『理科年表』創刊100周年記念講演会レポート
<自然科学の発展と『理科年表』の歩み>
梶田隆章・基調講演(「科学の楽しさ ~若い時の経験と理科年表~」)載録/各講演レポート
国立天文台編『理科年表』(丸善出版)は2025年2月20日に創刊100周年を迎えた。
節目の年の昨年12月14日に「『理科年表』創刊100周年記念講演会 ―科学のクロニクル 100年の歩み―」が開催された。ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章氏による基調講演をはじめ、国立天文台上席教授・渡部潤一氏、気象庁長官・野村竜一氏、産業技術総合研究所首席研究員・倉本直樹氏、東京大学名誉教授・纐纈一起氏、東京大学総長特別参与・沖大幹氏による講演が行われた。その模様をレポートする。 (編集部)
梶田 皆さんこんにちは。東京大学の梶田です。
今日は、『理科年表』創刊100周年記念講演会のトップバッターとして、「科学の楽しさ ~若い時の経験と理科年表~」という題でお話しいたします。
私は大学院生の駆け出しの研究者の頃、『理科年表』には大変お世話になったので、1年ほど前に本講演会の出演依頼をいただいた際に登壇を快諾しました。本来なら、今日の講演にあたって実際に使った、自分の手垢のついた1980年頃の版を持ってきて、「ほらこんなに使ったんですよ」とお見せするつもりでしたが、いくら探してもそれは見つかりませんでした。ですので、今日は講演の中で『理科年表』のことにあまり触れられませんが、その点はご容赦ください。いずれにしても、『理科年表』には若いときにお世話になりましたので、今日の講演はこのようなタイトルにしました。
私は長年、ニュートリノ研究に関わってきましたから、普段このような場ではスーパーカミオカンデのことを中心にお話しします。けれども、今日は私の若い時のことがテーマなので、大学院生の頃に携わった先代機のカミオカンデに焦点を当ててお話しした後に、スーパーカミオカンデと、現在取り組んでいる重力波検出器KAGRAでの研究について少し触れていきたいと思っています。
そもそも、なぜカミオカンデを使った研究が始まったのか。今から約50年前、1970年代に素粒子の分野で、素粒子間で働く力は重力を除いて3種類あるものの、それが本来は同じものだという「大統一理論」と呼ばれる新しい素粒子の理論が提案されました。その理論では、原子核の中にある陽子は大体10の30乗年の寿命で崩壊するはずだということを予言しています。今の宇宙の年齢は138億歳と言われていますから、10の30乗年というのはその年齢の100億倍の100億倍くらいの長さで、大変長い寿命で陽子が壊れるはずだというのです。そして、陽子が壊れることを見つけられれば、大統一理論の根本的な考え方が正しいはずだということを証明できます。この理論的な予言を受けて、1980年の頃から世界中で陽子の崩壊を探すための実験が始まりました。その装置の一つがカミオカンデです。
カミオカンデは、直径、高さとも約16メートルの円筒形の水槽を作り、その中に3000トンの水を蓄えた実験装置です。3000トンの水の中にはたくさんの陽子が存在しています。その水を観察していくなかで、あるときその中の陽子の1つが寿命を迎え、壊れて、別の粒子が飛び出てくるかもしれない。別の粒子が飛び出したときに水中を走ると光を発するので、それを光検出器で捉えるという実験です。
私自身、この実験に大変魅力を感じて、1981年4月に大学院に入学すると同時に、カミオカンデの実験に参加しました。私にとっての大学院の修士課程1、2年の頃というのは、いわばカミオカンデ実験の準備のための時代でした。私は駆け出しのメンバーのひとりとして、カミオカンデに設置する様々なハードウェアの準備、光電子増倍管の試作品の試験や、1000本の光電子増倍管全数のキャリブレーションという仕事をしていました。ハードウェアの準備にあたり、当時何も知らなかった私は、様々な物理のデータ、例えば光の反射率や光が物質中を透過する際の透過率など、基礎的なことを調べるために『理科年表』をいつも手元に置いて作業していました。
