2026/10/02号 1面

イスラーム思想史大全

対談=竹下政孝・山内志朗<イスラームの長い中世と思想の系譜>『イスラーム思想史大全』(東京大学出版会)刊行を機に
対談=竹下政孝・山内志朗 <イスラームの長い中世と思想の系譜> 『イスラーム思想史大全』(東京大学出版会)刊行を機に  イスラーム思想の成立と展開を通史的に描き、約2400人の思想家を通じて神学・哲学・神秘主義などの知的営為を解説する、竹下政孝著『イスラーム思想史大全』(東京大学出版会)がこのほど刊行された。  本書刊行を機に、著者で東京大学名誉教授の竹下氏と慶應義塾大学名誉教授の山内志朗氏に対談いただき、1000頁超のこの大著をいかに読み解いていけばよいか語っていただいた。(編集部)  山内 これだけの大部な一冊をお書きになるのには、相当時間がかかったのではないですか。  竹下 10年がかりでした。ですが最初の1、2年の段階で、大筋は書き終わっていました。ところが、この近年で新しい情報が次から次に増えていき、その都度書き足していたら、最終的にこの分量になりました。  山内 たしかに、近年のイスラーム研究は目覚ましいものがあります。  竹下 新しい研究書もたくさん出るし、新しく校訂されるテキストも、大変な数になる。つい最近も、注釈・傍注付きの全8巻の神学の本が出て、まだ入手できていませんが、もし手元にあったら本書をさらに書き加えていたと思います(笑)。  山内 情報が次々に増えていくようだと、竹下さんのお宅は本だらけなんじゃないですか。  竹下 おっしゃるとおりです。しかし、以前に比べると買う本はだいぶ減って、今はほとんどPDFで閲覧しています。その方が早いし、検索も容易です。  山内 ヨーロッパの中世関係でいえば、Post-Reformation Digital Library (PRDL)でカルヴァンの著作をはじめ何十万冊とアーカイブされていて、すべてPDFで読めます。だから、わざわざ図書館に行く必要もない。  竹下 Wikisourceなら、OCRで読み取った古典のテキストが大抵読めます。アラビア語の古典は長大なものが多くて、そういうものは基本的に通読するものではなく、必要なところだけを読むものだから、デジタル・アーカイブを活用した方が活字で読むよりもずっと楽です。  山内 ヘブライ語やギリシャ語、ラテン語の古典もそういったデジタルソースに完備されています。  竹下 昔なら、こういう本を書くためには、各地の国立図書館に通って資料を参照する必要がありましたが、今はそれをする必要がない。本当に便利になりました。  山内 加えて今はAIも飛躍的に進歩しています。神学的なものはまだ難があるけれど、ラテン語の初歩的なテキストだったら、96、7%の精度で訳せます。  竹下 私も今はAIをよく使っています。  山内 アラビア語も訳せますか?  竹下 訳せますし、その上で要約してくれます。それに最近はChatGPTでも、Google Geminiでもウェブサイトと連携していて、最新の研究成果を誰かがウェブにあげるとすぐにそれを引っ張ってきてくれますから、本当に助かっています。ちなみに、私は英語で使っています。  山内 日本語だとまだ厳しいですよね。  竹下 日本語↕アラビア語だと、おそらく英訳を経由しているから二重の訳になってしまう。その点、英語↕アラビア語は非常に正確です。AIは以前に比べると格段に精度が上がりましたが、それでもまだ時々ハルシネーションを起こすので、最後は目視でチェックする必要があります。  山内 先日、ライムンドゥス・ルルスのAIによるラテン語訳を見ましたが、99%正しいのだけれど、一部致命的な、人間だと絶対やらない誤訳があり、それが残ったままになっていました。一つの同じ単語でも多義性があってその辺を文脈で読み分けないといけないのですが、その辺がまだ危ない。こちらが教えてあげないといけない。  ところで、訳出の話題に関連して、これはAIがということではありませんが、例えば近代の、デカルト以降の西洋哲学用語ならまだしも、中世以前やキリスト教関係の用語の日本語訳となると、途端に変なものが山ほど出てきてしまいます。  