書評キャンパス
川上弘美『光ってみえるもの、あれは』
田原 野衣
「ね、今日はどうだった。」「うん。ふつう。」 これは学校帰りの主人公と母親の会話だ。ここから物語は始まっていく。冒頭にこの会話が差し込まれることにより、読み手に日常的な物語であることを思わせる。
この本は高校一年生の江戸翠の視点で話が進んでいく。彼の家族関係は少々変わっている。例えば、母親のことを名前に「さん」をつけて呼ぶ。祖母は「翠くんの生き血を吸いたくなる」などと言いだす人だ。そして遺伝子上の父親である大鳥さんは父親として扱われず、たまに訪れる一人の男性として位置づけられている。
翠には水絵という彼女がいる。それから友人の花田。翠の周囲には「過不足なく、大人、な感じ」の人間は一人もいない。
花田は突然、翠に「女の服を手にいれたい」と告白する。この発言に至るまでのいきさつを花田が語る場面がある。放課後、花田と翠はラーメン屋に立ち寄る。そこで花田は、自分がこの世界に溶けこんでしまっていることに不安めいたものを感じていることを吐露する。花田は世界に適応していくことを、シミシミと溶けこむ感じと表現する。そしてそれに抗うべく、女装するという行動にでる。
ここまで読んだとき、自分が日々感じていることと重なっているように思えた。毎日何かを見聞きし体験しているなかでシミのような違和感が何処からともなくあらわれる。それが尾を引いている今の状態に、何らかの方法で抗いたくなる。
物語が進むにつれて花田は、従兄弟がセクシュアリティをカミングアウトする羽目になった話や、自分の身体の悩みを、淡々と断続的に翠に語っていく。それらの出来事が花田のなかでトリガーとなり、女装という行動に出たと思われるが、実のところはっきりしない。
花田がなぜ女装するのかを聞かない国語教師に水絵が質問する場面がある。そこで教師は「ほんとうのほんとのところは、本人にしか、わからない」と答える。それを聞いた翠は、本人にすらわからないかもしれない、と思う。つまりひとは、何か決定的なきっかけがあったうえでその行動をしたと思いがちだが、実際はどこかあいまいさを伴いながら行動しているのではないだろうか。
次の問いに対してもやはりあいまいさが付きまとう。「うろうろ生きて。で、それで?」という問いだ。これは翠の心におりにふれて登場する。あるときは、翠の頭の中に浮かんでくるよしなしごとをたどるなかで見つかる。
以前母親に言われた言葉を彼はふと思い出す。そこから思春期特有の性の悩みへと発展し、生について途方もない問いが浮かぶ。しかしその後も何かはっきりとした答えへとつながっていくのではなく、連想ゲームのようなかたちで自分の出自、父親のことへと話題はずれていく。
二度目はバイトの帰り道に歩いているとき。夕方の辺りが暗くなる間際に考えるともなしに、生にまつわることが頭の中を駆け巡る。
最後の場面では、海を眺めながら、答えほど明確ではない何かをつかみかけている。しかし、前述した問いについて何らかの答えをつかみかけても、その問いは再び浮かび、煩悶するのではないか。
誰にでも日々生きるなかで、にじみでてくる疑問や違和感や悩みがある。そういったことを拾って、自分を取り巻く世界の見方を広げてくれるのがこの作品である。そして、わだかまりのある状態から一時解放してくれるよりどころのような本でもある。
書籍
| 書籍名 | 光ってみえるもの、あれは |
