2026/06/12号 8面

田原総一朗週刊読書人連載50周年特別インタビュー&「田原総一朗の取材ノート」プレイバック

田原総一朗 週刊読書人連載50周年――特別インタビュー&「田原総一朗の取材ノート」プレイバック収録 <自らが、たしかだと思ったものを書き続けた50年間>  本紙好評連載中の「田原総一朗の取材ノート」が前身の連載(「ノン・フィクション」時評~「ノンフィクション・ノート」)から数えて、今年で50周年を迎えた。半世紀にわたり、田原総一朗氏は読書人で何を書き続けてきたのか。連載開始同年の「ロッキード事件」のことと合わせてお話をうかがった。なお、田原氏の写真は70~80年代にかけて撮影したものを使用した。(編集部)  ――今回、田原さんの連載が50年を迎えたということで、読書人とのかかわりを振り返っていただきたいと思っています。今回お話を聞かせていただくにあたり、事前に過去の記事をピックアップしてお渡ししましたが、ご覧いただけましたか?  田原 昔はこんなに難しいことを書いていたんだね(笑)。  ――50年間連載を続けてこられるにあたって、どんなことを意識して原稿執筆をされてきましたか。  田原 読書人の連載ですから、なるべくスキャンダラスにならないように、僕がたしかだと思ったものを書いてきました。  ――田原さんの連載は、故・植田康夫さん(元読書人社長、上智大学名誉教授)が長らく担当していましたが、はじめに田原さんに声をかけたのも植田さんでしたか?  田原 そうです、植田くんです。以来、ずっと一緒に仕事をしてきましたが、面白い関係でした。彼はたびたび親身な意見を言ってくれましたし、何より怒らない人だった。  ――50年間の連載を田原さんはどう振り返りますか。  田原 ときに自分の怒りを記事にぶつけなければならないときもありましたが、結局それは一回もできなかった。  ――田原さんでも記事に怒りをぶつけることは難しい?  田原 難しいね、怒るということは。  ――でも、テレビで見る田原さんはよく怒っていらっしゃいます。  田原 あれは、怒りをぶつける表現をしないといけないと思って、あえてやっていることです。  ――では、テレビで見る田原さんと、活字の田原さんでは表現の仕方が違うわけですね。たしかに、すべての連載記事を振り返ってみると、感情的になっているものはなく、常に理性的です。  田原 そうそう。  ――田原さんの連載は1976年の「ノン・フィクション」時評からスタートし、数々の雑誌記事を論評いただきました。当時、雑誌メディアは隆盛をほこっていたと思いますが、田原さんは雑誌報道の役割をどのように考えていらっしゃいましたか。  田原 どこまで事実に迫れるか、ですね。  ――実際に、事実に迫れていたと思いますか。  田原 事実に迫ったものは多かったと思います。現に、田中角栄の失脚も雑誌報道が事実を暴いたからで、事実が暴かれなければ何事もなく終わっていたことでしょう。  ――今、田中角栄の名前が出ましたが、まさに連載開始同年にロッキード事件が起こりました。そのため、その1年間はほぼ毎月、ロッキード事件のことに何かしら言及されています。田原さんはロッキード事件についてどうお考えになりますか。  田原 僕は、田中角栄に関しては冤罪だと思っています。もちろん、ロッキード事件で田中角栄がやったことというのは悪いことです。とはいえ、ロッキード事件というのはもうひとつの見方をすると〝闇〟であり、この〝闇〟のルートがなければ手に入らないものもたくさんあった。つまり、悪いことだと承知でやった面もあったわけです。  一般的に、ロッキード事件をめぐっては、田中角栄を「悪」だと決めつけて、そこで話が終わってしまいがちだけど、なぜその悪いものが生まれてきたのかまで見ていかなければ事実には迫れない。これは評論家の故・山川暁夫さんの見解であり、僕も同感です。  ――山川暁夫さんのことは、連載内でも言及されています。ところで、田原さんはロッキード事件以前の、田中角栄をどのような人物だとご覧になっていましたか。  