百人一瞬
小林康夫
第89回 高橋睦郎(一九三七― )
出版社から一冊の新刊が届く。厳密には新刊ではなく、増補改訂かつ改題版。高橋睦郎さんの『三島由紀夫との六十年』(平凡社ライブラリー)。だが、そこには、わたし自身も登場している。
というのも、元になった高橋さんの『在りし、在らまほしかりし三島由紀夫』(二〇一六年)には、わたしが二〇一一年秋に東大に高橋さんをお呼びしてしていただいた講演「三島由紀夫と私と詩」のあとに、そのまま同僚の中島隆博さんと行った鼎談の一部が収録されているからだ。
おそらくその講演の打ち合わせのために、葉山の高橋さんのご自宅にもうかがったはずだが、そのことを思い出そうとしても、記憶のスクリーンに下りてくるのがただ相模湾の海の光景なのはどうしてだろう。高橋さんとの交点はどうしても「三島由紀夫」という名にピン留めされてしまう。
鼎談のなかで、高橋さんは三島が日本について語った忘れ難い、衝撃的な言葉を伝えてくれた。それが「日本には何にもないんだよ。日本は何にもない無の坩堝なんだ。オリジナリティがなんにもない無の坩堝なんだ」。
そして、三島が『豊饒の海』のあとに書こうと計画していた藤原定家に関する小説に触れつつ、高橋さんは「無は美の彼方にあるということではなくて、無というものが僕らを取り囲んでいるというか、全てが無だと思うんですね」と語っているのだった。
この由紀夫―睦郎の〈無〉の一撃に対して、そこでのわたしは、わたし自身が若いときに書いた三島論のタイトルが〈無の透視法〉だったと応答しているのだが、その激しい〈無〉の交差が甦ってくる。そう、この原稿を書いている〈今〉は二十五年十一月、三島の没後五十五年後の命日の直前なのだ。
と、そこにもう一冊本が届く。今度は新刊『戦後の日本社会に影響を与えた「古典」を読む』(版元は本紙・読書人!)。そう、それは、本連載の「番外篇」で語ってしまったのだが、昨年わたしが立教大学で行った『豊饒の海』についての講義が採録されている本。その講義を、わたしは「一九七〇年一一月二五日、わたしは二十歳だった」とはじめている。そして『天人五衰』の冒頭、駿河湾の描写を読み上げて、その海が、「海、名のないもの」と、そして最後には「絶対の無政府主義」と言われていることに学生たちの注意を喚起したのだった。
相模湾なのか駿河湾なのか、二〇二五年一一月、静かに、しかし激しく、「海、名のないもの」が、「絶対のアナーキー」が、「無の坩堝」が、渦巻き立ち上がる。時を同じくして届いた二冊の本のクロスオーヴァー。あるいは、本こそが「無の坩堝」そのものなのかもしれない。
そのクロスオーヴァーについて書くために、ここに高橋さんの御本を呼び出してしまった。その本に籠められた高橋さん自身のこれまた激しい思いには触れる余裕がなかった失礼の段、ここにお詫びいたします。
高橋さんの東大における講演とそれに続く鼎談は、UTCP(共生のための国際哲学教育研究センター)発行のUTCP・Booklet25『〈時代〉の閾 戦後日本の文学と真理』所収。なお、このブックレットには、丹生谷貴志さん、松浦寿輝さんとわたしとの対談も収められているのだが、どちらでもやはり三島由紀夫が問題となっている。またわたし自身の三島論は『無の透視法』(書肆風の薔薇)、『出来事としての文学』(講談社学術文庫)、『オペラ戦後文化論1』(未來社)などで読める。(こばやし・やすお=哲学者・東京大学名誉教授・表象文化論)