修士課程が終わり博士課程1年になった頃、カミオカンデの建設が始まりました。我々はヘルメットをかぶり、作業服を着て、懐中電灯を携えて岐阜県飛騨市の神岡鉱山内にトロッコで入り、地下1000メートルに建造中のカミオカンデの高さ16メートルの水槽の内側に光検出器を取り付ける作業を行いました。果たして16メートルの高さにどうやって安全に取り付けるか。議論を重ねた結果、ゴムボートに乗って水面を上げながら取り付けていったのですが、このような作業が数ヶ月間にわたり続きました。
当時のことを振り返ると、装置が少しずつできあがっていく様子は、実験系の研究者として、本当にワクワクしました。同時に、この装置によって観測されたデータが、最終的に宇宙の法則を知ることに貢献するだろうと考えるだけで、やりがいも強く感じていました。私は、この頃に研究者の道を本気で志そうと決意するのですが、今から考えてみると、カミオカンデという自分のスタイルに合った研究に出会えたことは、本当に幸運なことでした。
梶田 数ヶ月間に及ぶ神岡鉱山の地下1000メートルでの建設作業を経て、1983年7月6日にカミオカンデでの実験が始まりました。しかし、カミオカンデで見つけたかった陽子崩壊の信号は、残念ながら検出できませんでした。一方で、当時カミオカンデの実験で使用していた光検出器は世界最大のもので、性能も非常によいことが、データからわかりました。そこで、小柴昌俊先生が「もう少し頑張って、太陽から来るニュートリノを観測しよう」ということをおっしゃられました。
実は、太陽から来るニュートリノというのはエネルギーが非常に小さく、陽子崩壊で予想される信号の大きさのだいたい1%、つまり100分の1程度の信号しか出しません。そうなると、当初、陽子崩壊の信号を捉えるために建造した装置を、その100分の1の小さい信号を観測する装置に変えなければならなくなります。加えて、陽子崩壊の100分の1という弱い信号を受ける際に、自然界の様々な放射線、例えば水槽直下の岩盤から飛んでくるガンマ線が妨げになるので、それを避けるために、水槽底面と光検出器の間に1・2メートルの水の層を作り、そこにガンマ線を吸収させるということをする必要もありました。小柴先生の提案は、言うのは易しいのですが、そんなに簡単な話ではなかったのです。
それでも我々は、小柴先生の提案を受けて84年から85年頃にかけて、神岡鉱山の地下1000メートルでカミオカンデの改造作業を延々と行いました。それが私の博士課程2、3年の時期にあたりますが、私自身、このような経験ができたことで、大学院生活を楽しみました。
86年になり、カミオカンデのハードウェアの一応の改良も終わり、またこの年の3月に私は博士号をいただきました。そして、太陽ニュートリノの観測の準備ができたかと思ったのですが、水槽に蓄えた水中内に自然界の放射線、特に水中に溶け込んだ気体のラドンが重大なノイズ源であることが判明しました。結局、ラドンを水中に入れないような様々な工夫を行い、87年の初め頃からようやく安定的なデータが取れるようになりました。
そうして迎えた87年の2月、我々の銀河系のすぐ隣の大マゼラン星雲で非常に稀な超新星爆発が起きました。当時の新聞報道などによると、人間の目で見える超新星爆発としては400年ぶりのものが観測されたのだといいます。この時、カミオカンデが観測したデータを見ると、自然界の放射性の元素から来るバックグラウンドがあるものの、それでは説明できないエネルギーの高いものが13秒間に11例ほど検出できました。まさにこれは、超新星爆発に伴うニュートリノ信号だと考えて間違いなく、この観測結果によって、超新星爆発がどういうものなのかが判明しました。つまり、重い星が寿命を迎えて、もはや核融合で燃えることができなくなったときに、自らの重力で潰れ、その反動で外側が吹き飛ぶ現象である、ということが解き明かされたのです。
この成果により、2002年に小柴先生はノーベル物理学賞を受賞しました。カミオカンデで安定的にデータが取れるようになったタイミングで、たまたま400年ぶりの超新星爆発が起きたので、カミオカンデが超新星ニュートリノを観測できたのは幸運だったと小柴先生に言う人もいました。しかし、小柴先生は「みんなは幸運だと言うけれども、このとき世界中にニュートリノは飛んできていた。それを観測できたのは、準備をしていた人だけだ」とおっしゃいました。我々研究者は、この小柴先生の言葉を忘れてはいけないと思います。