竹下 だけど中世以前の西洋哲学やキリスト教神学には多くの日本人研究者がいるから、日本語の訳語は大体固定されているのではないですか? その点でいうと、イスラーム思想関係は研究者が少ないからアラビア語術語の日本語訳はほとんど固定されていません。人によって訳語が異なります。文法の違いも大きく、アラビア語を日本語訳したときに、しっくりいかないことはよくあります。  それでいうと、本書を書くにあたって、アラビア語の本の題名をどう訳すか。これにはだいぶ頭を抱えました。アラビア語の書名は韻を踏んだタイトルが付いていることがしばしばあり、大抵はその音のままラテン文字で表記します。日本ではそのラテン文字表記をカタカナ読みにして紹介されてきました。  山内 だけど、竹下さんはすべて日本語に直された。  竹下 ただでさえ人名のカタカナ表記が多いなかで、書名までカタカナ表記にしてしまうと、非常に読みづらいのであえて全部訳しました。それをしたことで、私自身、まるで別の本を扱っている印象を受けましたが、こればかりは仕方のないことです。  山内 書名を正しく訳すためには、アラビア語の原典にまで遡らないと見えてこないところがあって、そのことがわかるのが、例えば333頁のコラム「『叡智の宝石』と『叡智の台座』」のところです。従来『叡智の台座』と訳されていた思想家・イブン・アラビーの書名を、竹下さんは『叡智の宝石』と訳された。原題は『フスース・ヒカム』で、フスースはファッスの複数形。ファッスとは「宝石の台座」ではなく、「指輪に嵌める宝石」そのものであることを明らかにしています。また、しばしば、その宝石には持ち主の名前や叡智の言葉が印刻されたとあって、なるほどと思いました。加えて、宝石と指輪の関係が、完全人間と世界の関係に対応していることも指摘されています。本書はこういったコラムでの補足も充実しています。  竹下 有名なイブン・アラビーの著作だからうまく訳せたのだけれど、そのほかの書名に対してはここまでできませんでした。題名を正確に訳すには、どうしても一冊まるまる精読する必要がありますので。  山内 先ほど人名についての言及がありましたが、中世アラブ人は同じ名前の人が極めて多く、兄弟間であっても一緒ということがよくあります。ですから、正しく識別するためにはとても長いフルネームを記述せざるをえません。  竹下 特に通称名は地名から取るから、その場所に知識人がたくさん現れると、全員同じ名前になるしフルネームまでほとんど同じ人物も出てきます。本書では同名であってもきちんと区別しましたが、ほぼ同じ時代に、同じ名前の人が、同じような分野の本を書いた場合、どうしても混同は避けられないし、実際に混同されている例はいくつもあります。  逆に、ファーラービーや、イブン・シーナーのような著名人ならフルネームが使われることはありません。ですから、今回、私が長いフルネームで記載した人というのは、それほど有名ではない、短い名称では特定が困難な人だといえます。  山内 イスラームの長い名前には、誰々の息子であるという具合に、血縁・継承関係が示されていますが、それは声の文化に属しているからです。声の文化というのは、誰から聞き、どう繫がってきたのかを大事にするものであり、イスラームの代表的な特徴です。他にも本書では、スーフィズムは文章で書いたものよりも耳で聞いた話を重視していると指摘していますから、ここにも声の文化が表れているといえそうです。  ヨーロッパは、特に16世紀以降活版印刷が普及してからは文字の文化ですから、そもそもイスラームとはスタイルが違います。イスラームは、先生が教えたものを弟子が耳で聞き、それを次世代に継承していくということを連綿と続けてきた。ですから、イスラーム思想を学ぶ上で、知識人たちの長い名前を覚えておくことにはちゃんとした意味があって、その人の知識がどのように継承されてきたか、声の文化の背景をきちんと踏まえることにも繫がりますし、そこにこそイスラーム思想の要諦があるように思いました。  