田原 田中角栄は、田中以前の首相たちができなかったことをやって得意気になっていました。主にエネルギー政策で、日本がエネルギーを手に入れられたことに対してです。  ――田原さんはロッキード事件の後年、『文藝春秋』の企画で田中角栄にインタビューしていて、その取材の裏話を81年1月19日号掲載の「ノンフィクション・ノート」でご執筆いただきました。  田原 世の中が、田中角栄のことを「悪」だと決めつけていたときの取材で、約5時間話を聞きました。しかし、あの場でロッキード事件のことは一切語らなかった。  ――田中角栄に会う前と会った後で、田原さんの中で印象は変わりましたか?  田原 会う前まではこわい男だと思っていたけど、実際に会ってみるととても魅力的な人物でした。インタビューは常に本音で、非常に細やかにしゃべってくれたので、たくさんの面白い話が聞けました。  ――前述の記事の中で次の一節があります。「田中が、なぜ、力を持ち得ているのか、疑問はつのる。/「法律」だと彼は言った」。大変面白い発言だと思います。どういったところが魅力的でしたか。  田原 田中角栄は常に世界の空気を変えようとしていて、とても面白いことをやるところです。そのことを世の中の人たちは悪だと思っていたけれども。  田中角栄は金が必要なら、ロッキード事件に関係なく、いくらでも手に入れることができた。だけど、あえてロッキード事件だった。  ――結局、田中角栄をはじめ、関係した人たちのほとんどが事件の真相を墓場まで持っていってしまったから、何もわからずじまいになってしまいました。  田原 ひとつ言えるのは、政治家が扱う「カネ」に正しいものも、間違えているものもないということです。    (インタビュー了) 「田原総一朗の取材ノート」プレイバック 一九八一年一月一九日号三面「ノンフィクション・ノート」より  ここからは、本紙で以前掲載した連載記事全文を再掲する。記事は田原氏が一九八〇年末に『文藝春秋』の企画で田中角栄元総理にインタビューした直後の後日談である。どのような経緯で田中角栄氏を取材することになったのか、実際に話を聞いてみての印象などが克明に綴られた当時の記事を一部再編集してお届けする。(編集部)  田中角栄にインタビューした。約五時間、田中角栄は雄弁をふるった。  インタビューの場所は、目白の田中邸。いわゆる目白御殿である。  田中角栄インタビューという話を文藝春秋から持ち込まれたとき、わたしは正直いってとまどった。  田中角栄の復権に力を貸すことになるのではないか。結局、田中角栄のいいたいことをいわせるだけ、つまりPRにしかならないのではないか。  しかも、途中で、係争中の事件、つまりロッキード事件には触れない、田中追い落しの爆弾となった立花レポートには触れない、などの条件がついた。  だが、それでも、田中角栄に直に会い、その肉声を聞いてみたい、という誘惑には抗しきれなかった。  田中角栄。目下刑事被告人である。情報通たちは、誰もが、有罪だろうとみている。  だが、その田中角栄を領袖に戴く田中派は、自民党最大の派閥だ。しかも、田中派は、なおもどんどん勢力を拡大しつつある。佐藤栄作の息子の佐藤信二や、小坂徳三郎などまでが田中派に入った。  なぜ、領袖が刑事被告人で、自民党員ですらない、いわば日陰の身なのに、これほど強大になるのか。  もちろん、田中派が自民党で最大の派閥で、しかも、なおも膨張しつつある、ということは、闇将軍こと田中角栄の力が強大だということだろう。  げんに、鈴木内閣は直角内閣だといわれ、田中は、福田、大平、鈴木と、三代の首相づくり、つまり、キングメーカーになっている。  なぜ、田中角栄は、これほどの力を有しているのか、いられるのか。  その、いわば秘密を探ってみたい、と思ったのだ。  田中角栄のインタビューについては、この小文が掲載される号が店頭にでる頃には、『文藝春秋』が発売されているだろうから、そちらを読んでいただきたいが、五時間以上つきあった印象は、予想していた以上に強烈だった。  何よりも痛烈に感じたのは、わたしなどとは価値基準が全く違うということだ。