2026/03/06号 4面

悪党たちのソ連帝国

悪党たちのソ連帝国 池田 嘉郎著 鳥飼 将雅  ロシアの前身がソ連であることは知っていても、その歴史について詳しく知っている方は、実はあまりいないのではないだろうか。かつて歴史家のエリック・ホブズボームは、一九一四年の第一次世界大戦の開始から、一九九一年のソ連解体までの時期を「短い二〇世紀」と呼んだ。一九二二年に成立したソ連は、一九九一年の終局に至るまで、時代の中心で大きな役割を果たし続けた。本書は、短い二〇世紀を特徴づけるソ連の歴史を、六人の指導者に焦点を当てて見事に描き切った。  各章は一人の指導者に焦点を当て、その生育過程と経歴、そして指導者としての振る舞いを、丁寧に説明している。著者によれば、ソ連とは「強力な指導者のもとに統合された巨大な共同体(六頁)」であり、指導者は多くの人々の人生を左右できるだけの大きな権力を持っていた。それゆえ指導者に着目することで、ソ連という大国の歴史の紆余曲折を効率よく叙述できるのである。各章の副題に着目するだけでも、各指導者の個性と政策の方向性が見えてくる。  特に、一九五三年スターリン没後の三人の指導者(フルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフ)に関する詳しい記述を含む類書は、邦語では比較的少ない。一九五二年生まれのプーチンロシア連邦大統領が人格を形成し、諜報員として務めていたのも、彼らが指導者だった時期である。そう考えると、この三人の統治スタイルについて知ることは、現代の我々にとっても大きな意味がある。著者は「指導者個人が決定的な重みをもつソ連体制においては、過去に対する批判は個人の名前と直接に結び付く。[…]個人によって象徴される過去を批判することで、新しい指導者もまた個人としての権威を増すことになる(本書二一四頁)」と書いている。いみじくもこの三人のスタイルは、前任者の残した問題に対応する形で形成されている。スターリンの独裁を批判したフルシチョフ、フルシチョフの拙速な改革による混乱を受けて安定を志向したブレジネフ、安定の代償として生まれた停滞と腐敗の改革に取り組んだアンドロポフと、ソ連は指導者の交代とともに様相を大きく変えていった。最終的にはゴルバチョフが始めた抜本的な改革が制御不能となり、ソ連は解体にまで至ったのだ。  本書は一般の読者向けの書物だが、ロシア専門家にとっても興味深い指摘が数多く盛り込まれている。例えば、フルシチョフがロシアからウクライナへのクリミアの移管を一九四四年にスターリンに進言し却下されたことや、ブレジネフが書記長としての権威を演出するために会場に拍手を促すよう予め側近に頼んだというエピソード、アンドロポフがハンガリー駐在時に一九五六年動乱に遭遇したことが、規律を重んじる彼の政治観に影響を与えたことなどが、印象に残っている。  指導者の座に就くまでの出世の過程について詳細に描いている点も、本書の特徴である。レーニンとスターリンに関しては、ロシア帝国の圧政の中での革命家としての活動が、のちの彼らの言論や行動の基盤となった。フルシチョフ以降の指導者は、ソ連成立後に青年期を過ごし、キャリアを積んできた。彼らが幼少期から青年期にかけてソヴィエト市民として得た経験が、指導者としての振る舞いに影響を与えたことを、本書の記述は強調している。  文学や映画など、ソ連芸術への豊富な言及も魅力的である。各章の記述は、ソ連時代を生き抜いた演出家リュビーモフと各指導者との関係の描写から始まり、当時の国家と社会の関係を類推させる。また熱心なシネフィルとしても知られる著者は、数多くのソ連映画の傑作に言及している。ぜひ第二章劈頭で挙げられた映画『クバン・コサック』の冒頭だけでも、鑑賞してみていただきたい。プロパガンダ映画とは何たるかを示す、壮大な迫力の収穫シーンは圧巻である。  エピローグでは、ソ連解体以降の二人の指導者、エリツィンとプーチンにも焦点が当てられる。ともにソ連期にキャリアを積んだ彼らの統治法には、ソ連の影響が色濃くみられた。プーチンの様々な政策や言説への、ソ連時代の各指導者の影響も本書は指摘している。だが同時に、指導者のみが国家を動かすわけではない。一ソヴィエト市民として長いソ連の歴史を生き抜いたリュビーモフの大往生で、本書は幕を閉じる。強い権力を持つ指導者の個性に振り回されながらも、強かに生き抜くロシアの人々の存在を、我々も忘れてはならないのだ。(とりかい・まさとも=大阪大学大学院准教授・比較政治学・旧ソ連地域研究)  ★いけだ・よしろう=東京大学大学院教授・近現代ロシア史。著書に『革命ロシアの共和国とネイション』『ロシア革命』など。一九七一年生。

書籍

書籍名 悪党たちのソ連帝国
ISBN13 9784106039386
ISBN10 4106039389