竹下 13世紀以降の聴講時に使われた写本を見ると、聴講の日付、先生の名前や聴講者名が細かくメモしてあります。なぜそうしていたかというと、その本を教えるためには先生からの許可が必要になるからで、その許可の典拠を示しているのです。そして、許可をもらった弟子がその下の弟子に教えて、その弟子がまた許可を受けて……という形で思想が受け継がれてきました。  山内 先生から弟子へ、そしてさらに弟子へ、という教授の形式はスコラ哲学も同様に見られます。一方で、ヨーロッパの大学は、神学にしろ哲学(基礎的教養科目)にしろ、必須学習内容として定められたカリキュラムを踏まえて教えていく制度だったので、思想の継承が標準化されたところがありました。つまり、イスラームのようにどの先生からどのような聴講を受けたかということはあまり強調されず、標準的な学習内容が定められたテキストの内容に即して受け継がれていったところがあります。  西洋における教育システムの歴史と対照させて考えると、これから『イスラーム思想史大全』という大部な書を読まれる読者に向けて申し上げたいのは、たくさんの人名が登場する本書において、著名な人物の項だけを拾い読みするのではなく、またそれぞれの人物の特徴的思想がどういうものであるかということにとどまらず、その弟子に思想がどう受け継がれたのかということにも目配りしてもらいたい、ということです。それにより、イスラームにおける思想史の筋道がより理解できるようになります。  竹下 イスラーム思想の有名人は、これまでもたくさんの研究書が出ていますから、その分本書では記述を薄くしたところがあり、それ以外の多様な、マイナーだけど非常にユニークで、研究に値する知識人を網羅したのが本書の特徴です。  本書に取り上げた人物たちの情報は、大抵ネット上に転がっています。でも、名前を知らないことには、調べることすらできません。ですから、本書を通じてまずは名前を知ってもらい、この先いろいろ調べていくためのきっかけにしてもらいたいです。  山内 これまで知られてこなかった多様な知識人を網羅した本書が刊行されたことで、日本における読者の方々においても、イスラームに対する接し方も変わってくるのではないでしょうか。これまでは井筒俊彦さんの『イスラーム思想史』(岩波書店、1975年/文庫改版、中公文庫、2005年)の影響が圧倒的に強く、同書で紹介された思想家たちや時代が、日本におけるイスラーム思想の中心として扱われてきたところがありました。そういった状況の中で今回の竹下さんの本は新しい意味を持つと思います。  竹下さんは、井筒さんの『イスラーム思想史』に対してどのような考えをお持ちですか?  竹下 従来のイスラーム思想史というのは、日本にかぎらずおおむね13世紀頃までで記述が終わっていて、井筒さんの『イスラーム思想史』も、基本的には戦後間もなくに書かれた内容を改訂して出版したものですから、13世紀までの内容でした。ですから、イスラーム神秘主義研究者のアンリ・コルバン(1903―1978)以降のイスラーム思想史研究の発展は取り入れられていません。それでも、井筒さんの『イスラーム思想史』がいまだに古くならないのは、本当に重要な人物だけを取り上げて、詳述したところにあります。  ただし、井筒さんはコルバンと同じように13世紀以降のイスラーム思想研究の開拓者の一人であったことは忘れてはなりません。『イスラーム思想史』のあとに書かれた「本質直観――イスラーム哲学断章」(『意識と本質』岩波書店、1983年所収)では、13世紀以降のイスラーム哲学を主題にしています。彼は、13世紀以前のイスラーム哲学というのはアラブ人がアラビア語でやったギリシャ哲学であり、真のイスラーム哲学は13世紀以降からはじまるのだ、ということを述べています。  「本質直観」の特徴は、13世紀以降の、ナシール・ディーン・トゥーシー、クトブ・ディーン・ラージー、ダスーキーら、いま最も研究が進展している重要な知識人をいち早く紹介したところにあります。