そのことを発見したことだ。  田中角栄の喋りはなかなか面白い。  何故か。何よりも、真剣だからだ。わたしは、数多くの政治家たちと会い、インタビュー記事にしたこともあるが、政治家とは、大体、こちらの問いを受けとめず、何とかしてはぐらかそうとする。中身のない、きわめて観念的な、空虚な言葉ばかり羅列する。正義とか、清潔とか、信義とか……。  だが、田中角栄は逃げなかった。  なぜ、田中角栄は刑事被告人でありながら、力を持っているのか。  そのことを聞くと、バカな連中は、金だといっている、といって愉快そうににやりと笑った。  金。以前はともかく、現在の田中には金はない。田中派の議員たちに問うても、他派閥の連中より多い、ということはないようだ。  となると、ますます、田中が、なぜ力を持ち得ているのか、疑問がつのる。  「法律」だと彼はいった。  日本国の法律は、世界に類をみない特異な、奇態な、それだけに複雑な法律なのだ、と彼はいった。  なぜか。戦争に敗け、日本にのり込んできた占領軍は、ひたすら日本弱体化政策をとった。憲法をはじめ、民主化という大義名分で、何とかして日本国を解体しようとはかった。  ところが、朝鮮戦争前後から、対日政策が一変して、日本を反共防波堤にする、つまりアメリカの世界戦略の中に組み込み活用するために、日本を強化することになった。  そのためには、左翼、労働組合などの活動を封じ込めることが必要だ。  そこで、日本強化、反体制勢力の封じ込め政策が次々にとられ、そのための法律がいろいろつくられた。もっとも、こうした法律は、それとわかるようにつくったのでは反対が強いので、それとわからぬように、反対勢力に気づかれないように、さまざまにごまかしながらつくった。  その舞台裏を、田中は全部知っているのだというのである。田中だけが全部知っているのだというのである。  日本の法律が特異なのは、こうした、弱体化と強化という二重性を持っているために、いくつかの法律を組みあわせるとはじめて効力を発する、あるいは、どの法律かを使って、どれかを一部変更する、などの手続きを経る、など、操作が実に複雑になっているのだが、その操作を、田中は全部知っているのだという。  こうなると、まるで魔術師だ。法律の裏表に精通し、法律を自在にあやつって、何でもできる。  しかし、それにしても、なぜ田中が、田中だけが、法律の裏表に精通しているのか。なぜ、他の政治家たちは、いわばつんぼ桟敷におかれているのか。  その理由を、田中は雄弁に語った。いかに法律の裏表に精通しているか、との証拠についても、おびただしい事例をあげてわたしを納得させた。  そのために、彼が、学閥、閨閥の壁を超え得た、その実例についても……。だが、彼は、そのことごとくを、記録の外に押し出した。そればかりではない。わたしなどは、彼が、学歴がなくて首相になった、などということは、田中角栄の最大の勲章だと思えるのだが、そういうことも、やはり、慎重に記録の外に押しやった。彼は、話をするときには、非常に人間的な部分、ためらいやとまどい、弱気の面、マスコミや世論に対する憤りなどを剝き出しにし、そういうところが、きわめて人間的で、魅力的でさえあるのだが、そういう一切を、やはり記録の外に押し出した。  なぜなのか。今にして思うと、そのことこそが政治ということなのだろう。弱気、弱さにつながることは、一切排除する、反感を持たれようと、とにかく強気に終始する。自己PRに終始する。わたしたちとは価値基準が違うのだ。やはり、政治家は言葉を信じてはいない。その意味で、田中角栄はまぎれもなく政治家であり、それこそが彼の強さなのだと。(たはら・そういちろう=ドキュメンタリー作家 ※肩書は執筆当時のもの)  ★たはら・そういちろう=ジャーナリスト。岩波映画製作所、テレビ東京での勤務を経て一九七七年フリーのジャーナリストに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。著書に『日本の戦争』『大宰相 田中角栄 ロッキード裁判は無罪だった』など。一九三四年生。