脱原発の技術思想
井野 博満著
佐藤 嘉幸
井野博満は一九三八年生まれの工学者で、六〇年安保闘争、六八―六九年大学闘争、七〇年代反公害闘争を経験している。そうした彼の経歴が、本書の「脱原発の技術思想」として結実している。その思想とは端的に言えば、技術者による技術の内在的批判である。
井野によれば、「技術が実現されるためには、①その機能性(利便性)、②経済性(コスト)、③安全性、④環境適合性の四条件が求められる」。そのとき、技術を用いる事業者=資本は前二者、機能性、経済性を重視するが、後二者、安全性、環境適合性をできるだけ低く見積り、そのコストを削減しようとする。他方で、その技術を受け入れる地域住民にとって重要なのは、後二者なのである。資本と地域住民との「立場性」の対立において顕著に現れてくるのが、工学とは「ものを作るための学問である」という性格である、と井野は述べる。つまり、技術者はここで資本の論理に取り込まれ、「必ず作る側[=資本]に有利なように結論を持っていく」。
こうした資本と技術者の「立場性」における癒着は決して偶発的なものではなく、工学という技術に本質的なものである、と井野は喝破する。福島第一原発事故の例を考えれば、この点は明確である。東京電力は、二〇〇二年に出された地震、津波に関する長期評価の「三陸沖から房総沖の地域において、三〇年間に二〇%の確率で、津波マグニチュード八・二前後の地震津波が襲来する」という予測に接しても、その可能性を過小評価していかなる地震、津波対策も行わなかった(津波地震の可能性を考慮するよう迫った原子力・安全保安院に対して、東電の高尾誠土木調査グループ津波担当は「確率論で検討する」と「四〇分くらい抵抗」して、その場を逃れた)。二〇〇八年三月には東電は、規制の変化に応じて長期評価に基づく試算を行い、福島第一原発に押し寄せる津波の高さを一五・七メートルと予測したが、対策コストが膨らむことを恐れて、依然として何の地震、津波対策も行わなかった(東電子会社は一〇メートルの津波襲来確率を一年間に一万分の一より低いと算定していた)。その結果、三年後の二〇一一年三月、福島第一原発は、予測とほぼ同じ高さの津波に襲われ、全電源喪失、メルトダウンという過酷事故を引き起こしたのである。これは、経営者と技術者が巨大津波地震の可能性を、資本の利害に沿って過小評価した結果である。この点をめぐって井野は、福島第一原発における「地震評価、津波評価の恣意性は、実証主義科学の持つ恣意性(党派性)の現れなのではないでしょうか。科学や技術に不確実性や未知領域があるとき、その客観性は貫徹しなくなると考えています」と述べている。原発のように、大事故を起こすとその周辺環境に破局的被害を及ぼしうる大規模技術ほど「恣意性(党派性)」を抑制すべき、というのが社会倫理的な態度だが、実際には全く逆に、「恣意性(党派性)」が最も大きいのがこの原発という資本=技術複合体の本質なのである。そして、その犠牲となるのは常に、資本=技術複合体に対して非対称的な立場に置かれた地方住民である。
大学闘争、公害闘争を経験した科学者の特徴に、「科学者としての自己批判」という態度がある。この世代の科学者の一部は、ベトナム戦争への旧帝大の協力や、公害=環境汚染に対する科学者の責任に自覚的であり、自らの科学者としての立場を自己批判しつつ、主流科学者の体制協力をいかに批判するか、という困難な課題を生きてきた。公害研究で知られる宇井純や、原発批判で知られる高木仁三郎、京都大学原子炉実験所の熊取六人組などがそうした「批判的科学者」に当たるが、井野もその系譜に連なる科学者である。本書所収の論考「一九六〇年代科学技術論争と今日的意義」、「現代技術史研究会での思想論争」は、井野の批判的科学者としての経験を生々しく証言している。そこから井野が導く理想社会とは、「生活圏」を中心とした「分散型適量消費社会」である。この理念は近年唱えられている「脱成長コミュニズム」とも近く、世代を超えて受け継がれ、真剣に検討されるべき理念だと言えるだろう。(さとう・よしゆき=筑波大学准教授・哲学・社会思想)
★いの・ひろみつ=東京大学名誉教授・金属材料工学。二〇〇七年より柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会代表。一九三八年生。
書籍
| 書籍名 | 脱原発の技術思想 |
| ISBN13 | 9784867070208 |
| ISBN10 | 4867070203 |