他方で井筒さんは『イスラーム思想史』以降は一般向けの通史を書かれなかったので、思想史の発展といった文脈は読み取れません。  山内 つまり、井筒さんが先見的な見通しをもって、開拓した思想の領野は広大なものであったあったわけですが、それでも展開しきれなかった13世紀以降のイスラーム思想史の進展を、竹下さんは本書で展開されたわけですね。  では、本書から『イスラーム思想史』以降の発展をどう読み取っていけばよいか。まず押さえておくべきはイスラーム思想の構造、少なくともカラーム(神学)とファルサファ(哲学)とスーフィズム(神秘主義)があり、13世紀以降はギリシャ的なファルサファのみならず、むしろスーフィズムとカラームの発展をみたということです。  井筒さんの研究では、アシュアリー派やムータジラ派といったカラームへの言及が手薄で、どうしてもカラームについての記述を読み飛ばしがちになります。ところが、竹下さんの本からはカラームの重要性がよく見えてきますし、押さえておくべきポイントも摑めるようになります。  私がイスラーム思想史に関わる場合、どうしてもギリシャの系譜、つまり実体論的な視点から読むことになってしまうのです。そういう入り方をしてしまうと、ムータジラ派の独自の思想が分かりにくいものになってしまいます。神は永遠性だけが属性であとは名前でしかないと説明されています。属性と名前という対比が分かりにくい。つまり、ギリシャ、ヨーロッパ的なインデックスとしての名前ではないということがわかったのが、とても面白かった。同時に、このようなムータジラ派の持っていた属性論と名前との関係にも、イスラーム的な思想の特徴があるような気がしました。  竹下 ムータジラ派は、アシュアリー派興隆以降は完全に衰退したように見られていたけれど、実際はそうではなく、主にザイド派に、あるいはイランのシーア派(十二イマーム派)にも継承されて、ずっと続いていました。ただ、哲学を敵視していたアシュアリー派もファフル・ディーン・ラージー以降、次第に哲学の方に近寄っていくという展開はとても興味深いです。  私も本書の執筆を通じて気がついたことですけれど、神学、スーフィズム、哲学は起源も別々ですし、発達の仕方もそれぞれ違います。ところが、ガザーリーや、イブン・アラビーが登場したあたりから、まずスーフィズムが徐々に思弁的になっていき、哲学に近づいていく。もともとイスラームにおける哲学、特にイブン・シーナーの哲学はネオ・プラトニズムの性格が強く、神秘主義とは相性がよかったのです。  一方で、神学者のガザーリーは哲学のことを苛烈に攻撃していた、ということもありました。  山内 ガザーリーというと、哲学者のイブン・シーナーとの対決が有名で、哲学を批判したガザーリーの勝利という図式が広く知られていましたが、本書では、実はガザーリーは哲学者であったという一節を読んだときは、「そうだったのか」と思いました。  竹下 ガザーリーは、実際は神学者ではなく哲学者だったのではないか、という説は昔からありました。ガザーリーはあまりにも哲学の深奥に入りこみ、そのまま哲学に取りこまれてしまったというわけです。  イブン・シーナーは、今でこそイスラーム哲学を代表する人物とみなされていますが、すぐには受け入れられませんでした。彼の後にはガザーリーのみならず多くの批判者が現れました。後年、イブン・シーナーの復興の立役者となったのが、ファフル・ディーン・ラージーとナシール・ディーン・トゥーシーです。13世紀以降のイスラーム思想を知る上でこの二人はとても重要です。  ラージーはイブン・シーナーの哲学を受容して、それまでの神学者とは異なる、新しい哲学的神学、つまり「神を存在の必然者」と考える神学を樹立しました。一方、トゥーシーはよりイブン・シーナーに忠実に、つまり神学寄りではなく哲学的にイブン・シーナーを受け入れたのです。  さらに言うと、そのトゥーシーが活躍したのはイル・ハーン朝期にあたり、この時代は13世紀以降のイスラーム思想史にとって重要な意味を持ちます。