それとともに、はじめ陽子崩壊の実験のために建設したカミオカンデを太陽ニュートリノ観測用に改造し、その結果として、超新星ニュートリノが観測できたという点も忘れてはなりません。このような予想外の発展をみたことからもわかるのは、科学の進歩というのは直線的ではないということです。そして、これこそが科学の楽しみの一つだと言えるのではないでしょうか。
〈2面につづく〉
〈1面よりつづく〉
梶田 ここまでは、私の若い頃のカミオカンデにまつわるお話をしてきましたが、ここからはその後の展開ということで、スーパーカミオカンデのことを簡単に紹介いたします。
スーパーカミオカンデは今でも現役の装置です。カミオカンデをさらに大きくした、直径、高さとも約40メートル、そこに5万トンの水を蓄えた装置で、95年度の1年間はこの建設のためだけに費やしました。実験系の研究者として、スーパーカミオカンデが日々できていく光景を見ているのは、本当に楽しいことでした。
研究の一例だけ紹介します。宇宙から来る宇宙線という粒子が地球の大気の中に突入してくると、そこでニュートリノができます。このようなニュートリノ反応は、スーパーカミオカンデで毎日10回ほど観測されますので、チームを組んで、手分けしながら解析を行ってきました。
みんなが頑張ったおかげで、我々は相当早い時期にスーパーカミオカンデで成果を出すことができました。98年には、地球の反対側から来るニュートリノが予想の半分くらいに減っていることを観測し、スーパーカミオカンデのニュートリノのいろいろなデータなども調べた結果、ニュートリノが小さい質量を持っており、それゆえニュートリノが飛んでいる間にそのタイプを変えるニュートリノ振動という現象が起きているからだ、ということを突き止めることができました。我々が観測したデータによって、世界の研究者コミュニティにニュートリノ振動が認められることになりました。
ニュートリノ振動の観測によってスーパーカミオカンデの成果は世界に認められましたが、実は既に86年頃からカミオカンデでは観測したニュートリノデータが予想と合致しないという問題に遭遇していました。カミオカンデの観測結果は世界的には評判がよくなかったものの、それでも我々は、なぜ予想と観測データが合わないのかということに疑問を持ち、この問題の解明に取り組み続けました。そして、この問題に遭遇した10年以上のちに後継機のスーパーカミオカンデによって、この問題がニュートリノ振動によるものだと結論づけられました。こうしたことからもわかるのは、継続的な研究がとても大切だということです。継続的な研究の大切さについては、今年ノーベル化学賞を受賞した北川進先生、ノーベル生理学・医学賞を受賞した坂口志文先生なども言及されています。
スーパーカミオカンデによる実験でニュートリノ振動という現象の発見につながったのも、自分が不思議だと思う問題に長年挑んできたからであり、その研究の中でたまたまいい成果が得られただけです。自然科学の実験というのは、常にいい結果ばかりが出るわけではありません。そうだとしても、この仕事はいわば人類の知の地平線を広げるものですから、私は人生をかける価値がある、大切な人間の活動だというふうに考えています。
梶田 今、私は重力波検出器KAGRAのプロジェクトに携わり、重力波の研究を行っています。KAGRAは、スーパーカミオカンデと同じ岐阜県飛騨市の神岡鉱山地下に設置した装置で、一辺3キロメートルのL字型のレーザー干渉計を作り、そこで重力波の観測を進めています。
では、なぜ長年ニュートリノ研究をやっていた私が、重力波研究に移ったのか。もちろんニュートリノ研究は今でも非常に活発です。それでも、98年にニュートリノ振動を発見し、またその後のいくつかの研究を経て、大体2005年頃には、とりあえず私としてのニュートリノ研究が一段落したと、内心で感じるようになっていました。一方で、他の分野に目を向けてみると、ニュートリノ以外にも大切なこと、わからないことがたくさんあります。その中でも、当時未発見だった重力波の観測を通じて、中性子星やブラックホール、あるいは一般相対性理論を研究していくような分野に魅力を感じていました。
また、2008年に東京大学宇宙線研究所の所長に就任したことで、今までのようなスタイル、つまり研究に多くの時間を割くわけにはいかなくなりました。なので、自分の使える時間の一部を使って科学に貢献するべく、ニュートリノ研究から重力波研究に軸足を移したのです。
