英文学
下楠 昌哉
小川公代、秦邦生、北村紗衣。実力者たちが長らく読まれそうな仕事を世に問うた年になった。春に『ケアの物語 フランケンシュタインからはじめる』(岩波新書)で話題をさらった小川は、十月のNHK100分de名著でブラム・ストーカーの『ドラキュラ』を取りあげた。二十世紀が終わるまで日本ではイギリスの恐怖作家とされていたストーカーが、アイルランドの作家としてこれだけ多くの人に認知してもらえる機会が訪れたことは感慨深い。秦の『カズオ・イシグロ 記憶、孤独、そして「関係性」の方へ』(三修社)はシリーズ「〈英語〉文学の現在」への一冊で作者紹介の体裁の書物だが、構成の作り込み方が秀逸。秦と小川は共編で『ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』を読む パンデミックからディープタイムまで』(水声社)も刊行。なお、水声社からは秦が関わった『~を読む』本が複数刊行されているが、シリーズのように見えるのはたまたまだそうである。北村の『「名作」と友達になる 学校では教えてくれないシェイクスピア』(朝日出版社)は、二つの私立学校の男子高校生を対象にした講義録の書籍化。うち一つの学校は我が母校で、北村先生の謦咳に接した、あるいはその書を読んだ後輩たちのなかから河合祥一郎大先輩のあとを追う者が現れることを願ってやまない。
文学の棚にはおそらくみつからないが、ジョイス学者の俊英、南谷奉良編『生成AI×ロボティクス』(中村靖子監修、春風社)は、第三部の三章全てがカズオ・イシグロ『クララとお日さま』論に充てられている。南谷は「22PUlysses」に続いて同志たちと共に数百人が登録するネット・イベント「文系のための生成AI研究会」を運営中である。AIがこれだけ広まってきたからこそ人文学の時代が来る、と断言する南谷の活動は今後も大きな注目を集めてゆくだろう。
大田信良・大谷伴子・四戸慶介編著『ユーラシアのイングリッシュ・スタディーズ序説』(小鳥遊書房)は「グローバル化とその終焉をめぐる問題にわれわれみんなが適切に対応しうる「英文学」研究」という観点に立つことを提唱する野心的試み。序説の先のダイナミックな展開を期待したい。
エリザベス・ボウエンは今年も大きな仕事が出た。『ボウエンズ・コート』(太田良子訳、而立書房)は、ボウエン家が先祖代々住んでいたビッグ・ハウス、ボウエンズ・コートの記憶と共にアイルランドと自らの祖先と家族の来歴をボウエン自身が記す年代記。有名作家たちと彼らが生きた時代の生の証言と言えば、メアリー・コラム『人生と夢と』(多田稔監訳、三神弘子・小林広直訳、幻戯書房)がイェイツ、エリオット、ジョイスらと直接交流があったアイルランド生まれの文筆家による回想録。大部な翻訳を詳細な訳注でさらに大部にすることを厭うていない労作。
原和之・荒谷大輔・福田大輔・今関裕太『詳解ラカン『サントーム』 ジョイス・結び目・精神病』(福村出版)は、ジョイスを精神病の具体例として検討したラカンが一九七五年から七六年にかけて行ったセミネールの詳解。往々にして解説書を介して援用されるラカンが本来どう読まれるべきかを教えてくれる書物。ジョイス研究の若きホープ今関作成のジョイス関連事項注釈は天・小口・地の色を変えて収録されており、小冊子なみのヴォリュームがある。
本来はもっと前のほうで取りあげたいところだったが、今年の終盤はNHK朝の連ドラ「ばけばけ」のおかげで時ならぬ小泉セツ・八雲ブームである。様々な雑誌で特集が組まれ、企画本が出版され、大型書店には八雲コーナーがつくられ、再版ものも含めて多数の八雲の著作や関連書が並ぶ。八雲のKWAIDANを出版当時の英語話者が読むような感覚で味わえる円城塔の「直訳」『怪談』(角川文庫)も文庫に入って読みやすくなった。しかしながら、幼いころは間違いなく英国籍を持っていたであろう、英語で文学を書いたこの作家に関して、管見に入っていないだけならば面目ない次第だが、「英文学」的な著作がそれほど見当たらないのはどうしたことか。こうした年末回顧で自分の著作に触れるのは避けたいところだが、英文学的に八雲を扱った論考などが読める書籍を最後に。東雅夫・下楠昌哉責任編集『幻想と怪奇の英文学Ⅴ 関西疾風編』(春風社)、下楠昌哉編訳『雪女・吸血鬼短編小説集 ラフカディオ・ハーンと怪奇譚』(平凡社ライブラリー)。(しもくす・まさや=同志社大学教授・英文学)