もしかしたら今後の研究の進展次第で覆るかもしれませんが、私の印象では、政権がシーア派の時は理性的諸学が盛んになり、スンナ派が支配的な時は伝承的諸学、歴史学や法学が重視されるようになる。それがよく表れているのがイル・ハーン朝期の、パクス・モンゴリカに入った地域と入らなかった地域の違いです。  山内 イル・ハーン朝は1258年にカリフ制のアッバース朝を滅ぼして成立したわけだから、基本的にはイスラームと対立していた王朝のように捉えていたけれど、為政者に気に入られたトゥーシーが天文台を建造していたということを本書で知り、意外でした。  竹下 このイル・ハーン朝期の大きな特徴のひとつが、論理学が非常に盛んになったことです。それまでは学問の道具として扱われていた論理学が、独立した学問として確立され、たくさんの教科書が書かれるようになりました。それと同時に、論理学専門の学者も出てくるようになります。また議論によっていかに相手を負かすかということを目的とする弁証法(ジャダル)と違って、討論によって真理に辿りつくことを目的とした新しい学問である「探求と討論の作法」が三段論法に基づく推論の学である論理学とは別に発達したのもこの時代です。  山内 13世紀の後半から、「探求と討論の作法」と「論理学」というかたちで、そのような特殊な学問が発達していった展開は面白いですね。  竹下 以降、論理学はさらに発展し、延々と論理学書が書かれ続け、19世紀頃には非常に大部で精緻な書物も書かれるようになります。  学院で教えられる、理性的諸学というのは、哲学、神学、論理学、「探求と討論の作法」、基本的にはこれら4つに区分されます。学院で使われる教科書は、短くて数頁、長くても数十頁程度の、簡潔なものです。おそらくこれらは学生によって暗唱されたのだと思います。そして、それらの教科書に膨大な注釈が数多く書かれる。さらにそれらの注釈書の中で定評のあるものに対して傍注が無数に付け足されていくという形で、発展していきました。  山内 そのような論理学の発展を考える上で、マドラサ、つまり学校・学院の役割は大きかったといえますか。  竹下 おっしゃる通りで、中世のイスラームにおけるマドラサの発達は大いに関係しています。  マドラサの歴史的経緯について解説すると、初期の頃のマドラサとして有名なニザーミーヤ学院では、従来はジュワイニーやガザーリーが教授になってアシュアリー神学を教えていたと言われてきました。ところが、ニザーミーヤ学院はセルジューク朝の大臣でシャーフィイー派のニザーム・ムルクが、シャーフィイー派の法学を教えるために私費で作った学校です。一方で、セルジューク朝の君主たちは皆ハナフィー派ですから、ニザーミーヤ学院とは別のハナフィー派の学院を作った。つまり、学院とは元々法学者の養成機関だったので、法学に関係した内容、例えばコーランやハディースとか、そういったものしか教えず、決して哲学や神学は教えていませんでした。  ところが、ある時点でマドラサでも哲学や神学が教えられるようになった。哲学や神学が、どの地方でいつ頃から教えられるようになったのかはまだ詳しい研究がなされていないのでよくわかりませんが、14世紀頃には、哲学や神学も教えられるようになったことは間違いありません。そして、マドラサはモスクと同じように至るところに設立されていきました。たとえば、セルジューク朝がアナトリアを征服してまもなく、主要都市にマドラサが立ちます。もちろん、アナトリアだけでなくシリア、エジプト、北アフリカにもあったし、イランの各地にもありました。  私が本書で最も紙幅を割いた第Ⅳ部では、インド、イラン、アナトリア、アラブを扱いましたが、基本的にはこれら4つの地域は相互交流がありません。しかし、共通しているところがあります。それはマドラサが非常に発達したということです。そして、各地の学校で使われた教科書の大半が、イル・ハーン朝期に書かれたものです。だから地域が違ったとしても、みんな同じような本に注釈を付けていました。  