現在、KAGRAがどういう状況かというと、2010年からプロジェクトを開始しましたが、昨年の能登半島地震でだいぶ装置が壊れてしまいました。それを頑張って修理し、今年、国際共同観測に参加するまでに至りました。とはいえ、本格的に重力波を観測して、天文学に貢献していくためにはさらに感度を上げていく必要があり、研究グループとして継続して努力をしています。引き続き、皆さまのご支援をお願いしたく思います。
最後に、大学院生として研究を始めた頃、『理科年表』には本当にお世話になりました。私としては今後も末永く『理科年表』がアップデートし続けていってくれることを願っています。そして、自然科学の研究というのは、世界中の多くの人々が協力して、少しずつ自然の神秘を解き明かしていく仕事で、本当に楽しく、やりがいのあるものだということを、この場を借りてお伝えして、今日の講演の結びとさせていただきます。ご清聴、まことにありがとうございました。
――梶田先生は、どうして実験系の素粒子物理学に興味関心を持たれるようになったのでしょうか?
梶田 私がどうして素粒子の世界に興味を持ったのかと聞かれると、答えるのはなかなか難しいのですが、いろいろなことをだんだんと学んでいくにしたがい、自然法則が根本的にはどうなっているのかを知りたくなりました。そういう思いがあり、最終的に大学院生の時に素粒子実験の道に進みました。
――そんなに時間が経っているわけでもないのに、どうして陽子の寿命が10の30乗年だということがわかるのでしょうか。それは『理科年表』に書いてあったのでしょうか? また、カミオカンデを使うことで、陽子の寿命が10の30乗年だということを証明できるようになるのかということも合わせて教えて下さい。
梶田 まず、私が覚えている限り、少なくとも1980年頃の版の『理科年表』に陽子の寿命のことは記されていなかったと思います。
では、どうして10の30乗年という宇宙の年齢よりもはるかに長いものを観測できるのかというと、次のような論理で考えます。カミオカンデの水槽に蓄えた水中にたくさんの陽子がある。その中で、たまたま今にも寿命を迎えて、壊れる陽子が出てくるかもしれない。そのような陽子崩壊を観測し、陽子崩壊を一定期間に何例観測したかということから10の30乗年という寿命が導き出せる、という考え方です。
ところが、カミオカンデをはじめ、世界中の実験で陽子崩壊を確認することはできませんでした。つまり、陽子の寿命が10の30乗年だという当時の大統一理論の予言が間違っていたということが判明しました。
――カミオカンデでのニュートリノの観測データと予測が合わないという不思議な現象を突き詰めていった結果、ニュートリノ振動の発見につながったというお話でしたが、現在のスーパーカミオカンデでの実験で、ニュートリノに関する不思議な現象というのは何か起こっているのでしょうか?
梶田 不思議というか、このデータはもしかしたらこういうふうに解釈できるのではないか、でもよくわからないなと思うものは、スーパーカミオカンデでの実験の中でもいくつかあります。
一つは、スーパーカミオカンデでは太陽から来るニュートリノも観測していて、昼と夜それぞれ太陽から来るニュートリノを観測しているのですが、面白いことに、どうも夜に太陽から来るニュートリノのほうが少しだけ多い。ただし、本当に少しだけ多いという程度で、これが本当なのかどうかはまだわかりません。なので、これは今後も研究を続けて明らかにしていく必要があるだろうと考えています。
それから、先程お話ししたニュートリノ振動に関することでいうと、世の中には物質と反物質があり、ニュートリノにも同様にニュートリノと反ニュートリノというものがあります。その反ニュートリノのニュートリノ振動が、ニュートリノのニュートリノ振動と微妙に違うかもしれない。これもまだそうかもしれない、そうじゃないかもしれないという段階ですが、このようにまだまだ面白いことがニュートリノの世界にはありそうなので、今後の成果に期待していただきたいです。
――重力波検出装置はアメリカやヨーロッパにもありますが、海外の装置にはない日本のKAGRA独自の強みやメリットはあるのでしょうか?また、KAGRAが重力波を検出するのはいつ頃になりそうですか?
