2026/03/27号 6面

「読書人を全部読む!」(山本貴光)

読書人を全部読む! 山本貴光 第24回 雑誌のいいところ  前回は雑誌『思想の科学』に関する記事を眺めてみた。雑誌のような定期刊行物は時代の鏡のようなもので、本ともまた違う時間の流れのなかにある。週刊や月刊で発行される雑誌は、そうした頻度で作られる一方、本の場合はもう少し長い時間をかけて作られる。別の見方をすれば、数カ月から長いと数年をかけて作られる本は、速報性とは別のサイクルで動くわけである。いまでは四六時中絶えず更新されるウェブが普及したこともあり、かつて雑誌が担っていた働きの一部はウェブに置き換えられてきたのはご存じの通り。  他方で、ウェブはどんどん更新されるのと同じく、ときにごっそり削除されたりもする。例えば、3年前の本や論文で参照されているウェブページを見ようと思ったら、何割かはすでに存在しなくなっていたということもしばしばだ。いつまでもあると思うなウェブの記事、とつい標語にしたくなる。  Internet Archiveのようにウェブとその更新履歴を保存するプロジェクトもあって、大いに助かる一方で、そうしたプロジェクトにしても、厖大なウェブの全域を網羅できるわけではなく、消えてゆくページも多い。ウェブをはじめとするデジタル環境は、更新しやすさと裏腹にとかく不安定でもあるのだ。  ウェブと比べて従来の雑誌の特徴と言えそうなことがあるとすれば、発行された全てのコピーが破棄されたりしない限りは、どこかにものとして残り続けるという点があるだろうか。物質に固定された文字や図版は存外頑固にかたちを保つものだ。私も手許にいくらか古い雑誌や本を持っている。例えば、1946年から1950年にかけて発行された『世界文學』(全38号、世界文學社)は、いまから80年ほど前のもので、紙はいくらか劣化しているものの読むのに差し支えはない。誤解なきよう言い添えれば、デジタルと紙はどちらがよいかといった話ではない。用途に合わせて使い分ければよい。  とはいえ、雑誌のほうにも盛衰があり、これまでもたくさん創刊されては消えていった。それだけに、そうした雑誌を集めて保存している国立国会図書館や大宅文庫のような施設を利用するか、自分で集めるかということでもなければ、かつてどんな雑誌があったのかを知る機会は多くないかもしれない。  これに関して、「読書人」のバックナンバーを読むうちに気がついたことがあった。毎号紙面の一部を占めている広告のほとんどは本の新刊を伝えるものだ。その一部に雑誌の広告もある。もちろん当時発行されていた雑誌のごく一部に過ぎないとはいえ、どのような雑誌があって、どんな記事を載せていたのかを窺い知るなによりの手がかりになる。  その具体例は次回見てみることにして、雑誌の特徴をもう一つ述べるなら、有限であることが挙げられる。雑誌や本紙のような新聞もそうだが、限られたページ数に掲載できる情報には限りがある。この、限りがある状態のありがたみは、ページからページへ、画像から画像へと限りなく閲覧し続けたくなるように設計されたウェブやアプリに日々触れるのが当たり前となっている昨今、かえって身に染みるのであった。(やまもと・たかみつ=文筆家・ゲーム作家・東京科学大学教授)