山内 国が分裂したとしても、知識を支えるテキストがしっかりしていたから、各地の教育機関自体は安定し、同じ教科書が使われ続けたという指摘は、とても重要です。  ヨーロッパの場合、13世紀の最初に大学に出来ましたが、統一のテキストが確立するまでにはそこから半世紀経なければならない。それまでは基本的にアリストテレスしかなかったのです。  そのアリストテレスは、ラテン語を勉強するためのテキストとしてはいいのだけれども、中身は古いし、不明な点も多い。だから、アヴェロエス(イブン・ルシュド)やイブン・シーナーらのアラビア語のテキストをラテン語に訳したものを取り入れて勉強していたわけですが、それを教わることができたのは、オクスフォードやケンブリッジ、パリといったごく一部の大学に限られました。そのようなテキストがヨーロッパ全体に広がっていくのは14世紀以降ですから、そう考えると、イスラームはヨーロッパに先んじて、安定した知の文化を継承していたといえそうです。  竹下 たしかに、統一したテキストにより、ヨーロッパに先んじて知の継承が進んでいたという面もありますが、より強調したいイスラーム世界とヨーロッパとの違いは、イスラーム世界のマドラサのシステムが19世紀まで続いていた点でしょう。  山内 なるほど。  山内 イスラーム思想を学ぶ上では、同時に法学にも目配せをする必要があるでしょうね。つまりシーア派とスンナ派の大きな区別もそうですし、さらにスンナ派においてもハナフィー派を含めた4流派ある四大法学派に分かれていて、それぞれの特徴をある程度理解しておかないことには、哲学や神学、スーフィズムといった思想との関係性が見えにくくなる気がします。  竹下 その通りです。元々、イスラーム知識人にとっての知識というのは、コーランとハディースであり、それを探求する法学こそが学問とみなされていて、それ以外は学問ではない、と忌避されていました。  このような知識人に自分たちの研究を認めてもらうべく、働きかけたのが神学者です。神学を宗教的な諸学問の一つとしてみなしてもらおうと一生懸命努力したけれども、常に反対にあった。その流れが14世紀頃から変化していくわけですが、それはおそらく論理学の発達が決め手になったと思います。論理学というのは法学にも応用できるからです。  それに、今でこそ四大法学派が仲良くスンナ派を名乗っていますが、昔は4つの学派が、それこそ互いに弾圧しあうほどに激しく対立していました。そこでの論争に決着をつけるために、あるいは法学者間の意見の相違を解決する学問として「探求と討論の作法」と「論理学」が発達していったわけです。そして、この二つの学問はあらゆる学問に応用が効くということで、法学者も神学者も修めるようになりました。  山内 議論が対立するときは、必ず水掛け論になりますから、それを調整して共通了解の場を設定する原理としてメタレベルのものが必要になるけれども、それが論理学だった。その知識をみんながマドラサで学び共有していたわけですね。  竹下 また、論理学を究めるためには哲学を理解する必要があるということで、オスマン朝期のマドラサでは哲学の教科書も使われていました。本書の最後の章では15世紀から19世紀のサファヴィー朝、ムガル朝、オスマン朝の時代を扱いましたけれども、この時代には、特に大きなマドラサでは哲学や神学も教えられていました。そして、そこで使われた教科書が、13世紀後半のトゥーシーのサークルで作られた教科書だった。そういう意味でも、トゥーシーのサークルのイスラーム思想史に与えた影響は非常に大きいのです。たとえば、井筒さんが「本質直観」で扱った思想家の大部分はトゥーシーのサークルに属していました。  従来のイスラーム思想史研究では、14世紀から19世紀まではほとんど無視されてきました。なぜかというと、この頃に書かれたものの大部分が注釈や傍注だからです。しかし、この時代の注釈というのは、自己の思想の重要な表現媒介であり、一つの学問的業績とみなせます。  