梶田 重力波の装置というのは、3キロメートルのレーザー干渉計に重力波が到来したときに、この3キロメートルの空間の伸縮を観測する装置なのですが、強い重力波が来たときの空間の伸び縮みはだいたい10のマイナス16乗センチくらいです。つまり、水素原子の1億分の1程度なので、観測にあたって極限的な精度を出さなければなりません。
レーザー干渉計には鏡を使いますが、鏡は普通の物質でできているため、鏡の中の分子は全て分子運動をしています。それが鏡の表面をわずかに揺らします。これが問題になるので、KAGRAでは、特別なサファイアの鏡を使い、この鏡をマイナス253度、20ケルビンまで冷やして、この影響を他のノイズより小さくしようということを試みています。それが海外の装置との一番大きい違いです。そして、KAGRAが今後どういう方向性で研究を進めていくかを考える際に、レーザー干渉計にサファイアの鏡を使っていることが大変重要な意味を持つことも、研究を進めていくうちにわかってきました。
では、KAGRAがいつ重力波を観測できるようになるのか。はっきりしたことは言えませんが、今回の観測期間が終わり、次の観測は3年後になりますので、おそらく2029年頃には間違いなく重力波を観測できるだろうと思っています。(おわり)
★かじた・たかあき=東京大学卓越教授・宇宙線物理学・天文学。特にニュートリノと重力波を研究。二〇〇八年から二〇二二年まで宇宙線研究所所長。二〇二〇年一〇月から二〇二三年九月まで第二五期日本学術会議会長。「ニュートリノ質量の存在を示すニュートリノ振動の発見」により二〇一五年にノーベル物理学賞を受賞。
『理科年表』創刊100周年記念講演会・各講演レポート
登壇:渡部潤一・野村竜一・倉本直樹・纐纈一起・沖大幹
ここからは、『理科年表』創刊100周年記念講演会で行われた5名の登壇者による各講演の模様のレポートをお届けします。(編集部)
理科年表に見る天文学100年の歩み ●渡部潤一
渡部氏は講演の冒頭、『理科年表』の暦部・天文部の項目は創刊時から100年かけてどんどん増え続けていると述べる。その理由は、新しい概念、新しい天体の発見によるからで、新たな概念の代表例として銀河の発見を挙げた。加えて渡部氏は「宮沢賢治は『銀河鉄道の夜』内で、当時最新の知見だった銀河系の構造の説明を取り入れました」というエピソードを披露した。
1930年の冥王星の発見も『理科年表』に大きな影響を与えた。(1934年に刊行された)1935年版から惑星の表に「プルートー」表記、1947年版から「冥王星」表記で記載されたものの、2006年に惑星の定義から外れた冥王星は「準惑星」および「冥王星型天体」に分類され、『理科年表』にも同名の項目が追加されたのだという。
ほかにも、北極星の距離の記載の変化にも言及し、1925年版記載の視差を距離に直して約80光年だったものが、50年後には800光年、最新版では高精度の測定の結果433光年になっていることを紹介し、会場を驚かせた。
★わたなべ・じゅんいち=自然科学研究機構国立天文台上席教授
気象業務150周年の歩み ●野村竜一
気象庁は『理科年表』の気象部、環境部の監修に携わっている。特に気象部の監修は気象庁が一手に担っているため、野村氏の講演では気象部のデータがどのように観測されてきたか、気象庁の歴史をなぞりながら解説された。
地震観測とともにはじまった日本の気象観測業務は、火山観測や海洋気象(観測)業務などを加えて気象台の体制を整えていった。戦時中には激戦地の沖縄、原爆投下直後の広島でも観測が続けられた歴史もあり、戦後には数々の台風災害を契機にした法整備が進むのに合わせて、スーパーコンピューターや気象レーダーなどの設備を導入することで近代化を図り、現在は情報の高度化を進めているのだという。
