最初のショット  HK ヌーヴェルヴァーグの映画全般には、アメリカ文化の影響が強く感じられます。  JD なぜなら戦後のフランスには、アメリカが溢れていたからです。戦前のフランスは、非常にフランス的でした。しかし戦後になると、例えば私たちの世代がパリにのぼってきた頃は、コカコーラなどのアメリカ製品、アメリカのジャズ、アメリカ映画などがあらゆるところにありました。戦時中に禁じられていたこともあり、ちょっとした憧れの感情もあったのです。その点に関しては、日本などの国においても似たところがあったはずです。  ヌーヴェルヴァーグは、自分たちの身の回りにあった現実のフランスを撮影しています。ドゥミに関しては、彼は大西洋側の出身です。重要な港町が多いこともあり、多くのアメリカ人船員がいました。だから彼の映画の場合、どちらかというと、アメリカとの関係は身近なものになっています。私たちヌーヴェルヴァーグとは、つまりは『カイエ』がアメリカ映画から受けた影響とは異なります。私たちが主に影響を受けたのは、ハワード・ホークス、フリッツ・ラング、ヒッチコックなど、アメリカ映画です。それらはアメリカ映画と呼ばれていますが、実体はアメリカ人、ドイツ人、イギリス人などの多国籍な映画作家によって構成されています。それら以外にも、フランス映画、イタリア映画、日本映画など多くの影響がありました。つまり、ヌーヴェルヴァーグは、アメリカ映画に対する志向はあっても、そればかりではない。私たちが興味を持ったのは、「映画とは何か」に真剣に向き合っていた映画作家たちの芸術です。そこに国籍の問題はありません。私たちの持っていたアメリカに対する態度も、映画を通じてのものです。ゴダールの『勝手にしやがれ』やトリュフォーの『大人はわかってくれない』においても、映画を通じたアメリカの姿が感じられると思います。  しかしながらドゥミの場合は、『ロシュフォールの恋人』のようにアメリカのミュージカル映画の影響を受けているものもありますが、別の観点からアメリカを考えています。ドゥミの映画のテーマの一つとして重要なのは、多くの映画が〈出発点〉に基づいているということです。彼の映画の舞台となるのは、港町や海岸近くの都市です。つまり、外に開かれた土地である。そこでは、多くの人が行き交い、また彼らは到着して出発します。その場に滞在するような土地ではありません。雑多な人々で溢れかえるパリみたいな街とも異なりますし、内陸の土地のように見知った人々が定住している場所でもありません。要するに、舞台となる土地によって物語の作りが大きく変わるということです。ドゥミの映画の場合、常に外部へと開かれたところがあります。  HK 人々が行き交うという点に関しては、『シェルブールの雨傘』のオープニングの有名なショットが思い浮かびました。また映画が外部に開かれているという点に関しては、アプローチの仕方が異なりますが、ギィ・ジルやアラン・タネールの映画も想起されます。  JD 『シェルブールの雨傘』の最初のショットは、とても良いショットです。その映像を撮影したのは、シャブロルといつも一緒に仕事をしていたカメラマンでした。港町の映像が俯瞰で映され、カメラはそのまま下へと移動していき、石畳が撮影される。そして、傘を開く人の姿が映る。そのまま様々な色の傘をさした人々が行き交い、さらには船乗りの制服を着た人々の姿も見える。最終的にカメラは最初の港の俯瞰へと戻ります。その一つのショットが、とてもいい例です。なぜなら、たった一つのショットを通じて、映画の全体が予告されているからです。つまり、物語はシェルブールの港町で展開され、傘に関わるものであること、戦争が入り込んでくること、出発しなければいけないことなどが、映像を通じて感じられる。  ドゥミの映画では、それ以外にも『天使の入り江』などにも同様の試みがあります。ニースの海岸遊歩道を、人気のない早朝に、ジャンヌ・モローが一人で歩いています。そのままカメラは、彼女を置き去りにして進んでいき、遊歩道全体の姿を、車のバックミラーに映る風景のようにして撮影し続けます。     〈次号へつづく〉 (聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ)