2026/08/28号 5面

遠近法

遠近法 ローラン・ビネ著 吉田 朋正  書簡体というスタイルと『遠近法』というタイトルの組み合わせはあまりに示唆的である。ブルネレスキによる線的遠近法/透視図法の発明は、単に二次元上に三次元の世界をヴァーチャルに構築する術をもたらしたのではない。その幾何学的原理からしてきわめて必然的に、パースペクティヴは当の画角でその光景を眺めるただ一つの視点を、ひいてはその視点を持つ何者かを、はじめて厳然たる形で──むろん見えない姿のまま──この世界に出現させた。この意味でルネサンス以降のあらゆる視覚イメージには、常に同じ一つの含意が潜在している。かつてフーコー『言葉と物』が「ラス・メニーナス」の扉絵に託して述べたがごとく、その意味とはむろん「(観ている)人間」のことだ。他方、書簡体小説の含意も小さくはない。単に書簡体と言えば小説の下位区分のようだが、実際には書簡体こそが典型的「小説」だったのであり、この事実は今もなお英語圏で小説全般が“novel”と呼称されることによくあらわれている。私信や遺書、個人的な書き物の類いは人目につかないのが通例だが、本来秘されてあるべきそうした文字列を通じて読者が出来事を特権的に知悉するという新機軸こそは、ノヴェル=新しきものと呼ばれる新時代の物語の形であったからだ。『刑事コロンボ』やその模倣である『古畑任三郎』が、いきなり視聴者だけに犯人を明かすことで真実を宙づりにし、新たなやきもき体験をもたらしてくれたのと同様、ビネが駆使するこの古典的技法もまた、かつてはいかにも新奇なドラマティック・アイロニーの手管であったわけだ。  手練れの小説家ビネの狙いは、この「書簡体」と「遠近法」という二つの現実模倣の技巧を存分に活かしながら、政情穏やかならぬ初期近代の都市国家に生じた一つの(架空の)事件を活写することにある。国家と呼ぶにはあまりに脆弱かつ不確かで、血生臭く爛れた土壌の上に、流されたその血ゆえにこそ絢爛たる文化を築き上げたこの小さな共同体を率いるのは、日本風に言う富山の薬売り=圧倒的な地元有力者たるところのメディチの傍系、コジモ一世だ。傍系とは言い条、かつてブルーニのような人文学者が古代ギリシアの英智から鍛え上げたフィレンツェの共和主義的伝統を、自らの権力を支える巧みな方便へと変換した狡猾な僭主だが、この人物の政治的栄光なくして、今日まで続く華麗な芸術都市もまた存在しない。さて肝心の物語は、かくなる状況の下、件のコムーネに「うっかり」生まれ落ちた二十世紀のシュルレアリストとでも称すべきマニエリスムの異才、ヤコポ・ダ・ポントルモが、おそらくは芸術家としての苦悩の末にしでかしたスキャンダラスな悪戯──よりにもよって、裸婦像の頭部にコジモの愛娘マリアの顔を据え置くという──をすべての「偶因」として展開する。コジモとその不倶戴天の敵、ピエロ・ストロッツィとの政治的対立がここに「真の動因」として加わることで、たちまち事件は巨大な渦と化す。ついには史実として記録される大天災までもが人々を襲い、悲劇はやがて「すべてを知る」読者ばかりを残して嵐もろとも収束するだろう──というのが、だいたいネタバレなしの本書の筋書きだ。  出来過ぎと言えばその通りだが、もとより史実と虚構をウエハースのように巧みに重ねたこの知的創作物に、例えば同じ時代を扱うムヒカ=ライネスの傑作『ボマルツォ公の回想』の、いっそ奇想天外の限りを尽くした文学的フィクショナリテを並べ置くのは野暮というものだろう。ビネの面白さは、むしろ画工たちのそれにも似た職人的な作り込みにこそある。作家の描く右の物語のスペクタクルにあって、ちょうど透視図法でいう主線や補助線の役割を果たすのがまさに登場人物たちの綴る直線的な文字列たる書簡だが、それぞれの図絵が「ただ一つの視点」である限り、それらは本書原題のPerspec―tive(s)にもある通り、複数の“s”を付された別々の光景であるほかない。だが本書が凝りに凝っているのは、作者ビネがこれらすべてを収斂させる同じ一つの消失点を密かに想定しているらしいことだ。物語内に決して実在的には登場しない、しかし繰り返し言及されることで、どこか秘められた「真の」主人公然とした姿で浮かび上がるフィリッポ・ブルネレスキこそは、この特権的地位を占める人物である。美術史に多少通じた読者なら、本書では少々不甲斐ない探偵役に終始するヴァザーリこそが、この偉大な先達の造り上げた「プロスペッティーヴァ」なる不可思議な技法の発祥を今日に伝える『列伝』の著者であることにお気づきだろう。この技法は物語中、自らの「完璧に幾何学的な格子」と「光線のピラミッド」を通じて、ヴァザーリ自身を命の危機から救うばかりではない。何よりも物語の終盤、ストロッツィが嵐の中で逃走劇を繰り広げる際、ちょうどジャン・バルジャンにとってのパリの下水道に比すべき舞台装置の役目を果たすのが、他ならぬサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、つまりブルネレスキが遺した「世界を睥睨する世紀の傑作」の円天井に秘められた、ルネサンス科学の一頂点というべき不可思議な二重構造であるというのだから実にふるっている。主役はまさにブルネレスキ=アルヴェルティ的な幾何学の技法そのものなのだ。  時代を超越した異才ポントルモのあまりに惨めな描かれ方と、訳者解説が遠近法をわざわざ「必ずしもルネサンスが発明したものではない」(傍点吉田)と注釈しているのは不満が残る点だ。今日、濃淡による遠近表現なども含めて広く「パースペクティヴ」と呼ぶ場合があるのは確かだが、むしろそのこと自体、ブルネレスキ=アルヴェルティ的技法が確立したことの「結果」であって、後世がこれらすべてを一様のもののように再帰的に名指すのは混濁した歴史的アナクロニズムを誘う。だが、高橋啓氏の本篇訳文がすこぶる読みやすく、この物語が一気呵成に読み進められるスリリングな快作であることに変わりはない。残暑の中、冷房の効いた室内でクールに愉しむには最高の一冊となろう。(高橋啓訳)(よしだ・ともなお=東京都立大学教授・欧米文化論)  ★ローラン・ビネ=フランス、パリ生まれの作家。著書に『HHhH プラハ、1942年』『言語の七番目の機能』『文明交錯』など。一九七二年生。

書籍

書籍名 遠近法
ISBN13 9784488016951
ISBN10 4488016952