観測や予報ばかりだと受け止められがちな気象観測業務について野村氏は「気象観測業務のミソは、全国で測ったものを瞬時に集めて全国に伝えることです」と述べ、150年前から当時最新の通信技術を用いて業務を行っていたことを強調した。
★のむら・りょういち=気象庁長官
130年ぶりに新しくなった「キログラム」 ●倉本直樹
これまで1キログラムはどのように定められていたのか。1889年から1キログラムを定義するために国際キログラム原器の分銅を使用していた。ところが、近年になり人工物である分銅の表面の汚染による質量の変動が問題になっていた。 「130年ぶりに新しくなった「キログラム」:科学の進歩がもたらす単位の進化」と題された倉本氏の講演では、2019年に普遍的な物理定数であるプランク定数を用いることで、1キログラムが新しくなるまでの道のりを紹介された。
国際的な連帯のもとシリコン単結晶によるプランク定数測定の試行錯誤が重ねられ、その結果、国際キログラム原器の質量変動を上回る測定数値を出した。それにより歴史上初めて人の手で作られた人工物ではない、普遍的な物理定数に基づいた質量の単位が確立できたと語った。
そして倉本氏は、「科学の歴史に残るキログラムの定義改定に、日本人の研究者や日本の研究機関の名前が今後も明確に残り続ける形で貢献することができました」と述べて、講演をまとめた。
★くらもと・なおき=産業技術総合研究所計量標準総合センター首席研究員
地震学の発展と理科年表地学部 ●纐纈一起
『理科年表』の地学部において読者が最も利用しているのは「地震――日本付近のおもな被害地震年代表」の項目である。この説明を皮切りに纐纈氏の講演はこの年代表に沿って、地震学の発展が語られた。
1872年にお雇い外国人の手による地震観測からスタートした日本の地震学は東京帝国大学地震学講座の担任で世界初の地震学教授の関谷清景をはじめ、大森房吉、今村明恒らの研究によってさらなる発展を見る。
海外で提唱された地震のメカニズムを説明する「弾性反発説」が日本で受け入れられていく経緯や、あるいは地震の規模を表すマグニチュードの種類や『理科年表』における扱いを解説していく。
また纐纈氏は、以前まで監修者の主観で採用されていた被害地震年代表に記載する地震について、「2005年から、死者1名以上または家屋等の全壊1以上または津波規模1以上という客観的基準を導入し、1885年に遡って適用しました」と振り返った。
★こうけつ・かずき=東京大学名誉教授
理科年表の縦横無尽で水と気候変動研究 ●沖 大幹
水文学が専門の沖氏は、『理科年表』との付き合いは中学高校の地学部天文班時代に遡るといった回想を交えながら、記念講演会最後の講演を軽妙な語りで展開していく。
1990年発表の第1回気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書で使用された、太陽からの放射、大気、海洋、陸、そして生物が描かれた気候システムの概念図には、気候変動の研究が進んでいるにもかかわらず水の循環が示されていなかった。そのことに不満を抱いた沖氏は、地球全体の河川のシミュレートを試みたという。
そして、自身がまとめた全世界の陸地に河川がどう流れているかという情報を、『理科年表』掲載の河川のデータと照合しながら検証し、最終的に地球規模の水循環と世界の水資源というイラストの作成に成功した。沖氏は「水循環におけるこの概念図は、科学の周期表と同じではないかと考えています」と述べながら、2021年のIPCCの報告書に水循環の章ができたことを喜んだ。
★おき・たいかん=東京大学総長特別参与・大学院工学系研究科教授
書籍
| 書籍名 | 理科年表 |
| ISBN13 | 9784621311820 |
