2025/05/02号

哲学のアンガジュマン:サルトルと共に問う暴力、非理性、デモクラシー

 サルトルは「デカルトの自由」という評論にこんな言葉を残している。「自由はすべての人においてひとしく無限なのであるから、あるひとりの人間が他のひとびとよりもより多く人間である、ということはありえない。この意味で、デカルトほど、科学の精神とデモクラシーの精神との間のつながりを、うまく教えたものはない」。  この文章を現代に生きる私たちはどのように捉え、自らの思索の糧にすることができるのか。「デモクラシーの危機」に生きている私たちは、暢気に文献学的注釈のみに勤しむことはできまい。この言葉を、まことに自らの身体をもって生き、粘り強く思考をしていく必要がある。本書、生方淳子『哲学のアンガジュマン』で賭けられているのはそれである。次から次へと出来立ての「名詞」があたかも新しい商品であるかのように消費されては捨てられていく学術界にあって、哲学を「生きる」という「動詞」によって、たしかな手触りとともにサルトルを現代に浮かび上がらせようとする生方の営為は貴重なものである。  哲学を「生きる」とはどういうことか。例えば「現象学的存在論の試み」という副題をもつ『存在と無』のような哲学書を「生きる」とはどういうことか。それは前著『戦場の哲学』(法政大学出版局、二〇二〇年)で鮮やかに提出されていた。すなわち『存在と無』は存在論を探究する極度に思弁的なものであるだけではない。それは第二次世界大戦中の一九四三年に出版されたものであり、仔細に読み解けば、そこには明らかに戦争に対する抵抗(レジスタンス)が明確にあるのである。じつは、そのことを理論化さえしていたのがサルトル本人であったのではなかったか。存在論的探究は、「存在」という神秘をめぐって、禅のように思索するのではない。経験世界に向かう運動があり、それが同時に存在論的構造を明らかにするのである。このような直観は「存在論的なものはつねに存在的なものに相即してのみ存在しうる」とサルトル哲学の哲学的意義を喝破した竹内芳郎の認識にも共振するだろう。  本書は、狭義のサルトル研究書におさまるものではない。サルトルを神格化するわけでもなければ、サルトルの著作を客体として解剖し、注釈を加えていくわけでもない。親しい対話相手としてサルトルを選び、彼の言葉にみちびかれながら、時には彼に「否」を言うことさえある。本書において一貫しているのはサルトルとともに考えるという態度である。また、本書に特徴的であるのは、国際関係論や社会科学、発達心理学などの広汎な経験諸科学の成果を存分に活かし、それらとサルトルを突き合わせていくことである。  ここで冒頭に引用したサルトルの言葉に戻ろう。「自由」が万人に等しく具わっていることがデモクラシーの精神であるという言葉を、私たちはどのように受け止め、生きることができるのか。生方は「デモクラシーを担う主体は、実はデカルト的な良識と理性に支えられた確固たる主体ではなく、揺らぎ続ける危うい存在でしかない」と述べる(八四頁)。生方によれば、サルトルはデカルト的なコギトを拡張し、デモクラシーを支えもするが、それをときに暴走させもする、そのような両義的な性格をもった人間をこそ描き続けたのであった。それだけではない。ときに非理性や狂気と名付けられ、排除される人間のうちにサルトルが「自己意識」という絶対的な領域を守っていることを文学作品の読解から生方は照らし出す。人間存在が存在論的に平等であるという認識なしには、自律的なデモクラシーは存在し得まい。  最終部では「暴力」の問題が検討される。次の一文は、本書の試みを要約している。「暴力が現れた場合には、それをむやみに鎮圧しても解決にはならず、自分が否定されていると感じるその意識自体を受け止め、理解しなければならない」(二八二頁)。ここに現れている姿勢は、暴力を礼賛するわけでもなく、暴力を「正義」の側から断罪するものでもない。人間的行動をそのイデオロギーによって判断するのではなく、つねに一個人の意識から理解し、とはいえ決してそれを正当化することなくあくまで認識と理解に努め、対話へと開こうとするものである。この次元において「哲学」を捉えるならば、アンガジュマンとは必ずしも大上段に構えた政治的行動のみに当てはまるものではなく、市井に生きる人々の小さな行動のうちにもまた、数知れぬ普遍的なアンガジュマンの姿が存在する。生方はそのように結論する。  評者には、本書に対して批判がないわけではない。例えば、「デモクラシー」概念をやや平板に捉えすぎではないか、ルナン型国民主義への警戒心が乏しいのではないか、という点には違和感を覚える。また、哲学史的にやや説得力を欠く記述が散見されるようにも思われる。しかし、それ以上に、このような大きな構想をもってサルトル哲学を見事に再編しえた書の出版を喜びたい。(こばやし・なりあき=國學院大学他非常勤講師・フランス文学・フランス思想)  ★うぶかた・あつこ=国士舘大学教授・フランス語・文化・哲学・EU。著書に『戦場の哲学』、共著に『サルトル読本』『サルトル、21世紀の思想家』など。