- ジャンル:哲学・思想・宗教
- 著者/編者: クレア・マックール、レイチェル・ワイズマン
- 評者: 槇野沙央理
オックスフォードの女性哲学者たち
クレア・マックール/レイチェル・ワイズマン著
槇野 沙央理
哲学が、白人・シス男性・健常者至上主義であることは暗黙理に皆の知るところである。だが近年、一部の研究者によって、この暗黙理の前提は明るみに出されつつある。これらの前提を留保し、これまで排除され利用され研究対象として都合よく扱われてきた側の声をすくいあげることで、哲学のあり方を再検討したり、哲学史を編み直そうとしたりする試みがなされるようになってきた。本書もそうした試みの一つであり、「オックスフォード・カルテット」と呼ばれる4人の「女性」哲学者エリザベス・アンスコム、フィリッパ・フット、メアリー・ミッジリー、アイリス・マードックを中心に、1930年代後半から1950年代半ばに至るオックスフォードの様子を描き出している。
目につきやすいエピソードは、男性研究者たちの女子学生あさりや、男性研究者によって家庭に押し込められ、研究を続けていくことが困難になってしまった女性たちの物語である。チューターという知的に優位な立場を利用して女子学生ジーン・クーツにハンカチを送りつけたジョン・オースティン(58頁)や、女子学生の身体を触るというクラシックな痴漢行為を働いていたとされるドイツの古典学者エドゥアルト・フレンケル(88頁)の姿が描かれる。オースティンに半年間で3度プロポーズされたクーツは、彼と結婚して働くことを禁じられ、2児とともに自宅に閉じ込められた(250頁)。フレンケルのパートナーであったルース・フォン・ヴエルソンは、彼との結婚によって古典文献学者の道を諦めたという(89頁)。
いわゆる「プレデター」と呼ばれる男性研究者たちによって選択肢を失ってしまった女性たちがいたことは看過しがたい。とはいえ本書では、オックスフォードで居場所を持っていた/持とうとした女性哲学者たちの画策を確認することもできる。イギリス初の女性哲学者教授であるスーザン・ステビングの活躍(99-102頁)や、アンスコムに対し教育者としても哲学者としても影響を与えたメアリー・グローヴァー(157-162頁)をはじめとして、カレッジではさまざまな女性たちが活動していた。
このように本書は、これまでの哲学史が黙殺し、無視し、書き落としてきた人々の生を拾い上げている。だがそれだけではなく、より大きな課題、すなわち、哲学に「女性」が参与することで何が哲学において重要だと考えられ、論じられるべきだと考えられるかについても書き換えられるのだ、ということに関して一つの提案をしてもいる。
原タイトルMetaphysical Animals: How Four Women Brought Philosophy Back to Lifeの副題が示唆するように、本書の物語は、論理実証主義(言うなれば若い白人シス男性の哲学)から、哲学を生きた生活へと連れ戻した歴史として、20世紀初頭のイギリス哲学を活写するものである。この中で4人の女性哲学者は、論理実証主義や日常言語学派に対抗して、古典に立ち返り、人間の生に織り込まれた私たちの道徳的判断や他者理解を問おうとする哲学者として描かれている。彼女たちの模索する姿は、私たちが、自分たちの生のありようを超越的な何かに訴えて理解しようとする「形而上学的動物」なのではないか、という問いかけそのものである。
このような仕方で本書は、女性哲学者こそ生を通じて哲学における問題を見極めていったのだ、と示唆する。しかし、戦争で日常を失い、人間として確かだと思える価値すら疑わしいと思える体験をした若い男性哲学者たちも、生を通じて哲学における問題を獲得していっただろう。本書にも取り上げられているように、リチャード・ヘアは、「自らの戦争体験をきっかけに道徳哲学者になった」(319頁)一人として登場する。ヘアは、戦争から戻ってきた後も「なおも残る拷問と飢餓の後遺症に加え、周期的なマラリアの発作[…]にも苦しめられていた」(319頁)という。ヘアは、本書では、カルテットのいわば敵役として描かれてはいるものの、実存的に哲学に取り組んだという意味でカルテットに劣るとは言えないだろう。
著者のクレア・マックールとレイチェル・ワイズマンが大きな課題に取り組んだことを、私は問題提起として好意的に受け止めるが、全体としてのメッセージには首肯しかねる部分もある。
特に、論理実証主義をイギリスに持ち込んだステビングや、ウィトゲンシュタインの元・弟子でもある数学の哲学者アリス・アンブローズは、この物語によっては十分にすくいあげられない。もちろん本書は、論理学や数学の哲学に関わることが女性的でないとは主張していない。あくまで、20世紀前半のオックスフォードにおいて白人の若い男性を中心として推し進められた哲学に対抗する物語を織り上げようとしたのである。結果として本書は、4人の女性哲学者たちのつながりを生き生きと描き出し、彼女らの活躍とともに、これまで無視されてきた人々の姿を浮かび上がらせることに成功しており、これ以上を望むことは過剰であろう。
論理や数学に関わる哲学の領域で「女性」をはじめとしたマイノリティ属性を有する人たちがいかに活動していたかを明らかにする課題は、今後の私たちの努力によって応えられるべきなのである。(手始めに、デイヴィッド・エドモンズによる『シュリック教授殺害事件 ウィーン学団盛衰史』(児玉聡・林和雄監訳、晶文社)では、ローゼ・ラントに対する人格攻撃があまりにも露骨ではなかったか。)そのほかにも、男女の二元論およびシスジェンダー・ヘテロセクシャルを前提とした物語の限界や、「優秀な女性が家父長制の中で将来の可能性を潰されてきた」という描像の限界についても考えていく必要がある。(優秀な女性しか哲学をしてはいけないのか?というのが最近の私の疑問である。というのも、「優秀さ」は制度に適応して良い結果を出せるということを意味しており、これが、健常者至上主義を強化するように見えるからである。)
最後に、訳者の木下頌子氏の仕事によって、シス男性中心主義に挑戦する哲学史の読み方・編み方が本邦で紹介され、マックールとワイズマンが提起した「マイノリティが哲学に参与することで何が重要であると考えられるかが変わるのか」という問いが知られるようになることに感謝する。(木下頌子訳)(まきの・さおり=大正大学非常勤講師・ウィトゲンシュタイン・カヴェル・フェミニスト哲学)
★クレア・マックール=英国ダラム大学准教授・知覚の哲学・行為の哲学・哲学史。
★レイチェル・ワイズマン=英国リヴァプール大学講師・心の哲学・行為の哲学・倫理学の境界領域・分析哲学史。
書籍
| 書籍名 | オックスフォードの女性哲学者たち |
| ISBN13 | 9784791777259 |
| ISBN10 | 4791777255 |