とはいえ、こういった注釈や傍注はあくまで専門家向けに書かれた、いわば現代の学術論文に相当し、議論の前提になっている基礎的知識なしにいきなり読んでも何を言っているか全くわからない。それが誰の説に対する反論なのか、過去の注釈・傍注の長い流れの中でどこが目新しいのか、それまでの過程を踏まえていないと、注釈や傍注の思想的価値が見えてこないのです。  山内 今のお話しからも、注釈や傍注によって知識が脈々と継承されてきた流れがわかります。そして、その知の継承は公営の文化として発展してきたものだから、知識の源泉から、批判や肯定を経てどういう流れで継承されてきたのかを理解することの大事さもうかがいしれます。  何よりその知の継承が、マドラサを通じて10世紀から19世紀まで続いていた。そう考えると、イスラーム思想史の最大の特徴は中身のオリジナリティよりも、むしろ営々と続いた継承システムにあったといえそうです。  竹下 断絶がなく、ずっと同じパラダイムで続けてきたのがイスラーム思想です。そこがヨーロッパとの最大の違いで、中世と近世に大きな差がありません。もちろんそのなかでも発展はありました。  山内 たしかに、ヨーロッパは宗教改革によって中世と近世で断絶しています。ただ、それによって、カトリックからプロテスタントに一斉に切り替わったかというと、必ずしもそうではなかったように思います。  ヨーロッパの近代を象徴する変革は印刷術の発明ですが、それはメディア革命であると同時に、教育システムの革命を意味します。古い大学のシステムだと、一人の先生が複数の学生を20、30年もかけて指導していたため、人の養成が十分にできなかった。しかし、印刷術ができたことで同じ教科書を作れるようになり、安定した内容の教育を5、6年くらいの短期間で多数の学生に行い、多くの教員を輩出できるようになりました。このようなカリキュラム改革を行ったのが、カトリックのイエズス会であって、それによりイエズス会は大成功をおさめています。  竹下 学者の再生産システムは、イスラームの場合はマドラサが出来たことで完成しています。  山内 それがヨーロッパよりもだいぶ早かった。  竹下 マドラサがセルジューク朝時代に出来て以来、19世紀に至るまで途絶えることなく続いてきましたから、ある意味そこまで中世が続いていたといえます。  ところが、19世紀にヨーロッパの教育システムが入ってきたことで、イスラームの伝統的な教育システムと切り替わり、イスラームの中世はいわば強制的に終わりを迎えました。  山内 だとすると、イスラームの教育システムがヨーロッパ化していくのは、19世紀以降だということでしょうか。  竹下 そうです。それにより、マドラサが次第に消滅していきました。もちろん終わりを迎えた時期は地域により違いはあります。  山内 従来の見方では、ヨーロッパに先んじて独自の教育システムを確立していたイスラームから、ヨーロッパは12世紀頃にかけて、テキストや教育システム、あるいは科学技術まで学び、ようやく13世紀に発展途上の段階から世界にデビューすることができた。逆にその時期のイスラーム世界では、1258年にアッバース朝がイル・ハーン国に滅ぼされたことで、イスラームの文化が衰退したと考えられていました。だからこそ、井筒さんの『イスラーム思想史』もそこまでの記述で終わっていたともいえます。  しかし、今日のお話しや本書を通じて、イスラーム世界は13世紀に衰退したわけではなく、むしろずっと続いていたこと、しかもそこからが本当のはじまりだったということがわかりました。  竹下 そのことを紹介したかったというのが、本書を書く一つのきっかけだったのです。(おわり)  ★たけした・まさたか=東京大学名誉教授・イスラーム哲学・神秘主義思想。著書に『イスラームを知る四つの扉』など。一九四八年生。  ★やまうち・しろう=慶應義塾大学名誉教授・哲学。著書に『中世哲学入門』『〈つまずき〉のなかの哲学』『ライプニッツ』など。一九五七年生。

書籍

書籍名 イスラーム思想史大全
ISBN13 9784130101622
ISBN10 4130101625